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ブルース・リャン(梁小龍)最強伝説

三龍明星こそ本物

『燃えよドラゴン』(73)の大ヒットにより、日本にも大量の香港カンフー映画が上陸した。
 玉石混交のカンフースター群の中でも、三龍明星と呼ばれる正真正銘のドラゴンはこの3人だけだと言われる―李小龍(ブルース・リー)、成龍(ジャッキー・チェン)、それに梁小龍(ブルース・リャン)である。ブルース・リーはなかば神格化された存在として別格に置くとしても、梁小龍に与えられた“香港映画最強の男”という称号は、21世紀の今も健在だし、僕もその評価に1ミリの異論もない。
 日本お披露目は『帰ってきたドラゴン』(74)。ご存じ和製ドラゴン倉田保昭とのハイスパート・バトル、連続回転蹴りや驚異の跳躍力は、ブルース・リーの華麗なアクションとはまた違った興奮を僕ら中坊に与えてくれた。両足を使った壁登りを真似した人も多いのではないか。僕も友達との8ミリ自作映画でこれをやらされた。ブルース・リ―という一人のカリスマだけでは、決してカンフー映画ブームは起きなかったと断言したい。
 日本の配給元である松竹は、リャンを「ブルース・リーの愛弟子」と宣伝したが、プロモートで来日した本人がこれを否定。「会ったこともない」と言っている。実際、今見て見ると、リャンのアクションはリーとはまったく筋が違う。一説では。リーと同じく詠春拳を修行していた時期もあり、「兄弟弟子」が「直弟子」と間違って伝わったともいわれている。リャンは中国武術の他に日本の剛柔流空手の段位をもっているとのことだが、彼の変幻自在な足技はやはりテコンドー仕込みのものだろう。

「愛弟子」を強調するために、スチールも髪型などブルース・リーぽく見えるものをチョイスするなど、苦心のあとが。洋ピン専門館の地球座はB級カンフー映画の聖地でもあった。

 香港では、現在でも堂々たる功夫明星のレジェンドでありながら、他の二龍――李小龍、成龍に比べ、ポピュラー性という面で一歩譲るのは、リャンの全盛期の主演作のほとんどがショーブラザースの低予算作品であったこと、殺陣師あがりでルックスがイマイチなこと、後述する長期のブランクがあったことに起因すると思う。加えて、彼の発掘者である呉思遠監督命名によるBruceという英名がよくも悪くも、リーのエピゴーネンという印象を与えてしまったとも考えられる。先の「愛弟子」云々もそうだが、彼の全盛期を知らぬ(とりわけ海外の)新しいファンからは、ブルース・ライやブルース・リィと同様の「ブルースプロイテーション(リーもどき)」にカテゴライズされてしまうこともあっただろう。
 さておき、日本題名『帰って来たドラゴン』(原題『神龍小虎闖江湖』)は、ブルース・リーの再来ブルース・リャンの登場と、和製ドラゴン倉田保昭の凱旋というふたつの意味を込めた絶妙なネーミングだと思う。松竹洋画宣伝部のセンスに拍手を贈りたい。

最強の証明

 肝心のリャンの強さだが、これは事実が証明している。少年時代に両親が離婚、7人の弟妹と祖母との生活を支えるため、少年期から各種武術に励み、当時最年少16歳でショウブラの武術監督になったリャンは人一倍負けん気が強くケンカ早いことで知られた。若造、チビと舐められることは彼には我慢ならぬことだった。さすがに、撮影所でのケンカはなかったが、チンピラ相手のストリートファイトは数知れず、そのすべてをKOで飾っている。80年代の終わりには、数名の刃物をもった暴漢に襲われ、自らも数カ所を斬られる重症を負うが、相手全員を半殺しにしており、そのニュースは日本でも小さく報じられた。しかし、このときの入院休養が仇となってセミリタイアに入り、90年代をほぼ隠遁生活に費やすことになった。彼の銀幕復帰作は、大ファンを自認する周星馳(チャウ・シンチー)に三顧の礼で招かれての『カンフー・ハッスル』(2004)である。

香港映画界の闇

 李小龍とは「会ったこともない」リャンだが、成龍とは彼のブレイク前の主演作『飛渡捲雲山』(78)で共演している。リャンはジャッキーの相棒役のため、残念ながらふたりの対決はないが、「耳の聞こえない足技の達人」という設定はまさにリャンのためのものといえた。
 この映画の撮影中、ジャッキーと育ての親のロー・ウェイ監督の確執が表面化。ジャッキーは途中降板してしまい、残りの格闘シーンはジャッキーには似ても似つかないダミー俳優が演じているという珍作になってしまった。しかも、ジャッキーはロー・ウェイの独立プロを無断で飛び出し、ゴールデン・ハーベストと契約している。怒ったロー・ウェイは黒社会の人間を使ってジャッキーを監禁脅迫し、ここで手打ちに一役買ったのが、そのスジに顔の利く(というより黒社会のメンバーでもある)、”天皇巨星“王羽(ジミー・ウォング)だったというのは有名な話である。
 ジャッキーも自伝で明らかにしているように、香港の映画界は三合会と深い関係にあった。三合会は、中華フリーメイソンとも呼ばれる秘密結社・洪門(ホンメン)系の組織。洪門は清朝末期に反清復明を旗印に結成され、南派少林寺の洪家拳という拳法の流派を源流としており、ジャッキーが『酔拳』で、ジェット・リーが『ワンスアポン・タイム・イン・チャイナ』でそれぞれ演じた黄飛鴻(ウォン・フェイフォン)も実在の洪家拳の達人である。つまり、武術、芸能界、そして秘密結社は昔から華僑世界では三位一体の関係にあるのだ。
 ブルース・リーの“謎の死”にも三合会の影がちらつくと昔から言われていた。『ドラゴン怒りの鉄拳』で、神的スターとなったリーは、Gハーベスト社長のレイモンド・チョウにさえ逆らうようになっていた。リーはこのころ、米ワーナー映画との契約オファーをチラつかせたり、これ見よがしにライバルのショウブラのスタジオに出入りしてチョウをいら立たせていたという。

▲『飛渡捲雲山』。二龍が並ぶ。上記のような事情から、残念ながら日本未公開。武侠モノのようだ。

夫人を襲った悲劇

 リャンに話を戻すが、彼が暴漢に襲われた事件も解せないことが多い。白昼堂々、相手はリャンと知って斬りつけているのである。幸い撃退したのだから、リャンも退院を待って映画界に復帰してもよかったはずだ。10年間に及ぶ不可解な沈黙を考えると、三合会とはいわないが、背後に何らかの組織とのトラブルを疑うのは自然だろう。実はリャン、前述した性格からか、一時は、黒社会のメンバーとの衝突も耐えなかったという。
 リャン事件から10年前の79年、彼の当時の愛妻・黎愛蓮(アイリーン・ライダー)も何者かに襲われている。アイリーンは、香港・米国のハーフの女優・歌手で、70年の大阪万博では香港代表として来日、『ドラゴンへの道』のオーディションでは、ノラ・ミャオと最後までヒロイン役を争ったという香港では知らぬ者はいないスターだった。その彼女が自宅マンションから出てくるところを待ち伏せしていた複数の男によって硫酸をかけられ、顔の半分を火傷するという陰惨きわまりない被害を受けたのだ。

ありし日の梁小龍夫妻。長女も生まれて絶頂にあったが。硫酸事件時、二人は既に別居中で、この事件が離婚の直接の原因ではなさそうだ。95年、リャンは20歳年下の女性と再婚し、話題を撒いた。

 噂によれば、彼女はさる黒社会の大物の愛人だったことがあり、リャンに走った彼女に激昂したそのボスが手下を差し向けたのではないかとのことだが、さだかではない。
 それはさておき、そんなヤバい組織に睨まれながらも、80近い今も現役を続ける功夫巨星・梁小龍は、やはり香港映画が生んだ最強の男と呼んで差し支えないのではないか。
 

▲2013年、『ドラゴン・コップ』(原題・不二神探)ではついにジェット・リーとの対決が実現。願わくば、この二人の戦いはリャンの全盛期、しかもワイヤー&CGなしで見たかった。


『燃えよ!じじいドラゴン』(2013)。リャンの他、チェン・カンタイやチャーリー・チャンなど往年の功夫スターが集結。タイトルロールからして70年代カンフー映画のオマージュ全開。じじいになってもドラゴンはドラゴンだ。
いかにもヅラ丸出しなのはご愛敬として、見よ、このすさまじい拳ダコを。近年は、ひと癖あるコミカルな悪役を楽しそうに演じている。

▲20代から70代まで梁小龍強さの詰め合わせ。TVシリーズだが、『精武門』モノでも主演している。ブルース・リーとのアクション比較の好資料。

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(初出)「昭和39年の俺たち」2014年1月号


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