見出し画像

#9 ありがとうを言い続けて 2023/05/14

はじめに

私の大好きな人物で高橋がなりさんがおられます。YouTubeチャンネル「前向き人生相談」で出演されているので良かったら見てください。その中で素敵な言葉がありました。よく失敗して叱られるという相談者に対してのアドバイスです。

あのね。まだまだ若いんでね。叱られたときに「ありがとう」という気持ちで話し聞くと、相手に結構通じるよ。申し訳ないって気持ちはもちろん持つべきなんだけど、そんな駄目な自分に叱ってくださってる方にありがとうという気持ち、もしくは言葉にしてありがとうございますって言うと結構喜ばれるよ。今時ね、仕事してへましてね、叱られてありがとうっていう若い人まず滅多にないんで。面白がって教えてくれる場合もある。思わず苦虫噛み潰していた顔が思わずにやっと笑ってくれる場合あるよ。お前がまたありがとう言うとまた面倒みたくなっちまうんだよなとかそういうこと言ってくる人が。といって今を乗り越えていく、先のこと考えずに。気がついたら3年5年経ったときにできるようになると思うよ。

高橋がなり,  [まえむき人生相談]. (2023/01/13). 仕事ができない32歳アルバイトへ「バカは考えるな!」とがなり流の一喝、その真意とは[Video]. YouTube.
https://youtu.be/cSiXr7QL4FQ

その番組をみてやっぱいいこと言いはるわって思いながらありがとうの言葉の力について考えてみました。

研究紹介

まずは研究から紹介させていただきます。Robert A Emmonsさんの2003年に発表された論文です。論文のタイトルはCounting blessings versus burdens: an experimental investigation of gratitude and subjective well-being in daily lifeです。この論文では、日常生活における感謝の心と主観的幸福感の関係について実験的に調査しています。研究の目的は、感謝の心を意識的に数えることが主観的幸福感にどのような影響を与えるかを明らかにすることです。研究者たちは、参加者を二つのグループに分けました。一つのグループは毎日の恵みに焦点を当て、もう一つのグループは日常の重荷に注目しました。

研究期間中、参加者は毎日、自分の感謝や不満に関する情報を記録しました。研究の結果、感謝の心を数えるグループは、主観的幸福感が有意に向上したことが分かりました。これに対して、重荷を数えるグループは幸福感に大きな変化が見られませんでした。

また、感謝の心を数える習慣が継続することで、その効果が持続し、ストレスや抑うつ症状の軽減にも寄与することが示唆されました。この研究から、日常生活において感謝の心を意識的に数えることが、主観的幸福感を向上させ、メンタルヘルスに良い影響を与えることが分かりました。

主観的幸福感について

主観的幸福感は、以下の2つの主要な要素から構成されています。
気分(感情的な側面): この要素は、個人がポジティブな感情をどれだけ経験しているか、ネガティブな感情をどれだけ経験していないかを示します。幸せな気分や喜び、愛情、興奮などのポジティブな感情が高い場合、主観的幸福感も高くなります。

満足度(認知的な側面): この要素は、個人が自分の人生全体に対してどれだけ満足しているかを示します。人生の目標や期待、価値観と照らし合わせて、自分の現状に満足しているかどうかを評価します。

主観的幸福感は、メンタルヘルスや生活の質を改善するために重要な要素です。幸福感を高める方法には、感謝の心を持つ、人間関係を大切にする、自己成長や目標達成を目指すなどがあります。主観的幸福感を意識して向上させることで、ストレスや抑うつ症状の軽減、充実した人生を送ることが期待されます。

この研究では感謝の心を数えると主観的幸福感があがりました。特定のことを意識し始めると、日常の中でその特定のことに関する情報が自然と目に留まるようになるカラーバス効果があると思われます。つまり日常生活は自分にとって幸せなこと、不幸なことが散りばめられています。感謝の心を数える習慣をつけることで、幸せなことに注目しやすくなり、結構幸せなことあるじゃんってなるんだと思います。幸せになるには効果的っぽいですね。

ありがとうを言い続けた人生

私は人生でありがとうという言葉を言い続けました。それは私が人格者だったとか、感謝の塊の人だったとかそういうわけではなくて、苦しさから逃げたくて続けた行動でした。幸せな医学生を過ごしたあと、地獄の研修生活が待っていました。地獄と感じた要因は3つあります。まず、言わずもがな命を扱う責任の重さです。患者さんの気持ちに応えたい、正確な診断と適切な治療プランをたてたいと思うのですが、知識・経験何もかもが足りません。私はもちろん指導医のもとで研修をするのですが、自分のしたことが患者さんにとっていいことなのか、一挙手一投足、緊張していました。2つ目はHSPの私は他人の感情に同調してしまいます。患者さんやご家族は命の瀬戸際の中で、大変な思いをされていることがあります。その状況に寄り添っている時、自身もストレスになることが多くありました。不安神経症、強迫性障害もあるため、患者さんのことが気になり、家に帰れなくなくこともありました。3つ目は卒後臨床研修制度下で研修をおこなったので、2ヶ月ごとに内科、外科、小児科と回っていくスーパーローテート制度でした。私は環境の変化が苦手なので、診断方法や思考回路、カンファレンスの仕方、上司や人間関係など、変わるたびに大変なストレスを感じます。

理不尽なこともあります。担当患者さんに夜中3時に不整脈が出て、病院に呼ばれました。不整脈を治療する薬は使ったことがなく、合わない投薬で余計に悪化することもあります。でも上級医を呼ぶほどの緊急ではなく途方に暮れていたところ、緊急手術が終わったあとの心臓血管外科の先生が通りかかりました。飛びついて相談し、そのアドバイスに従って投薬し、不整脈は落ち着きました。翌日、自信を持って、指導医に説明したところ、「勝手なことをするな」とめちゃくちゃ怒られました。「危ないことをした」と言われ、患者さんに対して申し訳ない気持ちになりました。しかし、今の私からすると、その時の判断は実際には間違っておらず、むしろ正しかったことも分かります。おそらく指導医はきちんと相談してからするようにとのことだったのですが、相談しづらい上司なのに理不尽ですよね。今は、理不尽なことは当然だと諦めてみることができるのですが、当時はしんどかったですね。

そうこうしているうちに体重が10kg落ちました。そして病院にいけなくなりました。病院からすぐそばのアパートを借りていて、自転車で通勤していました。家から出て右に曲がると病院なのですが、どうしても右にハンドルをきることができません。しかたなく、左にきると20分程度で川が見えてきます。その橋の手前で止まり自問自答します。「ぼくはこの橋を渡ったら医師をやめる。さあ、どうする?」と問答して病院にむかうということを繰り返していました。

私は小さい時から図書館が大好きでした。家が貧しかったため、母がよく図書館に連れて行ってくれたのです。その時、母がよく「しんぼう、迷ったり悩んだりした時には本を読みなさい。本に答えが書いてあるから」と言っていたので、人生の岐路にたった時には、本を読む習性があります。今も本を読むときだ、忙しい合間をみて、本を読み漁りました。図書館にはいかず、給料が出ていたたため、本屋さんにいって、良さげな本は片っ端から買いました。思春期に悩んだ時は哲学書だったのですが、研修医の時は自己啓発のジャンルの本を買いました。多くの本に「ありがとう」や「うれしい」、「たのしい」などのいい言葉を話すと人生が好転すると書いていました。よしこれだと思って、一日中「ありがとうございます」と言っていました。

上級医からこの患者さん一緒に診てくれないかと言われると、実質はきみが主治医となってすべて責任をもってみなさいということなので、いやがる若手の医師が多い中、私は大声で「ありがとうございます」って言いました。すると変な若い医師がいるって評判になって、整形外科の医師が手術中、患者さんが具合悪くなった時には、看護師さんにしんぼう先生に診てもらってと指示して、私は見たことのない患者さんの急変対応をしてました。また救急外来でも同様のことがおこり、しんぼう先生、この患者さん一緒に診てねとたくさん連絡をいただきました。医師は基本的に責任感が強いので、基本的に私が診ているのですが、困ったらすぐに教えてくれたり、手助けをしてくれました。そうこうしているうちに3年がたち、内科で一番入院患者さんを受け持っている医師になったあたりから、私の知識と経験が命への責任感とバランスがとれるようになってきました。その間に体重も戻り、家から出たあともそのままハンドルを右にきることができるようになりました。

振り返ってみると「ありがとう」は、私にとって大きな力となりました。「ありがとう」を言い続けることで、人から可愛がられ、自分ができることと責任感の重圧のバランスの悪い時期を乗り切れたと思います。高橋がなりさんの言う通りでした。しかし、当時の私が使っていた「ありがとう」は、自分自身の苦しみを救ってほしいという願いが込められた言葉でした。人に対しての感謝は含まれていましたが、根本的には自分が楽になりたいという願望で言っている言葉でした。つまり、悪いことが起こらないように、私はいいことを言っているので運良くあって欲しいという願望のために、「ありがとう」と言っていました。今になって思うとそれでは効果が薄いですよね。もちろん最初は人への感謝、社会への感謝、天への感謝が少なくて仕方ないと思うのですが、徐々にそれらの本来の「ありがとう」の成分を増やしていくことが大事でした。しかし、そのことに気づかず、ありがとうといい続けて医師として成長しながらも、自分の自尊心も育ち続けることになりました。社会から期待され、それを叶えるために自分ができてほしいことと自分ができることのバランスが悪くなってきました。そして10年後倒れてしまうのです。それはまた別の機会に話します。

仏教の知恵~八正道より~

魂の成長のためには正しい方法が必要です。仏教では八正道として指針を示しています。
正見(しょうけん): 真理や現実を正しく理解すること。四諦や無常、因果などの仏教の基本的な教えを受け入れる心のあり方。
正思(しょうし): 善い意志を持ち、悪い意志から離れること。慈悲や悟りへの志を高める心のあり方。
正語(しょうご): 真実で優しい言葉を使い、他人を傷つけない言葉や態度を心がけること。
正業(しょうごう): 身体や言動による善行を行い、悪行を避けること。他者や自分を苦しめない行為を心がけること。
正命(しょうみょう): 道徳的に正しい生業(職業)を選び、他人や自然に害を与えない生活を送ること。
正精進(しょうしょうじん): 悟りを求めるために努力し続け、自己改革や習慣の改善を目指すこと。
正念(しょうねん): 自分の心身の状態を正確に把握し、意識を向けること。瞑想やマインドフルネスを通じて自己観察を行うこと。
正定(しょうじょう): 心を安定させ、集中力を高めること。瞑想や修行を通じて心の平静を保ち、悟りへの道を歩むこと。

その中で、「ありがとう」という言葉は、他人への感謝を表現し、ポジティブなコミュニケーションを促す手段として、八正道の中では正語にあたると思われます。仏教の教えと関連し、感謝の心を持つことで、精神的な幸福や安定が得られるとされています。感謝の言葉を積極的に使うことで、自分自身だけでなく、周囲の人々との関係も向上し、より良い人間関係を築くことができます。そして徐々に利己的なありがとうから他者への感謝のありがとうへのシフトしていき、それが結局は自分の幸せにつながることを実感していけたらうれしいなと思います。今日も読んでいただきありがとうございました。

あとがき

私は私の話を聴きたいと言ってくださる人に対して、CDに話を録音して配っています。それが1枚2話で、月に1枚ペースで配っています。Noteで書いているのはその書き起こしなのです。Noteでは週に1話、書いていますので、CDよりだいぶ先に進んでしまいました。だから、CDが追いつくまで、私のダイエットについての講演も載せていきたいと思います。生活習慣病からみたダイエットの必要性や仏教の知恵からみるダイエットの成功法則などありますので、興味があれば読んでください。講演は2時間くらいあるので、それを書き起こし、追記していくと、20話はあると思われます。メインテーマは「生きづらい この世を少し 生きやすく」なので、CDが追いついたら、その話を先に載せていきますので、引き続きよろしくお願いします。

Reference

Robert A Emmons. Counting blessings versus burdens: an experimental investigation of gratitude and subjective well-being in daily life. Clinical Trial J Pers Soc Psychol. 2003.

🔽音声でも聴いてもらえる方はこちら
上記のお話に加え、慈悲の瞑想を放送しています。
音声の方が聴きやすい方もおられると思いますので良かったら利用ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?