見出し画像

なぜ底の見えたコスメを見るのが楽しいのか

それは、達成感の得づらい日常生活の中で唯一、
お金を使わずに自分のアクションによって得られる結果(報酬)だからだろうか?

使い切ることよりも、
最後まで役目を全うさせることの方が100倍難しい。

手に入れることは簡単だが、
必要なものだけを選び抜くことは本当に難しい。

なぜだろう。

私は意外と小金を持っているのだろうか?

ぴっちりカツカツでどこにも余裕がなければ「無駄遣いしちゃった〜!物欲がなくならない★」なんて呑気なことは言えないはずだ。


または、本当は余裕がないにも関わらず現実から目を背け、手が届きそうだと思う範囲での自己実現に泡みたいな望みを託しているかのどちらか。
(ex.ホームレスのおっさんが日銭を得てすぐ酒に替えてしまう、夜道で稼いだ金でブランドバッグを買い漁る、太りたくないのに安い菓子パンで腹を満たす etc)

自分は後者だ。
私は金を多く使うことに憧れ、夢見ていて、貧乏根性が抜けない。

金を払えばモノを買えるが理想の自分はどこまでいっても買えないのである。

なぜか。自分が満足しない限り欠乏感は永遠にそこにあるままだからだ。
「足りない」と思う心が、心と懐をますます寂しくさせる。

本当に大切なものはお金で買えないとはこのことだろう。
喉から手が出るほど欲しい理想の自分はいくら金を積んだって買えないのだ。
(積み終わった頃には自分自身が破綻している…なんてことあるかもね!)

では、一体どうしたらいいのか。この渇望をどうしたら癒せるのか。
答えは一つ、「私はもう全て持っている」

私はもう全て持っているのだ。
初めから「埋められる」はずもなかった。もう全て持っているのだから。
私は、足りない!と思い浮かぶもの以外全てもう持っていたのだ。

健康でどこも痛くなく、仕事があり、日本語を話せ、読み書きができ、wi-fiとガス水道電気が使える家があり来月の家賃の心配をしなくてよく、タッチタイピングでGood!が取れ、挨拶ができ、電話を取ったり敬語を使うことができる。電車にも乗れるし、食べたいものが自分でわかるし、自分の身体を自分で洗ったり、掃除や洗濯の仕方もわかる。化粧品も靴も洋服も買わなくていいくらいもう十分持っている。足りないものなんて何もなかったのだ、最初から。

欲しいものがあるなら、本当に素敵な一等品を選ぼう。
それは買い物でとは限らない。自分の人生のために本当に欲しいものを選ぼう、この手と足と身体を使ってぶんどりに行こう。
遠慮など不必要、どうでもいい事柄に構っている場合じゃない。

全て持ち合わせている大切な自分自身のために、本当に大切な、喉から手が出るほど欲しかった、素敵な自分自身を育ててみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?