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夕暮れの視聴覚室で、私はサッカーを観たかった

2002年5月。サッカーワールドカップが大会史上初めて日本と韓国の共同で開催された。
とても歴史的な大会だったので、記憶に残っている人も多いと思う。

当時、私は中学2年生。
ソフトボール部所属で、翌週に迫った地区大会に向けて、練習に明け暮れていた。
朝のニュースでは、毎日サッカーのことが取り上げられていた。
日本代表が決勝トーナメントに進むのは史上初めてのことで、日本中がお祭り騒ぎ。
サッカーより野球が好きだったけれど、それでもテレビで流れるサッカーの映像を毎日、わくわくしながら見ていた。

2002年6月18日 (火)

その日は、日本vsトルコ戦があった。
夕方からの開催で、学校にいるし、部活もあるし、観られないなと思って諦めていたところ、帰りのホームルームで担任が言った。


「放課後、視聴覚室でサッカー日本代表の試合の生放送を流します。みんなで応援しましょう」


放課後、部活があった私は他の仲間たちと一緒に部長にお願いしてみた。
「みんなでサッカー見に行きませんか?」

翌週の地区大会で勝ち上がることができなければ、引退が決まっていた部長は寂しそうだった。
一緒に練習できる時間はもうわずかだったから、3年生はみんなグラウンドに残った。

ちなみに、勝算は薄かった。
日本代表も。私たちも。

トルコは格上の相手で、これが最後の試合になるだろうとサッカー部の男子が得意げに解説していた。
私たちも地区予選敗退が常連の弱小チームだった。今日ちょっと練習したところで(あるいはしなかったところで)多分勝ち負けには影響しない。

薄いカーテンを閉めた視聴覚室で肩を寄せ合って見守る日本代表の試合。
初夏の夕方、砂ぼこりが舞うグラウンドで今のメンバーでできる残り数日の練習。
放課後、どちらに行くべきか部内でも意見が割れた。

部員の何人かは練習をサボって、視聴覚室にサッカーの試合を見に行った。
グラウンドには、サッカー部も野球部もテニス部もいなかった。
みんな、連れ立ってサッカー日本代表を応援しに行ったのだ。
薄暗い夕方の視聴覚室にぎゅうぎゅうに詰まって座って、みんなで一緒に大きな画面を食い入るように見つめて、試合の行方に一喜一憂しているのだ。
芝生の上を縦横無尽に駆け回る、青いユニフォームの選手たちを想像した。
ゴールスレスレまで迫るボールに息を呑み、弧を描くボールの先を追いかける観衆の生徒たちの姿を。


あの日の小さな決断を今も時々思い出す。

今しかできないことが同時に二つある。
片方しか選べない。

多分どちらを選んでも、私の人生には大差なかっただろう。
でも、どちらを選んでも、選ばなかった方でしか見えなかった景色を想像してしまう。
そんなシーンの積み重ねで、人生はできている。


視聴覚室の開いた窓から、ときどき大きな歓声が聞こえた。
薄闇に沈んでいくバッターボックスで
私は思い切り、バットを振り切った。

#サッカーの忘れられないシーン

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