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タイガーマスク伝説の原点

 日本のプロレス史において、真の意味での天才は3人しかいないと思っている。力道山、アントニオ猪木、それに佐山聡(初代タイガーマスク)である。異論はあるかな。
 タイガーマスクのデビュー戦(81年4月23日・蔵前国技館)は鮮烈のひとことだった。この3日前の20日、ワールドプロレスリングを放映しているテレ朝は、アニメ『タイガーマスク二世』をスタートさせており、“謎のマスクマン”タイガーマススの登場は明らかなタイアップ企画である上に、急ごしらえの虎の覆面はアニメ以上にマンガチックで、リングインした際には、観客から失笑さえ洩れたほどだ。対するは、ジュニア時代の藤波の好敵手だったダイナマイト・キッド。うるさ型揃いの新日プロレス・ファンは、この「子供だまし」を爆弾小僧がどうあしらうのか、手ぐすね引いてゴングを待っていたというのが本当のところだろう。

『タイガーマスク二世』。♪白いマットのジャングルに~の一世ほどに記憶されず、現実のタイガーマスク(佐山)のインパクトにも勝てず、埋もれてしまった悲劇のアニメ。

 しかし、いざ試合が始まると、空気は一変した。虎覆面は今まで見たことのない独特のステップで爆弾小僧の周囲を巡り始めたかと思うと閃光一発の跳び後ろ回し蹴り。失笑はどよめきに変わった。試合は終始、虎覆面が爆弾小僧を翻弄し、最後はブレーンバスターを切り返してのジャーマンスープレックス。高度、スピード、ブリッヂの美しさ、すべてが完璧で、後にも先にもこれを超える原爆固めを僕は見たことはない。呆然とするキッドをリングに残し、さっと去っていくタイガー。その去り方も実にかっこよかった。あの夜、あの跳び後ろ回し蹴り一発に、未来のプロレスが見えたような気がした。


 その後、虎の覆面は新調され、何度かのマイナーチェンジを経て、おなじみのスタイルとなったが、人気絶頂の83年8月、佐山タイガーは引退を表明し、突如、その覆面を抜いてしますのである。
翌年、全日本プロレスに、三沢光晴の2代目タイガーマスクが登場する。三沢は名レスラーに違いなかったが、虎の覆面を被っている以上、常に天才=佐山タイガーと比較されてしまうのはいたしかたないことで、ファンとしても不憫だった。現在まで、日本でタイガーマスクを名乗ったレスラーは佐山を含め7人いるという。さらに、タイガーマスクもどきの虎仮面(タイガースマスクなど)は女子も合わせて、やはり同じ数ぐらい存在する。しかし、今にいたるまで誰一人して天才・佐山タイガーを超える者はいない。
 一般に佐山を初代タイガーマスクと呼ぶが、これは正確には梶原一騎公認の初代ということで、実はそれ以前の71年、当時日本プロレス所属だったサムソン・クツワダが、大木金太郎プロデュースの韓国遠征でタイガーマスクに変身している。試合の写真が残っているが、彼の被った覆面は、猫耳こそついていないが、佐山タイガーがデビュー戦で被っていたものとよく似ている。アニメ『タイガーマスク』は当時、韓国でも人気で、それを当て込んでのサプライズだった。クツワダは飛行機の中で突如、覆面を被って空港を出るように言われ、それに従ったのはいいが、税関で拘束されるハメになる(当たり前だ)。
 その他、海外武者修行中の大仁田厚が佐山より先に、虎覆面を被りタイガーマスクを名乗っていたという情報もあり、となれば、佐山タイガーは通算3代目ということになる。
 佐山タイガーがデビュー戦で被っていた、あの一見マヌケな布マスクだが、40周年を記念してレプリカが販売されていることを最近知った。ファンからすれば、これもレジェンドなマスクということになるだろう。
 いっそ、これからタイガーマスクを名乗るレスラーは、この布マスクからスタートしてみたらどうだろうか。佐山がキック一発で、嘲笑をどよめきに変えたように、このマスクから新たな一夜の伝説、未知のプロレスが生まれたとき、そのタイガーマスクは初めて初代を超えるのだ。

タイガー・デビュー戦レプリカマスク。

初出・『昭和39年の俺たち』2004年3月号

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