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目からビーム!162 亜細亜とアジア~「大東亜戦争」でなければ、あの戦争の本質は伝わるまい。

 早いもので一年の4分の1が過ぎようとしている。今年は元旦の能登半島地震に続いて、東アジア反日武装戦線さそりの桐島聡の身柄確保という衝撃のニュースが相次いだ。思えば、僕の小中学時代は、極左グループによる爆弾テロの全盛時代と重なる。標的は企業だけでなく警察関係にも及んだ。先生からは、危険だから交番に近づくなと言われたことを憶えている。落とし物を拾っても交番に届けることもできなかったのである。
 東アジア反日武装戦線という不思議な名称も強烈に印象に残った。その名を額面通り解釈すれば、アジアに連帯し反日のための武装闘争を行う黒色主義(アナーキスト)のグループとなる。それまで共産革命を掲げる新左翼グループはいたが、「反日」を謳った組織は彼らが初めてでなかったか。では彼らはなぜ日本人であるのに反日なのか。なぜアジアなのか。答えはシンプルだ。「日本が侵略戦争を起こしアジアの国々に酷いことをしたから」であり、テロは「戦争で儲けた企業に懲罰を与える」ためのものだというのだ。
これ以降、アジアという語は極左、穏健派問わず、左翼の専売特許となった感がある。曰く「アジアの声を聞け」、曰く「アジアへの賠償は済んでいない」、曰く、曰く…。
 しかし、戦前に遡るなら、アジア(亜細亜)に積極的にコミットし連携をしていたのは、右翼・国士と呼ばれる人たちだったではないか。孫文(中国)、ラス・ビハリ・ボース(インド)、金玉均(朝鮮)ら、独立運動家が亡命中これを支援したのが、頭山満、宮崎滔天、内田良平といった面々だ。彼らの大アジア主義はやがて大東亜共栄圏構想に繋がる。やはり「太平洋戦争」ではあの戦争の本質は伝わらない、「大東亜戦争」という呼称を復活させるべきである。侵略が目的の戦争だったら、敗戦後も現地にとどまりアジアの同志とともに独立戦争を戦いぬいた旧軍兵士たちの存在をどう説明するのだ。結果だけを述べるなら、あの戦争を機に、アジア諸国の解放と独立は進み、それは遠くアフリカにも飛び火した。
 一方、日ごろアジアの代弁者のような顔をしている左翼は、アジアの独立発展に何の寄与もしていないばかりか、反日であることがアジアの味方だと勘違いしている。
 左翼史観に毒された日本の若者がアジア諸国を旅行すると、現地のお年寄りから日本語で話しかけられたり、日本人ということで存外の親切を受けたりして、教科書には載っていないアジアを体験し、認識を改めるということも少くないらしい。日本はアジアの一員である。左翼の手から「アジア」を取り戻そう。

初出・八重山日報

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