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読書感想文:おやすみプンプン(浅野いにお)

浅野いにお作のこの漫画、主人公であるプン山プンプンの7年間に渡る成長を描く青春漫画だ。大学時代に同期の何人かが読んでた覚えがある。そのタイミングで俺も読んでおけばよかったのだが、独特な作風が放つサブカル感から少し敷居が高い感じがして、結局読まずじまいでいた。

そんな中、俺自身が30歳になった今年の七夕に限定の全巻読み放題がビッコミサイトで公開され、有り難く週末を使って全話読んでみた。

全話読み終えた感想をざっくり3点でまとめるとこんな感じだった。もちろんネタバレありなので未読の方は気を付けてほしい。

  1. 最後の自死を南条に防がれたことで、プンプンは生きるという戒めを受けている。

  2. 共依存はこの社会で肯定されない。

  3. ただし共依存の行き着く先である愛子ちゃんの死によって、プンプンと同じように現実の生によって戒めを受けている読者は救われる。

これは全読者に当てはまらないだろうから、「読者」って主語が大きすぎると感じたなら、読者ではなく俺(りんご)と読み替えた方が良いだろう。俺はこの作品に救いと、現実で生きることへの諦観を感じることが出来た。

①〜③まで順を追って感想をまとめるが、どうやっても明るい内容に書けなかったので限定公開にする。ただし感想をいただけたら一杯奢るし、無料リンク送れと言われたら送るので遠慮なく仰ってほしい。

①生きるという戒め

プンプンは種子島の海岸で愛子ちゃんを殺すことが出来なかったし、愛子ちゃんに殺される事もできなかった。「愛子ちゃんに殺されたかった」という欲求にプンプン自身が気付いたのも既に愛子ちゃんが自死を遂げたあとだったので、果たして共依存の先に殺したい、殺されたいという欲求をプンプンは達成することはできなかった。生きるという最も惨めな選択肢を選ばされたプンプンの姿はまさに戒めとしか思えない。

生きることそれ自体が苦痛であり戒めであるという考えは普遍的なもので、それこそ紀元前にゴータマ・ブッダが菩提樹の木のもとで悟りを開いたその頃から今に至るまで、解脱を除いて生の苦しみから逃れられた人は現世には一人も居ないということになる。

②共依存は肯定されない

愛情に結ばれた関係と共依存との違いはシンプルに説明できる。それは前者が相手を想う気持ち、後者は自分のみを想う気持ちである。共依存関係はある二者の身体的紐帯、精神的紐帯を強くするが、常に自己中心性を満たすために相手をコントロールしたり、自身を抑圧したりと何らかの代償を燃料としながらその関係を維持する。これがプンプンの言う愛子ちゃんの「呪い」の正体だ。

ただし、少しでも共依存の関係を経験したことがある人であれば、その強烈な感覚はなかなか忘れることができないと思う。おやすみプンプンの作中でもよく発せられた「私を一人にしないで」「絶対に私から離れないで」「次に嘘をついたらあなたを殺すから」というセリフ、これは共依存関係のトリガーになる言葉であり、仮にこれが思いを寄せる相手から発せられたものだったら、その強烈なエネルギーに抗えない人は少なくないと思う。

※ 当然きちんと踏みとどまれる人もいる。それはもともと共依存的な心理不適応を無意識的に避けられる人か、一度経験をして以降より適応的に成熟した人のどちらかだろう。いずれにせよそれらの人は共依存の感覚を「気持ち悪い」と感じるはずだし、おやすみプンプン書評に「オススメできない。サブカル的で気持ち悪い」と感想を残す人はこちら側の人だと推測する。

③愛子ちゃんの死によって救われる気持ち

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