〔刑法コラム2〕因果関係


1 因果関係の意義

 実行行為が存在し当該構成要件が予定する結果が発生したとしても、それだけで犯罪が既遂となるわけではない。実行行為と現に生じた結果との間に、客観的に「原因と結果」と呼べる関係が必要なのである。この「原因と結果」と呼べる関係、結果の実行行為への客観的帰責を論ずるのが因果関係論である。
 結果が発生しても因果関係が認められないと既遂犯は成立せず、未遂犯処罰規定があれば(44条参照)未遂犯が成立し、未遂犯処罰規定がなければ不可罰となる。
 また、結果的加重犯の場合は、重い結果との間に因果関係が認められると結果的加重犯(e.g.傷害致死罪)が成立するが、認められなければ、基本犯の犯罪の成立にとどまる(e.g.暴行罪ないし傷害罪)。
 したがって、因果関係は結果犯においては重要な構成要件要素といえる。

2 因果関係の理論

 刑法上の因果関係の存否は、自然界における因果の連鎖の中で、当該具体的な結果を当該実行行為に帰属させるための法的判断である。それは、①事実的因果関係としての条件関係の存否、②法的因果関係の存否の二段階の判断としてなされるものである。事実的なつながりの判断として①が必要であることは当然といえるが、②の判断方法については学説上大きな争いがある。
 従来の通説である相当因果関係説は、条件関係の存在を前提に、社会生活上の経験に照らし結果発生が相当な場合に刑法上の因果関係を認めるものである。
 しかし、後述のように、相当因果関係説では現実に生じた具体的事案に対して妥当な解決が図れない場合があることが意識されるようになり、様々な見解が主張されるようになった。そうした中、行為の危険性が結果へと現実化した場合に因果関係が肯定されるとする見解が有力に主張されている。

〈論点1〉刑法上の因果関係の基準をどう解すべきか。
 A説(条件説)

  結論:条件関係があれば刑法上の因果関係を認める。
  批判:偶然的な結果まで刑法上の因果関係を認めることになり、不適当である。
 B説(相当因果関係説 従来の通説)
  結論:条件関係の存在を前提にしつつ、社会生活上の経験に照らし結果発生が相当な場合に刑法上の因果関係を認める。
  理由:①刑法における因果関係は、構成要件要素の一つとして構成要件該当性判断の対象となるものであるから、自然的因果関係としての条件関係が認められるだけでは足りず、いかなる結果につき刑法的評価を加えて処罰するのが適切かという見地から、これに限定を加えなければならない。
     ②構成要件は、当罰的行為を社会通念に基づき類型化したものであるから、条件関係が認められる結果のうち、行為者に帰属せしめるのが社会通念上相当と認められる結果だけを選び出し、このような結果についてのみ行為者に帰属せしめ、責任を問うのが妥当である。
  批判:相当性の判断構造が不明確である。
 C説(近時の有力説① 井田)
  結論:条件関係の存在を前提に、法的因果関係は、行為の危険性が結果へと現実化した場合に認められるとする。この立場は、相当因果関係説が結果帰属の実質的な根拠と基準を提供し得ていないとして、その補充・修正として主張されるものである。
  理由:違法評価の中核が行為に対する評価であり、その評価を通じて将来の同種の結果の回避という一般予防効果を達成しようとするのであれば、行為の有する危険性が結果の発生により確証された場合にのみ、法的因果関係が肯定される。
 D説(近時の有力説② 山口)
  結論:行為の危険性が結果へと現実化した場合に刑法上の因果関係を認める。そして、この立場は、危険の現実化の判断に行為と結果の事実的つながりの判断も当然に含まれるとして、従来の通説のように二段階に分ける必要はなく、端的に危険の現実化の有無を問えば足りるとする。
  理由:実行行為に認められる結果惹起の客観的危険性が実際に結果へと現実化したことが実行行為による結果惹起の過程にほかならない。

3 条件関係

 上記D説を採用しない限り、因果関係には条件関係が必要とされる。

⑴ 条件関係の意義

 条件関係とは、当該行為が存在しなかったら、当該結果も発生しなかったであろうとの関係(「あれなければこれなし」との関係)をいう(条件公式、仮定的消去法)。

⑵ 条件関係の判断構造

 行為と結果との間の条件関係という場合の「行為」は、当該犯罪の実行行為でなければならない。
 例えば、妻が夫を毒殺しようと思って、毒物を購入の上、戸棚にしまって機会をうかがっているうちに、夫がこれを薬と間違えて誤飲して死んでしまったという場合、実行の着手がない以上、殺人罪(199条)の因果関係は問題とならず、殺人予備罪(201条)と過失があれば過失致死罪(210条)が成立するにとどまる(通説)。
 結果については、「その時点において現に発生した具体的な結果」を問題にしなければならない。
 例えば、XがAをひき、5時間後に死ぬような傷害を負わせ、更に2時間後にYがひいて即死させた場合、問題となる結果は、現に生じた「2時間後の死」であり、5時間後の死ではない。したがって、Yの行為がなければ、2時間後の死はない以上、Yの行為と結果との間に条件関係が認められる。
 「Aの行為がなかったら」という条件関係以外に、仮定的要素を付加して判断してはならない(仮定的因果関係の排除)。
 例えば、死刑執行人甲が死刑囚乙の死刑執行ボタンを押そうとしたその時に、他の者Xがボタンを押して乙を死なせた場合、甲がボタンを押したであろうという仮定的要素は付加せず、条件関係を判断する。この事例では、Xのボタンを押す行為がなければ乙の死は発生しなかったといえるため、条件関係が認められる。

4 相当因果関係説とその危機

⑴ 総説

 従来の通説である相当因果関係説は、条件関係の存在を前提に、社旗生活上の経験に照らし結果発生が相当な場合に、刑法上の因果関係を認める。

⑵ 相当性判断の基礎事情(判断資料)

〈論点2〉相当因果関係説を前提にすると、相当性を判断する基礎としていかなる事情を考慮すべきか。
 A説(主観説)

  結論:行為者が行為時に認識していた事情及び認識可能な事情を基礎とする。
 B説(客観説)
  結論:行為時に客観的に存在した全ての事情及び一般人に予見可能な行為後の事情を基礎とする。
  理由:因果関係は客観的な帰責の問題であり、主観的な帰責の問題である責任とは区別しなければならない。
  批判:①結論的に条件説とほとんど変わらない。
     ②行為時と行為後で判断基礎事情の基準を区別する根拠が明らかでない。
 C説(折衷説 相当因果関係説における通説)
  結論:行為時において一般人が認識・予見し得た事情及び行為者が特に認識・予見していた事情を基礎とする。
  理由:①構成要件は責任類型でもある(団藤)。
     ②因果関係は行為者にとって偶然的なものを帰責の範囲から序がするために必要なものであり、また、構成要件は責任類型として責任非難の前提にもなるものである(大谷)。
     ③構成要件的行為は主観=客観の全体構造をもつ。
  批判:①行為者の認識を考慮することは客観的な因果関係の問題と主観的な責任の問題を混同している。
     ②行為者の認識を考慮すると、共犯の場合、共犯者各人で因果関係があったりなかったりすることになり、奇妙なことになる。
  反論:①相当因果関係説の趣旨が、適正な処罰を図るため行為者に支配不可能な異常な経過をたどって結果が発生した場合の帰責を否定する点にあるとすれば、このような支配可能性が行為者の認識に左右されるのは当然であり、また行為者の認識を考慮して相当性を判断することと行為者を非難することは別のことである(佐伯、川端)。
     ②相当因果関係は法的因果関係であり、行為者ごとに法的評価が異なってもおかしなことではない。

⑶ 相当性の内容

 相当性の内容については、①経験則上通常であるとか、②全く偶然なものを除く等の見解があるが、偶然的なものを排除し処罰の適正化を図るという因果関係の機能にかんがみ、③経験則上あり得るという程度で足りるとする立場が有力である(大谷)。

⑷ 行為後の介在事情

⒜ 広義の相当性と狭義の相当性

 広義の相当性とは、行為時を基礎に、「結果の発生が相当であるか」、すなわち行為時に結果発生の蓋然性が存在していたのかが問題となる場合である。前述した相当因果関係説の判断基礎事情における対立はこれにかかわるという見解もある(前田)。もっとも、広義の相当性は実行行為性の問題であり、独自の概念としては不要とみてよいとの見解も有力である(大谷)。
 狭義の相当性とは、「結果に至る因果経過の相当性」、すなわち「広義の相当性を有する行為」の危険性が具体的な結果に現実化したといえるかの問題である。行為後に特殊な事情が介在する場合に問題となる。例えば、暴行を加え傷害を与えた後救急車で病院に向かう途中、交通事故に遭って被害者が死亡した場合である。

〈論点3〉狭義の相当性はどのように判断すべきか。
 A説(折衷的相当因果関係説)

  結論:介在事情のうち①行為当時に一般人が予見可能であった事情及び行為者が予見した事情を基礎に、②因果経過が社会生活上の経験に照らし相当かを判断する。
  理由:①構成要件は有責行為類型でもある(団藤)。
     ②因果関係は行為者の行為にとって偶然的なものを排除する機能を有するべきである(大谷)。
     ③構成要件的行為は主観と客観の全体構造をもつ(福田)。
     ④一般人の認識可能性を考慮するのは、一定の事実を一般的に利用・支配する可能性が認められるからである(川端)。
  批判:①行為者の認識を考慮することは、客観的な因果関係の問題と主観的な責任の問題とを混同している。
     ②行為者の認識を考慮すると、共犯の場合、共犯者各人で因果関係があったりなかったりすることになり、奇妙なことになる。
  反論:①相当因果関係説の趣旨が、適正な処罰を図るため行為者に支配不可能な異常な経過をたどって結果が発生した場合の帰責を否定する点にあるとすれば、このような支配可能性が行為者の認識に左右されるのは当然であり、また行為者の認識を考慮して相当性を判断することと行為者を非難することは別のことである(佐伯、川端)。
     ②相当因果関係は法的因果関係であり、行為者ごとに法的評価が異なってもおかしなことではない。
 B説(前田説)
  結論:行為者の実行行為に結果を客観的に帰属せしめ得るか否かは、①実行行為の有する危険性(結果発生力)の大小(広義の相当性)、②介在事情の異常性(及び実行行為との結び付き)の大小、③介在事情の結果への寄与の大小の三点を総合的に判断する。
  批判:因果関係は構成要件該当性の問題であって、定型的・類型的判断であるから、上記三つの実質的な相関関係により相当性を判断するのは妥当でない。

⑸ 相当因果関係説の危機

⒜ 相当因果関係説の問題点

 相当因果関係説に対しては、次のような批判がなされてきた。①行為の危険性をいかなる事情を基礎として判断するかが不明確であること、②判断基底を画したとしても、その後の判断方法が不明確であること、③行為の危険性の実現と因果経過の経験的通常性との関係が不明確であること等である。

⒝ 大阪南港事件

 そうした中、大阪南港事件決定(最決平2.11.20百選Ⅰ(第8版)[10])が出され、相当因果関係説の問題点が浮き彫りとなった。同決定は、被告人の暴行により意識を失っていた被害者に第三者が更に暴行を加え、死亡させた事案で、「犯人の暴行により被害者の死因となった傷害が形成された場合には、仮にその後第三者により加えられた暴行により死期が早められたとしても、犯人の暴行と被害者の死亡との間の因果関係を肯定することができ」るとした。
 同決定も含め、実務上因果関係を判断する際には結果への寄与度が重視されるが、介在行為の異常性を強調する相当因果関係説は、こうした判断方法に適合せず、判例が相当因果関係説を採るものとの理解は誤りであると考えられるようになった。

5 危険の現実化

⑴ 総説

 相当因果関係説の危機を受け、寄与度を重視する等して相当因果関係説を修正する見解(林など)、因果関係の問題と結果の行為への客観的帰属の問題を区別し、因果関係論として条件説を採った上で、①危険創出かつ②危険実現の場合に、結果の客観的帰属を認める客観的帰属論(山中、前田)等が主張されている。
 そうした中、判例の事案を特定の理論から離れて分析した結果として危険の現実化が有力に主張されるようになった。同説は、行為の危険性が結果へと現実化した場合に、法的因果関係を認めるとするものである。
 近時の判例も、「危険の現実化」に言及するようになっている(最決平22.10.26、最決平24.2.8)。
 しかし、相当因果関係説の論者によっても、危険の現実化説は、判断基準が曖昧な相当因果関係説を補充するものと考えられる場合や、また、客観的帰属論は因果関係を精緻に分析するために用いられているとする考えもあるところである。
 そのため、このような点において、相当因果関係説と危険の現実化説・客観的帰属論は対立するものではない点に注意が必要である。

⑵ 判断方法

 行為の危険性が結果へと現実化したかどうかは、①実行行為の危険性、②介在事情の結果発生への寄与度を考慮して判断される。

⑶ 危険性判断の基礎事情

 危険の現実化説を採用したとしても、上記論点2・論点3の相当性判断において問題となっているいかなる事情を基礎事情とすべきかという問題は、なお生じると考えられている(橋爪など)。なぜなら、危険性の判断資料として折衷説を維持することも理論的には十分に可能とされているからである。

6 判例

[重要判例]
・米兵ひき逃げ事件(最決昭42.10.24百選Ⅰ(第8版)[9])
・大阪南港事件(最決平2.11.20百選Ⅰ(第8版)[10])
・スキューバダイビング事件(最決平4.12.17百選Ⅰ(第8版)[12])

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