97年~00年 外タレイベント

東京ラッパーの来阪イベントには皆勤賞並であったが、外タレのイベントはチケットが6000円ぐらいする。当時はスロット(ニューパルでハイエナ)がかなり好調でバイト代以上の収入がありCDを爆買しながら、ライブにも結構金を使ったが、それでも6000円は結構吟味した。
当時ベイジェニやIMPホール、梅田Heat Beat、心斎橋クラブクアトロなどで所謂コンサートスタイルでやることが多かった。
覚えているだけで、De La Sou, A Tribe Called Quest,Wu Tang Clan, Nas, Roots, Nice and Smooth, Fugees, Pharcyde, Alchaholicsまだまだいっぱいきていたと思う。いけたのは、ウータンとナス、フージーズ、アルカホリックスだったと思う。

まず、フージーズ。これは自分的にはこれまでで過去最高級のライブ体験だった。
生バンドとタンテの編成。もちろんワイクリフは元から楽器使うので彼からしてみれば当然であるが、それでもまあステージングは映えますわな。もともと曲に振れのあるグループなのではあるが、本当にバンドとしてのごった煮感とパーティ感がすごいよかった。途中ダンス大会だとワイクリフが言い出して適当に客をステージに上げたりしてる中でバカデゲスが上げられたのは笑った。また色々言いたいことが客に伝わってないことにいらついて、ワイクリフが客から「誰か英語喋れる奴!」と、緊急ボランティア通訳募集して色々話をして、さらにもりあげるなど、フージーズのサービス精神には感服。最後はこれからドンフレックスで二次会やるから、来たい奴は来いと行って客を飲みに誘う始末。実際ドンフレは結構込んで、ワイクリフは女イキまくってたらしい。ローリンは控えめな感じだが兎に角上品さが溢れていたのを覚えている。

次はかなり短いスパンで一気にトライブとルーツとウータンがくることになり、フージーズに一緒にいった夜遊び仲間の仙石幸一(https://www.sengokukoichi.com/)とどれに行くか検討した結果ウータンに行って、それなりに面白かったが、今思えば、Rootsに行くべきだったと後悔している。
 ちなみに仙ちゃんの音楽好きは群を抜いておりまた、雑食でなんでも聞いて吸収してた。後にMTVの司会になり、天職やなと思った。

もとい、さてその次がNASなのであるが、これが正直まったくよくなかった。というか良さがわからんかった。もともとそういうアーティストであると思えばそうなのだが、延々とラップするだけの1時間という感じ。日本語ラップに慣れすぎていたせいもあり、正直それをエンタメと見ることができなかった。ブルーハーブのライブを外人がみるようなものというたとえが良いのか悪いのかわからないが、リリックがわからないことがライブでこれほどまでにつらいとは思わなかった。その反省もあり、その手のラッパーはその後遠慮することにした。

アルカホリックスは前座がライムスターということもあり、ほぼそれ目当てでいったが、キングオブステージを返り討ちにするほどの盛り上がりだった。缶ビールを客席に投げまくるは乾杯しまくるはでさすがアル中。途中わけわからん外人が調子のってステージあがってアルカホリックスの缶ビール勝手に投げ始めたらメンバーからけり落とされてそれでさらに大盛り上がりになった。一気に気に入って後日アーシャツをWALKINで買った。

あと当時金龍ラーメンで働いていたのだが、平日の暇な時間帯にメン場でくつろいでいると、えらく陽気でアメ村でよく見るカールカナイ着てイキっているアフリカ人とは明らかに違うオーラの黒人が、これまたイカツエロい黒人女性をつれて、このラーメンはチキンか?と聞いてきたが、ポークだと答えたら爆笑しながら去って行った。めっさ雰囲気のある黒人やなと思ったが、よくよく考えたら、その日ライブがあったナイスアンドスムースのSmooth Bだった。

北京留学直前にいったのが、ハマー。そうMCハマーが改名しての来日。東京ドームを満員にした大スターだったが2000年に吉本手配でデッセジェニーの跡地でライブ。SMAPの番組がらみで来日して、大きな告知もなくハマーが小箱でライブということで当時の相方や昔のダンサー仲間誘って行ったが、案の定オーディエンスも元とか現役ダンサー。(とその彼女)ステージ上のハマーをカンコピ。U can’t touch thisの横移動ステップやPRAYの拝みダンスなどお約束は完璧。知らない客同士がずっと爆笑しながら踊り絡み合ってめさ楽しかった。

そんなライブ体験をしているので、やっぱり踊れるコンサートやライブが今だに大好きである。タイはモーラムが有名であるが、実際タイ人は結構そういうノリが大好きなので、年甲斐もなく、社員旅行の夜のパーティは社員と一緒に数時間踊り倒す。皆最初は遠慮しいなので、毎年自分が最初にステージで踊りはじめることが開始の合図として恒例になっている。昔ダンスをしていて未だに役に立つ瞬間である。踊ることに抵抗がない、恥ずかしさがないのは生きるにおいて大きなメリットで特に海外では顕著。ダンスやってて良かった事である。ちなみに昔ラップしてて良かったと思うことはない。

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