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自然遷移(植生遷移)の物語


<自然遷移(植生遷移)の物語>
自然攪乱や人間による開発で裸地となった場所にまず一年草が生えて成長し枯れては土となる。その養分を利用して多年草へと切り替わり同じように枯れては土となる。その繰り返しが低木類を育て、低木類が作り出した土で落葉広葉樹などの陽樹林が育ち、最終的には常緑樹などの陰樹林へと植生が遷移していく。この植生の流れを自然遷移または植生遷移という。

日本の場合、人間が何もしなくても裸地は数年後には成長が早い一年草の草が茂り、さらに数年後には多年草となり、30年ほどで陽樹林の森林となり、150~200年もすれば成長は遅いが長寿の陰樹林となり、安定した植生生態系となる。

その土地や気候によって最終的にどんな森林になるかは変わるが、最後の植生を極相林と呼び、寒冷帯や標高の高いところでは針葉樹林、雪が積もる地域ではブナ林、太平洋側などの暖かい地域では照葉樹林となる。日本の場合、極相林は奥山とか鎮守の森として積極的な利用はされられてきた。世界中でこういった極相林は姿を消しつつあり、残った極相林は原生林や国立公園として保護されているものばかりだ。20代の頃の私はこういった原生林ばかりを旅していた。

田畑はこの自然遷移から見ると、初期の段階だということがわかるだろう。イネ科やマメ科、キク科などの雑草が茂る場所がそうであるように、田畑で育てる野菜もまたもともとは森林とは全く違う環境で生育する種である。日本の里山という環境もまた、極相林の奥山とは対比されるように違う樹種から成り立つ。

自然農の鉄則の一つに「ヒトの手が入ること」というのがある。
それはヒトの手によって多くの野菜が育つ環境を維持するということだが、これは畑は放っておけば必ず森林になってしまうから、ちょうどよい環境に留める必要があるということだ。また耕作放棄地のように何かしらの条件が合わず単一の雑草が茂るところでは、自然遷移を進めてあげる一手を打つ必要がある。

土のステージで見たように土の肥沃度に応じて自然と育つ植物が変わる。自然遷移の法則では0から3に次第に植生は遷移していく。その期間の目安は2~3年ごとで、暖かく雨が豊富な地域ほど早い。痩せた土で育つ植物は痩せた土でも構わず育つほど相対的な効率が良い。一方、肥沃度の高い土で効率的に育つのは、実は肥沃度の高い土に適応して進化した(あるいは育種された)植物だけで、それが農作物に当たる。

そのステージに合っていなければ、うまく育たないばかりか病気や虫害にあってしまう。自然農の職人たちは虫害は自然遷移を止めたり、進める役割があると考え、それは「虫の知らせ」だと尊重している。

自然農における野良仕事とは「自然遷移のコントロール」のことで、人間にとって作物にとって最適な状態を巧みに維持することを意味している。自然農は放ったらかしではない。自然のままにすることは良いことのように思えるが、実際にやってみたら分かるように、草木がジャングル化し、人が入ることすら困難な環境になってしまう。

福岡正信がいう「無為自然」とは知や欲にとらわれずに、自然のままに任せることを意味する道教の言葉だが、人間があれこれ考えて肥料や農薬などを使うのではなく、野良仕事を最小限に抑えて、風土が育ててくれるようにすることだ。

つまり自然農とは自然と寄り添う営みであり、自然に抗う営みでもある。自然農とはこの自然遷移が持つ力を利用した栽培方法のことで、自然のレジリエンス(復元力)の過程で恵みをいただくことを意味している。

ここにビル・モリソンが掲げたパーマカルチャーの原則「自然遷移の加速」とは少し違う要素が生まれる。この違いが生まれたのは実は日本と欧米の自然遷移の違いに関係している。

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