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「いいか?人間が手を入れたら最後。もう人間は間違えてはいけなくなる。」


<畑の哲学>「いいか?人間が手を入れたら最後。もう人間は間違えてはいけなくなる。」

と昔、自然農を教えてくれた師匠が言ったことがある。
正直、どういう意味か全然わからなかった言葉だが
最近とあることで急に思い出し、やっと理解できた。

人間がタネを蒔く。
もう、この時点で自然界ではありえないところにタネが蒔かれてしまう。

人間が温床で、ポットで育苗する。
自然界では起き得ないタイミングと場所で発芽する。

人間が定植する。
自然界ではいるはずもないところにその野菜が登場する。

人間が支柱を立てて、誘引する。
自然界ではありえないはずの場所に向かって野菜が成長する。

人間が摘芯、摘果する。
自然界ではおかしな現象が起きる。

自然農とはいえ、それは決して自然ではない。
あくまでも自然農とは自然の摂理を活用した栽培方法である。

タネは蒔かれた瞬間に、その時と場に応じて、自然の摂理に沿って成長し始める。生命を全うしようとする。
だからこそ、人間は最適な場所を選んで、もしくは整えてタネを蒔かなくては行けない。
だからこそ、そこからは人間が手を入れるたびに
自然の摂理から逸れてしまってはいけなくなる。
すればするほど、人間は間違えてはいけなくなる。
自然の摂理から離れてしまえばしまうほど、人間のケアの回数も量も増えていく。

そう、だから本や動画の内容を正しく真似することよりも野菜を常に観察し、自然を理解し、こちらから寄り添わなくてはいけないのだ。

習ったことを真似してはいけない。真似るのは自然界なのだ。
野山の草は自然に育つ。人がすることを過信してはいけない。
たとえ職人であっても。たとえ有名人であっても。

人間の都合ではなく、作物の都合、自然の都合、地球の都合を第一にする。人間は徹底的にそれに寄り添うのだ。
それを職人たちは極意のように語る。
江戸時代の農書ではそれを天道と呼んでいた。
天道に沿っていれば自ずとあらゆる生き物たちが手助けをしてくれると。


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