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善行も悪行も、誰かがどこかできっと見ている

「やらない後悔より、やって反省」を人生のモットーのひとつにしている。

そう言いつつも、修行が足りないので常にそう思える訳ではなく、ふと思い返しては自分の未熟さに悶え苦しむ瞬間もある。

それでも、やりすぎたかな、やらなきゃよかったかなと気にしていたことを後から評価してもらえることがあり、その度に救われた気持ちになる。あのときの自分は、少なくとも誰かにとっては間違っていなかったのだと自信を持たせてもらえるのだ。

信念に基づいて行動していれば、思い悩んだり迷ったりすることも(無くなりはしないけど)すこしは減るのかもしれない。いつか誰かにとって、或いは未来の自分にとって役に立つこともあるのだとしたら、やって反省する方の自分でいたい。もちろん他人を傷つけないように最大限の注意を払いたいところではある。


似た話でいうと、誰も見ていない、褒めてくれないと思っていても、言われないだけで感謝されたり誰かを救ったりしていることもある。他人に求めず、自分のポリシーを貫くことで自信が持てるし、だからこそどこかの場面で言及してもらえたら喜びが増幅する(そう思っているので小さなことでも人を称賛したい気持ちがある)。


一方で、手を抜いたり怠ったりしているのは大体バレていると思っている。直接指摘してもらえるなら有難いことで、陰口を叩かれたり見下されたりして、そっと見放されていることもあるかもしれない。

つい自分を甘やかしてしまうことも多々あるけれど、自分の中の"誰か"、或いは身近に尊敬できる人がいれば、その人に恥じないように生きようとして背筋も伸びる。


善行も悪行も、誰かがどこかできっと見ている。
そう思えば、自分の人生に対して真摯に向き合い、自分の信念やポリシーに基づいて誠実に生きるしかないことに気づくのだ。

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