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目からビーム!109 リトルフェザーがもたらしたもの~アイヌ、琉球、在日……エスノの使い方

 ウィル・スミスの平手打ち事件が世界を騒がせているが、アカデミー賞100年の歴史には、これまでもさまざまな事件があった。そのもっとも衝撃的なものは、1973年度のリトルフェザー事件であろう。『ゴッドファザー』で主演男優賞を受賞したマーロン・ブランドは「ハリウッドが長年、インディアンを一方的に悪者に描いてきたことに抗議」して授賞式を欠席、代わりにサチーン・リトルフェザーという名のネイティヴ・アメリカンの少女を送り込みメッセージを代読させた。突然のハプニングに会場は拍手とブーイングが入り乱れる大騒ぎになったのである。
 この一件ですっかりマイノリティ人権活動家として名を馳せることとなったリトルフェザーだったが、実際の彼女は、役名もつかないような無名の女優で、白人とのハーフであったことがスキャンダラスに報じられたりした。そればかりか、実はフィリピン系でインディアン衣装は単なるコスプレだったという無責任な噂も立ち、勤務していたサンフランシスコのラジオ局を辞めざるをえなくなった。その後の彼女は、B級映画でステレオタイプの「可哀そうなインディアン女性」を演じ続け、雑誌でヌードを披露したりもしたが、アカデミーでのインパクトを超えることはなかった。よくも悪くも大スター・ブランドの無邪気な「正義感」に翻弄された人生だったともいえる。
 


 それはさておき、リトルフェザーのパフォーマンスは、ある種の勢力に戦略上の大きなヒントを与えたのは確かだろう。エスニック衣装は、政治アピールの強力な武器になるということだ。国連の人権委員会にアイヌの民族衣装を着た女性の一団が現れ、恣意運動を行う風景は一時期名物となっていた。その甲斐(?)あってか、晴れて国連から「アイヌを先住民族と認めよ」という勧告を勝ち取ることに成功、この流れがアイヌ新法につながった。これがとんでもない失策であり、危険なことであるかは、プーチンの「アイヌはロシア民族であり、北海道はロシア領」発言で明らかになったではないか。ウクライナの惨劇がいつ北海道で再現されるかわからない状況を招いてしまったのだ。
そして今、これを静かにほくそ笑んで見ている国がある。次は沖縄だ、と。2014年9月、国連本部で行われた 「先住民族世界会議」の分科会に琉球衣装で参加した糸数慶子参議(当時)の背後にいるものを想像するのはたやすい。

琉球衣装で国連に登場した糸数慶子女史。活動資金はどこから出ているのだろう。沖縄タイムスより(2014年)
ゾウ委員は日本のことにお節介はやかずに、母国・中国で行われてるチベット、ウイグル、モンゴル人女性の迫害について報告すべきではないか。強制結婚、強制堕胎、強制不妊手術……おぞましい限りだ。ちなみにゾウ委員は英語が苦手らしい。(石井孝明氏のTWより)

初出・八重山日報
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(追記)リトルフェザー事件はかなりの衝撃波をアカデミー会場にもたらした。舞台裏では、ハリウッドでも右派と知られるジョン・ウェインが「あの娘を引きずり出せ」と苦り切った顔で吐き捨てたともいい、プレゼンターのロジャー・ムーアは彼女の退場時に、警備員6名をつけさせるを得なかった。彼女のあとに作品賞のプレゼンターとして登場したクリント・イーストウッド(彼もバリバリの右派)は、「ジョン・フォードの映画で(インディアンに)殺されたすべてのカウボーイにとって忘れられない日になりました」と皮肉った(後日、これも問題になるが)。
  当時のマスコミも「彼ら(インディアン)はこんな形の友情を求めているのか」「ブランドは、少女を使うんではなく自分が出てきて堂々と主張しろ」と、おおむね批判的な論調が多かったようだ。

 サチーン(サッシェンが原音に近いか)・リトルフェザーが本当にアパッチ族とヤギ族の血を引いているのかは不明(彼女の妹が、父はスペイン系メキシコ人、母は仏独蘭の混血と証言している)だが、ネイティヴ・アメリカンの権利拡大のための運動に挺身していたのは事実で、デモの動画で彼女の活動を知った『ゴッドファザー』の監督のフランシス・F・コッポラがブランドに紹介したのがことの始まりだ。
 女優としての彼女(別名マリア・クルズ)は、コラムでも書いた通りB~D級作品をウロチョロする無名の女優。日本公開作品は『笑う警官』(Laughing policeman 1973年)と『フリービーとビーン大乱戦』(Freebie and the Bean 1974年)ぐらいだが、両方ともクレジットなしの端役である。ちなみに後者は、B級作大好きのタランティーノのお気に入りの1本だそうだ。

▼『Counselor at crime』(1973年)でのサチーン・リトルフェザー。アカデミー賞でのハプニングと同じ年とは思えぬエロ姐ぶり。

『Jonny Firecloud』(1975年)では、白人に迫害を受けるインディアン娘役で、ハードコアもかくやという過激なレイプ・シーンを演じている(YouTubeにて視聴可能)。
 アカデミー授賞式でのパフォーマンスは、彼女の人生にも影を落としていった。ブランド家を訪れているとき、玄関に銃弾が撃ち込まれるなどの事件もあったようで、すっかりノイローゼになった彼女は、1978年を最後に女優業をセミリタイアし、慈善運動家、社会活動家として専念することになる。
 コッポラ、ブランドの作った虚像に振り回された半生ともいえなくもないが、女優としては一生縁もなかったであろうアカデミー賞のレッドカーペットを踏めたのだから、これはこれで良しとすべきか? いや、皮肉でなく、あのときの凛とした姿は、彼女の生涯のベストアクトだったと思う。

エイズ撲滅のデモ行進でのリトルフェザー。マザー・テレサとも親交があったようだ。
2018年、『サチーン、沈黙を破る』という自伝を発表。アカデミーでのハプニングの舞台裏を語っている。また、ステージ4の末期ガンであることも告白。翌年には同名のドキュメンタリー映画に本人として出演している。2022年10月2日、サチーン・リトルフェザーことマリー・ルイズ・クルスは天に召された。


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