見出し画像

#22 高校受験

生徒たちの合格発表の日だった。
合格できたみんな本当におめでとう。
合格という理想の形ではなかったとしても
これからの高校生活で合格しないで良かったな、この選択が正解だったなと思えるように。悔いなく楽しんでくださいな。


みんな良く頑張った。本当にお疲れ様。
これからは頑張りすぎないことを頑張って。
楽しい高校生活になることを祈っています!


またみんなに会えることを心から願っていますので、是非外で見かけたら遠慮なく声をかけてください。 


おめでたい話の後にするのはどうかとは思うが、ここから下で自分の高校受験エピソードについて書いていこうと思う。


公立高校入試で理科の問題を解いている時に
(あぁ、これは合格するのはちょっと無理だ)


家族や親戚だけではなく、ここまで支えてくれた学校の先生や塾の先生たちの顔を思い浮かべて深々と心の中で
(情けない姿を見せることになってしまってごめんなさい)
と謝ったのを覚えている。

試験が終わって家に向かっている帰り道、
「情けねぇな」とボソッと口に出してしまって
前を歩いていたお爺ちゃんが
自分の方に振り返ったのも覚えている。


1週間後に迎える合格発表は、
もう結果が分かっていたも同然だったから全くドキドキしていなかった。
「あー落ちた落ちた」みたいな感じで
投げやりな気持ちで過ごしていた気がする。
ただ、そんな気持ちになりながらも
私立高校で頑張っていこうと、
切り替えて前を見ている自分もいた。



通っていた中学の通学路の途中にある高校を志望していて、
合格発表の時間は先に受験を終えた人たちが午前の学校を終えて中学から友人たちが帰宅している途中だった。


高校に向かっていると今も仲良くしている5人のうちの1人にばったりと遭遇した。

そこで何を血迷ったのか友人に

「一緒に合格発表見に行くか?」と聞き

友人「いや良いよ」

「そんなこと言わずにさぁせっかくだし!」

友人「いや大丈夫」

「いやいや行こうよー!」

友人「わかったよ」

半ば強引に。強制的に合格発表の現場に友人を連行してしまった。


自分は周囲にダメだったとは言っていたものの、5人の友人達は最後まで
「大丈夫っしょ」という言葉をかけてくれていた。
多分連行した友人も大丈夫だと自分を信じてくれていたのだろう。




いざ発表。





結果は案の定(不合格)



自分はまあそうだろうなと納得していたが、
隣の友人を見ると何を言ってたら良いのか分からないのか、悲しんでいるのか。
今までで1度も見たことのない顔をしている。

大切な友人にさせてはいけない表情を
自分の軽率な行動で引き出してしまった。
なんてことをしたんだと激しく後悔した。


帰り道。ほとんど会話を交わさなかった。
友人はとても辛そうな顔をしていた。
その日に限っていつも車通りの多い道が空いていて、聞こえる音は自分は平気だよということをアピールするために独り言で発している
ポジティブな言葉と鳥の鳴き声だけ。


家の前で別れる時の「またね」の声も
いつもとは違う低いトーン。


受験失敗の悲しさよりも大切な友人に
辛い思いをさせたことの後悔が大きく
その日はずっと家の中でモヤモヤしていた。



誰かに寄り添ってもらいたくて、失敗したことを笑いにすることは出来ないからそこにいて欲しくて。そんな自分のエゴがあったから友人を引き留めてしまったのだろう。


そんな我儘のせいで、友人を辛い思いにさせてしまった。




卒業式の日に5人に直筆の手紙を渡したのだが、その友人には感謝と謝罪の言葉を書いて渡した。(内容は覚えていない)


時間の流れとともに少しずつ今の話が笑い話としてネタにすることが出来るようになったが、自分の中ではやはり後悔しても仕切れない。


今もなお仲良く、その当時の話を笑い話に変えてくれてエンタメとして消費してくれるその友人には頭が上がらない。


本当にありがとう。


受験に落ちたことよりも、クラスで落ちたからと気を遣われるのはとても嫌だった。
自分の前では喜んではいけない、点数の話をしてはいけないみたいな。
こっちは大きな後悔を背負いながらも、
もう前を向いているし、
みんなの合格を心から喜んでいるんだから。



合格発表から卒業までの何日かは
本当にキツかったなぁ


けどクラスの中にいた5人は違かった。
何も変わらず接してくれていたし、なんなら受験前より当たりが強くなっていた(沢山イジられた)気がする。
すごく救われたし、ちゃんと今までの日常がそこに残っていることが本当に嬉しかった。


強がりのような言葉に聞こえるかもしれないけど、今振り返れば高校受験に失敗したことは
自分にとっては良かったことだと思っている。
失敗したからこそ、
周りの人達の優しさに気が付けたし
大事にしたいなと思える人の存在がはっきりと分かった。それが5人だったということ。



その当時は、高校に入って全く会わなくなるだろうから、5人が幸せであってくれれば良いな。成人式で会った時に元気で居てくれればな。



そんなふうに思っていた。





2024年、未だ自分を含めて6人は
休み時間にくだらない話をしたり、戯れあったりしていた中学時代から変わらない姿で笑い合っている。


それぞれ生活環境や大切にしているものは違えど何も変わっていない。




まだまだ中学時代の休み時間は終わっていない。
1秒でも長くこの時間が続いて欲しいなと5人の後ろ姿を見て願うのであった。

この記事が参加している募集

受験体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?