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受け入れることを教えてくれた水色の財布

先日、40歳になった。

今年の誕生日は、偶然にも一粒万倍日と天赦日が重なった大変縁起の良い日で、その日に新しいお財布を使い始めると金運が上がるという。財布好きの私は、ちょうど使っていた財布に使いづらさを感じていたこともあり、誕生日から新しい財布を使い始めようと意気込んだ。

めぼしい財布を見つけ、某通販サイトで注文をした。早く届きすぎると早く使いたくなってしまうかもしれないと懸念し、誕生日の前日に配送されるように設定。届くのを待っている時間が一番楽しいかもしれない。ワクワクしながらその日を待った。

誕生日の前日、財布が届いた。いよいよ明日から新しい財布が使える! ニヤニヤしながらダンボールを開封する。しかし、箱を開けた私は呆然としてしまった。
そこにあったのは、注文した色と違う色の財布だった。

なぜ?

私が注文を間違えたのだろうか。通販サイトの注文履歴を確認する。間違えていない。私は希望通りの色を指定していた。
使い始めたい日はもう明日に迫っている。私の楽しみな気持ちをどうしてくれるんだ。怒りと悲しみの混じった感情のまま、お問い合わせフォームに連絡をした。明日までに希望の色を届けてもらうことはできないか、と。

返事を待つ間、不安が私を覆っていく。物理的に、明日までに届けてもらうのは不可能だろうと薄々わかっている。記念すべき40の誕生日から気に入った財布を使い始めたい、その私の思いはどうなるのだろう……。

そうこうしているうちに、メールでお返事が来た。さすが大手通販サイトはカスタマーサポートの体制が整っている。
メールに書かれていたのは、お詫び、そして在庫管理ミスで私が希望していた色の財布はもう品切れになっている可能性が高いこと。確認に数日を要すため、在庫があったとしても明日までに届けるのは難しいこと。

薄々わかってはいたけれど、やはり私の「記念すべき40の誕生日から気に入った財布を使い始める」願いは叶いそうにない。間違って届いてしまったこの財布をどうしようか……。

そこでふと、「受け入れる」という言葉が頭をよぎった。

私は職場で同僚と多くの話をする。その中で、歳の離れた後輩からも先輩からも、「受け入れる」心持ちについて聞くことがあった。

巡ってきた仕事は、たとえやりたいことでなかったとしても受け入れる。頼まれるうちが華だと思ってやってみる。後輩はそんな風に言っていた。私は彼女のその言葉を好意的に思ったし、いつもニコニコしている彼女の態度はその受け入れる姿勢があってこそなのではないかと考えた。

歳の離れた先輩は、一見不運や不幸とも捉えられる出来事も、何でもすぐに受け入れると言っていた。入院なども経験されたその人の言葉もまた、私の中に残っていたし、その人のいつでもフラットな姿勢にも憧れを抱いていた。

私はつい、「自分ばかりこんな目に遭っている」とか「なんで私がこんな思いをしないといけないんだ」とか、思ってしまう。
今回、色の違う財布が届いたことも、せっかくの誕生日が台無し! と思おうとしていた。

だけど、どうだろう。
私がこの望んでいなかった色の財布を、何らかのご縁で私のところにやってきたものと受け入れ、使うことにしてみたら。
私はこの財布を見る度に、「あのとき私は受け入れることができた」と思い出せるかもしれない。それは、私が40という歳を前にして少しでも成熟できた証になるのではないか。

私はいつまでも変わっていきたい。外的要因から受けた影響を自分がどう感じ、どう取り入れていくのか、その変化を楽しんでいきたい。
そんな考えを持っていることも思い出し、私は間違って届いた財布を受け入れることにした。

カスタマーサポートの方に、返品や交換は希望しないことを連絡した。そうした自分を好ましく思った。

翌日の誕生日から、私は水色の財布を使っている。自分では選ばない色。この財布と一緒に、「受け入れる」ことを意識しながら過ごす40歳。

どんなことを受け入れていくのか、楽しみなスタートになった。

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