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目からビーム!46 わが事を顧みず~『ゴジラ』、『七人の侍』、自衛隊

 鉛色の雨空がにわかに晴れ、虹が立ち、そして首相の万歳の声をもって帝都に21発の礼砲が鳴り響いた。まさに感動の一瞬であった。
 この祝砲、ただ大砲を撃てばいいのではなく、105ミリ榴弾砲の設置場所から850メートル離れた皇居宮殿にタイミングよく音が届くよう、音速を考慮して3・5秒前に発砲するのだという。ひとつでも手順が違えば、儀式は台無しになってしまう。改めて、わが陸自の日ごろの鍛錬と規律の正しさを見せられた思いがした。
 即位の礼の礼砲を自衛隊のハレの舞台とするなら、先の台風禍における救援活動の数々はまさに彼らのケの活動といえるだろう。被災した人々に毛布と温かい食事を提供するために、彼らがどれだけ水まみれ泥まみれとなったことか。風呂も入れず地べたに寝転がって仮眠を取り、冷たい缶詰の食事に甘んじるその姿を知るにつけ、日ごろ税金泥棒だの暴力装置だのと悪態つく者たちがいかに罰当たりかと言いたくなる。
 自衛隊が設立されたのは今から65年前の昭和29年。この年、日本が世界に誇る2本の映画が封切られている。『七人の侍』(黒澤明)と『ゴジラ』(本多猪四郎)だ。『ゴジラ』には設立間もない自衛隊が撮影に全面協力している。黒澤はかつて盟友である本多の『ゴジラ』をこう評した。
「『ゴジラ』を観ていると、警察や自衛隊が本当にきびきび働いていて実に猪さんらしいなあと思う。僕だったら、自衛隊が真っ先に逃げ出すような『ゴジラ』を撮るだろうな」。
 黒澤監督、それって、侍が真っ先に逃げ出す『七人の侍』を撮るようなものですよ、と思わず突っ込みを入れた記憶がある。ここいらへん、異例ともいうべき3度の招集を受け、つごう8年間も軍隊の飯を食ってきた本多と従軍経験をもたぬ黒澤の感覚の違いか。
 そんな黒澤の『七人の侍』だが、公開当時は自衛隊のPR映画だと左翼の評論家から随分叩かれたというから面白い。侍と彼らに指揮された武装農民が、アメリカ軍と自衛隊の関係を彷彿させるというのだ。七人の七は第7艦隊を意味するという珍説まであるという。
 黒澤の七人の侍も本多の描く名もなき自衛隊員も、わが事を顧みず人のためにつくすという意味で実は根っこは同じではないかと思う。

東宝砧撮影所にある『七人の侍』の壁画とゴジラの銅像。

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