見出し画像

コトバを交わす幸せ

平日は大概オットにお任せしているワンコの朝散歩。珍しく早朝から出勤せねばならないというので、久しぶりにワタシの役目となった。朝晩めっきり涼しくなって、夏の間、早く涼しいおウチに帰りたくて短縮バージョンになっていたお散歩も、少しづつレギュラーメニューに戻っている。

とにかく上り坂が大好きな我が家のワンコは、嬉々として駅横の坂道を駆け上がる。楽しそうにぐんぐん駆けていく姿が可愛くて、ついつい一緒に走ってしまう。息切れして立ち止まると、植木の水遣りをしていた女性が振り向いた。まだ子犬だった頃の散歩で声をかけられて以来、会えば立ち話をする年配のご婦人だ。おそらく70代くらいの、ちゃきちゃきした印象の人だ。

最初に出逢ったとき、彼女は水を撒きながら「朝早くからエライわねー。ウチの馬鹿犬はまだ寝てるわよー。」なんて言っていた。「ウチの子は病気ばっかりしてさー、人間よりも病院代がかかるんだからね、困ったもんよ。」とも話していた。ところがある朝、おはようございますー、と声をかけた私をじっと見て、その子が亡くなってしまったと教えてくれた。一緒にお墓に入ろうと、お骨は大事に取ってあるという。

その彼女が、私の顔を見るなり「あらー元気そうね。暫く見かけないから、病気でもしてるんじゃないかと心配してたのよ。」という。そんな風に気にかけてくれていたことに、私はちょっと驚いてしまった。

「いつも元気だねえ。健康が一番だよねえ。しっかり運動して長生きしないとねー。」なんて声をかけながら、同じく再会を喜んでいる(?)わが家のワンコの頭を楽しそうにゴシゴシと撫でる。

そして「もうすぐ、ウチの子の一周忌なのよ。」と言った。

もうそんなに経つんですね、早いですね、と応えるワタシに、彼女は珍しくしんみりした調子で色々話してくれた。自分たちの年齢を考えると、先に逝っちゃいそうで、もう新しい子は飼わないと決めている。でも、いないとやっぱりさみしい、と。

ふと思い出して「一緒にお墓に入るんでしたよね」と応えると、「わたしはね、仏壇に入れとこうと思ったんだけど、ダンナがね、」と言う。もしや、犬の骨なんて仏壇にあげるもんじゃない、とか言われちゃったのかなあ、と、とっさに想像したけれど、そうじゃなかった。

ダンナさんは「あんな狭いところでひとりぼっちじゃダメだ、みんな一緒にいるのがいい。」と言ったそうだ。そうして愛犬の骨壺(?)は、今やリビングの真ん中に鎮座ましましており、小さなかけらもキーホルダーになっている。

彼女は割と近寄りにくい印象を与えるタイプで、話してみるとずけずけモノを言うから、なおさらとっつきにくい。そもそも、たとえ近所に住んでいたって、縁もゆかりもない人だ。だけど、何度か言葉を交わしているうちに、第一印象では分からなかった人生の機微みたいなものがふんわりと伝わってくる。みんな色んなことを抱えて生きているんだなあ。

ただの通りすがりだった人と会話すると、別の人生を少しだけ感じて、自分も自分らしく生きていこうと考えるきっかけにもなる。ワンコ散歩は、身体にも心にも良くて、人生後半を豊かにしてくれている、と思う。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?