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ドラマ版「モテキ」の話

私には毎年の夏、義務として必ず執り行う儀式がある。それは、8月になったらドラマ版「モテキ」を見直すというものである。

多分、感覚的には毎年8月の終戦記念日に火垂るの墓を見るような感覚に近いと思う。過去、8月にはなぜか激しい修羅場を伴う恋愛の経験が多くあり、それらを弔う気持ちで何だかんだ毎年見てしまう。三角関係とか、略奪愛とか、胃が痛くなる思い出がなぜか8月に集中する。

モテ期というのは、俗説では人生で3回訪れると言われている。あなたにはモテ期はあっただろうか。ぜひ聞いてみたい。

恥ずかしい話をつまびらかにするが、私はいままで二度「モテキ」と呼んでいいんじゃないかと思う時期があった。一度目が中学2年、二度目が26歳であった。この感覚がどれだけ共感を得られるのかはわからないが、私がモテ期に対して思うのは「基本的に徒労と後悔のみで何も残らない」というものだ。

理由は複数あると思う。モテ期というのがそもそも受動的で、自分の中で「こんな人と付き合いたい」「この人がいい」という軸がないから、複数の異性に目移りしてしまい、結局何も残らない。また複数のデートを並行して進めなければいけないから一人一人のケアがおざなりになり何も残らない。または謎のモテ感と自己承認欲求に満足してしまい、結果主導権は全て相手に握られており結局何も残らない。

この辺の解釈が合うから、ドラマ版のモテキは素晴らしいのだ。

ドラマ版モテキで、主人公幸世の本命は夏樹ちゃんだ。いわゆる魔性の女、小悪魔タイプ女子である。こういう女性に、私とか幸世みたいな心に童貞飼ってる系男子も、藤本みたいな女性経験ある程度豊富系男子も結局ハマってしまうのは真理でしかない。

「林田…俺分かったわ!いや全然わかんねえわ!俺さぁ…俺もうモテキなんか要らねえわ」
「俺にはもうモテキなんか要らない そうだ次は俺が誰かのモテキになるんだ
(誰かのモテキに続く)

引用:モテキ エピソード12 男子畢生危機一髪

これが本当に金言なんだよな。私が毎年モテキを見直すのは、もしも自分自身が変なモテかたをすることがあっても軸をブラさず、逆に自分が誰かのモテキの一人になることを忘れないためなんだよな。

私は誕生日を迎え、31歳になった。大人として成長できたこと、大人のフリが上手くなったこと、年齢に対して成長が足りていないこと、それぞれ理解しているつもりだ。人としての課題や問題はまだまだあるが、改めてどんな時でも自分だけは自分自身の味方でいられるようにしたい。そして全員に好かれることをきちんと諦め、気持ちを理解しあえる友人達のいつでも頼れる味方でいられるようにしたい。

このエントリーの締めに、ドラマ版モテキのエンディング曲、Half-lifeの「J-POP」を聴いてほしい。相手のことを考えすぎると自分を見失い、自分を見失わないために相手を忘れる。モテキのさなかでは、モテている人も、モテさせている人たちも、常に揺さぶられ、揺れている。

感情のままに生きていくというのは
時に誰かを傷つけてしまい
思ったことを口に出せないのは
時に誰かを孤独にさせてゆく
その駆け引きを少しでも
そう少しでも 間違えた僕
一瞬で 大事な何かを失ってしまったよ

引用:Half-Life 「J-POP」

恋愛の駆け引きについて上手く表現する歌詞はこの表現以外に本当に知らない。思ったことを言うことで誰かが不幸になり、逆に言わないことでも誰かが不幸になるかもしれない。本当に恋愛に正解はないから、マニュアル本も恋愛工学も全く意味がないし、ましてやショート動画で流れてくる「相手を沼らせる方法」なんかに頼る恋愛に価値はないし、最後は正解を自分で決めて、信じて飛び込むしかないんだろうな。

31歳、私はこれから誰のモテキの一人になるんだろうか。もしくは三度目のモテキが始まるのだろうか。全てが未知数だが、確かなことは「この男にモテて良かった」と思ってもらいたい、ということだ。もっとええ男になれるように、仕事に遊びにまっすぐ熱く取り組みたい。

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