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僕が語っておきたい下北沢⑦~ピーマンお好きですか?

 山田太一氏が亡くなった。60~80年代のテレビ全盛時代を支えた脚本家がどんどん鬼籍に入られていく。役者で見るドラマ以外に、脚本家で見るドラマもあるもだな、ということを教えてくれたのが山田太一氏だった。今でも多摩川の川べりを歩くときは、ジャニス・イアンの『Will you dance?』をイヤホーンの供にしている(わかる人にはわかるよね)。
 わが銀紙楼の3件となりにポッケという小さなスナックがあった。夜は酒場だけれど、昼はランチをやっていて、よく食べにいったものだ。
 舞台俳優が本職だというマスターのつくるランチ弁当は、四角いお重の中におかずが彩りよく並べられていて、それ自体が小さな劇場のようだった。特に、付け合わせに出てくる椎茸の肉詰め天ぷらは、揚げ物であるのにあっさりと口当たりが品よく、メインのおかずを引き立てる名脇役のふうだった。
 ある日、ポッケで食事していると、隣のテーブルからこんな声がした。
「悪いな、ピーマン全部残しちゃったよ」
 常連らしい、そのおじさんのテーブルを見ると、お重のふたに取り分けたピーマンがきまれいに積まれていた。
「かまいませんよ。どうぞ、残してください」
 マスターが優しく声をかける。おじさんはなおも「たいたいピーマンなんて人間の食い物じゃないよ」などと悪態をついて見せるが、その顔はどこか悪戯が見つかった子供のようでもあった。おじさんは上機嫌で勘定を済ますと、ポッケをあとにした。隣のテーブルには、鮮やかなピーマンの緑だけが残った。
「今いた方、脚本家の佐々木守さんですよ」
 マスターがそっと教えてくれた。
「あの『ウルトラマン』の!?」
 ウルトラマンの佐々木守、という評価をご本人がどう思うかはわからない。ただ、僕にとって佐々木守は、「故郷は地球」「怪獣墓場」といった『ウルトラマン』異色エピソードの脚本家として、実相寺昭雄とのカップリングで記憶に深く刻印された名前だった。
 そうか、佐々木守の弱点はピーマンなんだな。そう思うとちょっぴり可笑しかった。そういえば、佐々木氏がメインライターを務めた『ピーマン白書』というドラマがあったが、低視聴率(ドリフの『全員集合‼』の裏だからいたしかたないとはいえ)、わずか5話で打ち切りになったという。ピーマンの呪いだろうか?

佐々木守。『ウルトラマン』『怪奇大作戦』の他、『お荷物小荷物』や『赤いシリーズ』など。『アイアンキング』は彼の反天皇思想が色濃く反映されている。かと思えば、同郷の保守政治家・森喜朗とは昵懇の仲だったという。

 むろん、佐々木氏が日本赤軍シンパで、重信房子のゴーストライターを務めたことなども知っているには知っていた。そんな佐々木氏が、梶原一騎原作の、いくぶん国粋的な匂いもある『柔道一直線』(主人公が日の丸の旗に命を救われるエピソードもあった)を書いていたというのはなんともご愛敬。あの時代の子供番組は、佐々木氏のような極左もいれば、はたまた川内康範氏のような民族派が制作に関わっていたのだから今考えると興味深い。だからこそテレビが面白かった、ともいえるのだが。

佐々木氏がゴーストライターを務めた重信房子著『わが愛わが革命』

 ちなみに、ピープロには、やはり赤軍シンパで大島渚の懐刀として知られた清水一夫がいた。清水氏と佐々木氏は、当然面識があるはずで、隠れ赤軍映画『戒厳令の夜』(1980)のスタッフロールにも名をつらねているが、なぜか佐々木氏はピープロ作品での執筆はない。余談ついでに記せば、清水氏が重用した脚本家は倉本聰氏の秘蔵っ子の高際和雄氏で、清水・高際コンビによる子供番組らしからなぬ沈鬱でダークな作品群(『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』)を僕はピープロ・ノワールと呼んでいる。
 佐々木守氏とはその後、ポッケや駅前の本屋で何度かお見かけした。下北沢に事務所があるらしかった。街中で有名人に声をかけたりサインをねだるのは、趣味ではないので、そのままだったが、今思えば、少しだけでもお話ができればよかったかな。佐々木氏は2006年に、高際氏は2007年に物故されてている。昭和テレビは遠くなりけりである。
 いつの間にかポッケも店じまいしている。あのランチをもう一度食べたかった。

興行的には失敗に終わった『戒厳令の夜』。脚本は夢野京介こと竹中労と佐々木氏の共同執筆。プロデュースに若松孝二。助監督は『風雲ライオン丸』にも参加した崔洋一、カメラマンに宮嶋義勇といった、そのスジのオールスターが揃った。



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