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『反日のエロス』序章~日韓関係とは変態関係である

すべては変態さんが教えてくれた

 現在、嫌韓、笑韓、呆韓と、さまざまなアプローチの韓国分析本が書店に並んでいます。不肖私も韓国ウォッチャーのひとりとして、スポーツ紙や週刊誌、TV、ネット放送局などからコメントを求められることが増えてきました。
 私は大学の教授でも国際派のジャーナリストでも通信社の特派員でもない、一介のおたく系ライターです。さらに物書きとしての出自をたどるなら、アダルト系雑誌、いわゆるところのエロ本の出身ということになります。18歳のとき実話雑誌に書いた原稿用紙6枚程度のエロ告白手記(むろん、内容はフィクションです)が、生まれて初めて原稿料なるお金を頂いた仕事でした。当時は振込みでなく小切手で受け取ったのを今ではなつかしく思い出します。その後、自動販売機系のアングラ誌の編集などを経て、いろいろなジャンルのアダルト雑誌を経験してきました。その中でもとりわけ自分の資質に合っていたのは、SMを中心とする各種マニア向け雑誌だったと思います。中高生のころから、谷崎潤一郎や江戸川乱歩といった作家に惑溺し、人間の異常心理や性倒錯といったものに心惹かれていた者にとって、取材を通してのマニアとの出会いや読者の変態さんから頂く手紙や電話(当時は電子メールもありませんでした)は貴重な体験でした。
「人間という存在は、なんと不思議なものだろう」、変態マニア雑誌を通して学んだ、私の人間哲学のようなものがそれです。それらはすべて現在の私の物書きとしての血肉になっています。思えば、動物に性倒錯というものはありません。サディズム、マゾヒズム、ペドフェリアにスカトロジー、各種フェティシズム……。いわば、変態とはひどく人間臭い世界なのです。

ゲル状の反日

 さて、韓国といえば、中国と並ぶアジア有数の反日国家であるのは言うまでもありません。しかし、両国の反日はそのテイストが大きく違うような気がします。中国の反日はどこか政治的です。ひとことでいうなら、手段としての反日ということになります。尖閣諸島を巡る反日暴動にしても、それが反政府暴動に変貌しないように党本部が微妙な匙加減を加えていることはよく指摘されることです。暴徒の方も、半ばそれを承知の上で合法的に破壊行為を楽しんでいるわけで、官製デモ、官製暴動といわれるゆえんでもあります。今後、政治的に利ありと判断すれば、(あくまで表向きにせよ)親日国に豹変することも可能性という意味からすれば、ゼロとは言い切れないのが、中国という国の不気味なところです。
 文革時代、あれほどすさまじい焚書坑儒をやっておきながら、ロビー活動に”東洋の英知”孔子の権威が利用価値ありと判断すれば、シラッとした顔して、孔子学院なるチャイナ・スクールを世界各国の大学に作らせる国なのですから。最近ではノーベル平和賞に対抗して「孔子平和賞」を設けたというのですから、その面の皮の厚さは銃弾でもはじき返しそうです。
 一方、韓国の反日はもっと情念的で発作的、かつどこか粘っこい印象を受けます。中国の反日がドライなら韓国の反日はウェットです。夏の日の背中に汗で引っ付いたシャツの、あの感じです。さらりとはしていません。ゲル状です。
 韓国も軍事政権下では政治的な手段としての反日の使い方はありましたが、金大中(キム・デジュン)左翼政権以降は、代が変わるたびに反日そのものが目的となってしまった観があります。2013年2月、韓国太田地裁が、長崎県対馬の観音寺から盗まれた仏像の返還を認めない仮処分決定を下しました。これなど韓国の裁判所による日本に対する嫌がらせにしか見えません。盗品の仏像はともかく、この裁判で彼らが得たものは何だったのでしょうか。観音寺住職を初め親韓派の対馬島民を怒らせ、交流イベントの中止を招いただけでなく、対外的には、韓国の司法というものはおよそ文明国のそれではないということを印象づけて終わりました。
 もし、これが中国であったなら、政治的になんの利益にもならないこんな子供じみた嫌がらせはしないでしょう。とりあえず、恩着せがましく仏像を返還したあとで、「日中友好」を名目に仏像の共同管理を持ち出すはずです。その上で、媚中派をたらし込むもよし、学術員と称して工作員を島に送り込むもよしと、何かしらの利につなげるはずです。逆にいえば、中国人は利でしか動かないということです。
 これをみれば、韓国の反日がいかに非合理的で場当たり的であるかがわかります。言葉を換えればヒステリー的といってもいいでしょう。どうやら、韓国は損得抜きで日本が嫌いなようです。それでいて、韓国経済は何から何まで日本に依存しまくりというのだから不思議でなりません。嫌いなやつのほどこしは受けたくない、というのは日本人だけのメンタリティなのでしょうか。

反日という甘え

 自動車、家電、半導体、造船、製鉄、現在、韓国が誇るこれらの産業は日本の技術指導なければ成り立たなかったものばかりといっていいでしょう。工作機械や原材料ひとつとっても日本が輸出をストップしたら、韓国の工場は明日から閉鎖を余儀なくされるのです。韓国の生殺与奪を握っているのは、日本であるといって過言ではありません。
 韓国はどうして、あれほど日本を憎みながらいざというと日本の世話になろうとするのでしょうか。日本はどうして、あれほど自分に呪詛の言葉を投げかけ、ことあるごとに足を引っ張ろうとする韓国に対して甘い態度を取り続けてきたのでしょうか。インドとパキスタン、イランとイラク、イスラエルとパレスチナ、世界には地理的歴史的に関係が深くなおかつ憎しみあっている国同士、民族同士の例は決して珍しくありませんが、たとえば、パキスタンがインドに対し技術支援をねだったという話は皆目知りません。日韓のようにギクシャクした関係を続けながら常にもたれかかっている二国というのが、むしろ珍しいのです。日韓のこの関係を合理的なロジックで解説していこうとしても、ますますドツボにはまるだけです。

「日帝36年」の印籠反射

 多くの日本人は韓国人から「日帝36年」を持ち出されると、そこで思考停止してしまい、一歩も二歩も後ずさりし、相手のどんな理不尽も仰せごもっともというふうにひれ伏してしまうところがあります。まるで水戸黄門の印籠を見せ付けられた悪代官のようです。私はこれを「日帝36年=印籠反射」と呼んでいます。
 かつて『ここがヘンだよ日本人』という人気トーク番組で、西アフリカ・ベナン共和国出身のゾマホン・ルフィン氏(現・駐日ベナン国大使)が、小渕恵三総理(当時)が1998年10月、金大中過酷大統領(当時)との間で交わした日韓共同宣言において「(過去の歴史の)痛切な反省と心からのお詫び」を入れたことを高く評価して、「日本は韓国を35年支配した。ヨーロッパ諸国はアフリカを7百年も奴隷貿易と植民地支配で苦しめたが一度も謝罪したことがない。私は日本は素晴らしい国だと思う」と発言しました。日帝印籠のフラッシュ効果が今とは比べ物のならないほど高かった時代だけに、彼のこの発言に胸のすく思いを感じた日本人も多かったでしょう。言いたくても言えないことをアフリカ人であるゾマホン氏が言ってくれたという思いです。

ゾマホン・ルフィン氏。日本でのタレント活動で祖国ベナンに3つの小学校と1つの日本語学校を建てた。

 ところが、です。スタジオにいた韓国人の女性が立ち上がり、ゾマホン氏のこの発言にこう食ってかかったのです。 
「10回レイプされた人(アフリカ)が、『あなた(韓国)はたった1回レイプされただけだから我慢しなさい』と言っているようだ」
 この後、スタジオは韓国人、中国人、それにゾマホン氏の発言に同調する他の外国人の怒号が飛び交い収集のつかない状況に陥っていました。
 辛淑玉氏という韓国籍の在日朝鮮人(ご本人はこの呼び方にこだわりがあるようです)の女性が『朝まで生テレビ』に出演した際、スタジオ見学に来ている日本人大学生たちにこのような言葉を投げかけています。
「あなたち(日本人)が強姦して生ませたのが在日朝鮮人韓国人です。それを認識しなさい」
 日本人が強姦して生ませたなら父親は日本人ではないか? という素朴な疑問はさておき、辛女史と先の韓国人女性の言葉は、日韓併合を強姦=レイプに喩えているということで共通しています。私は彼女たちのこの表現に、なんとなく釈然としないもの、いや、はっきり言えば、ある種の気持ち悪さを覚えたものでした。
この発言とおそらく時をほぼ同じくして、西村慎吾衆議院議員が「週刊プレイボーイ」(1999年11月2日号)のインタビューで、「国防とは(日本女性が)他国の男に強姦されるのを防ぐこと」と発言、これが「女性の人権を公然と侵害する」ものと激しい抗議に合い、防衛政務次官を辞任に追い込まれているのだからなおさらです。
 むろん、政治家と一般人では発言の重みが違うのは当然ですが、西村発言に対しあれほど反応した社民党の女性議員たちには、先の韓国人女性二人の発言をどう思うのか一度伺ってみたいものです。

辛淑玉氏(小円遊ではない)。「不法滞在は凶悪犯罪ではなく信号無視程度のもの」など反日迷言多数。

日韓併合をレイプに喩える韓国の特殊性

 まだありました。
 韓国で現在のような狂気的な反日が加速したのは、初の文民大統領(それまでは軍事政権)である金泳三(キム・ヨンサム)政権からといわれています。金大統領は併合時代の建造物や習慣を”日帝残滓"として徹底破壊、排除する”文化小革命”を実行しました。槍玉に上がったのは、大は当時博物館として使用されていた旧総督府庁舎から小は桜並木、学生服や、あるいは教室での「起立・礼・着席」の掛け声、といったものにまで及びます。総督府が測量のために地中に受けた鉄杭を「日帝がわが国の風水を乱し気脈を塞ぐために打った」と称して抜き取る運動を始めたのも彼です。
 ゴチック建築の旧総督府庁舎に関しては、美的な観点からも歴史的建造物として保存すべきという声は韓国国内からも多数あり、保存派と撤去派でしばし論争になりました。撤去派の一人、『ソウルに刻まれた日本』(桐書房)の著書で日本でも知られる作家の鄭雲鉉(チョン・ウンヒョン)氏はこういって撤去を主張したといいます。
「妻が強姦されて生まれた子供がいかに可愛くても自分の子供にすることができない」(崔吉城『「親日」と「反日」の文化人類学』明石ライブラリー)。
 彼の強姦発言が大勢に影響を与えたのかはわかりませんが、総督府は取り壊しが決定し(1995年)、現在は跡形もなくなっており、尖塔部分のみ天安市の独立記念館に保存されています。
「妻が強姦された」というのですから、鄭氏の表現は先の女性ふたりよりも数段強烈です。これで驚くのは早い。「娘が強姦された」という喩えもあるようです。
 日韓基本条約は締結までおよそ12年にわたる長い交渉がありました。何度目かの交渉の席上、ひたすら併合時代の被害を述べ立てる韓国側代表に、日本側の主席代表だった久保田貫一郎外務相参与(当時)は、「日本の朝鮮統治は鉄道や港湾を作り、農地を整えるなど、多くの利益を朝鮮人にもたらした」と発言し、結局これが原因で交渉は一時決裂するのですが、時の岡田勝男外相は彼を更迭するどころか「当たり前のことを当たり前に話しただけ」と、これを擁護しています。昔の日本は、大臣にも外交官にもずいぶんと腹の座った人物がいたものだと感心してしまいますが、当然ながら、韓国国内はこの発言にヒステリックな反応をしました。
『倭の大王は百済語で話す』(三五館)などのトンデモ歴史本の著作で知られる漢陽大学元教授の金容雲(ルビ・キム・ヨンウン)氏は久保田発言を報道で知ったときの感想をこう記しています。
《私はつくづくと、「恩」という意味が日本と韓国ではそれほどちがうものかを痛感した。たとえていうならば、だいじに育てられた箱入り娘を手籠(てご)めにし子どもを孕(はら)ませた痴漢が、あつかましくも「よい種を孕ませたからありがたく思え」とぬけぬけといい張るのと同じようなものだ。》(金容雲『韓国人と日本人』サイマル出版会)
 他にも書籍や新聞記事を丹念に探せば、同様の日帝強姦論を多数見つけることができるかもしれませんが、きりがなさそうなので、やめておきます。

日韓関係は人間臭い関係

 私が無知なだけかもしれませんが、たとえば、「英国がマレーシアや香港をレイプした」「スペインが南米諸国を犯しまくった」という表現を聞いたことがありません。いわんや「イングランドがアイルランドを手籠めにした」という表現も聞いたことがありません。「ドイツがオーストリアを強姦した」わけでもなく、「新羅が高句麗や百済を強姦した」わけでもないようです。日本は渡来人が作ったと主張してやまない韓国の歴史学者が「弥生人が縄文人をレイプした」といわないのも解せない話です。
 韓国人の意識の中に、歴史において、とりわけ「日韓併合」だけを強姦に喩えたい"何か"があるのではないでしょうか。ここまで読んでいただければ、私が先にいった、気持ち悪さがなんとなくでも理解いただけたかと思います。日本に対して彼らが向けるまなざしにとても気持ちわるいものを感じるのです。
 くわしくは別稿で触れますが、私は2004年1月の盧武鉉韓国大統領(当時)の「独島(竹島)はわが妻」発言に強烈な違和感を覚え、その発想がどこから来るのか、あれこれ考えをめぐらしました。考えた末にすべての合点が行ったのです。私は、日韓関係、ありていにいえば、両国を結ぶ反日と嫌韓(あるいは媚韓)の関係を、エロスが介在する特殊な関係であると思います。あけすけな言葉でいえば、変態関係です。
 本書は、性倒錯、リピドー、エロス、というキーワードで、倒錯した日韓関係を分析し、日本と韓国を論じるという、たぶん類例のない本です。大学の教授でもなく、国際派のジャーナリストでもなく、通信社の特派員でもない、元マニア成人雑誌のライターの視点から書かせてもらいました。
 先にも書きましたが、変態は人間臭い世界です。変態は人間の縮図です。いい換えるのなら、日韓関係はかなり人間臭い関係ということなのかもしれません。
 もちろん、私は、犯罪にならぬ限り、いかなる変態行為、変態関係を否定するものではありません。しかし、それは個人と個人の問題であって、国と国の問題としては別です。なぜなら、国は破滅させるわけにはいかないからです。
 いい年して親離れ、子離れの出来ない親子がいます。彼らをよく観察すると、何がしらかの共依存関係にあることが理解できます。いってみれば、親子というカテゴリーにおける変態関係です。このタイプの親子では「美空ひばりと母親・喜美枝さん」のような生産性のある仕事を成し遂げるペアは極々希少な例といっていいでしょう。多くはお互いの欠点によりかかった退行的な親子関係に終始します。息子、娘の結婚後もそれは続くようです。
 親離れ、子離れ、の大切さを説くように、日韓両国にも、いい意味での韓国離れ、日本離れ、が必要だと進言したいのです。そして、21世紀はそのよきチャンスであると思います。独立から70年も経って今だに旧統治国にグチグチ言うのは世界中広しといえども韓国ぐらいなものです。
 韓国には一日も早く精神的な意味での独立をはたしてもらいたい。同時に、日本も一日も早く自虐史観から脱却をすべきだと思います。そんな思いを込めながらこの本を書きました。

(初出)

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