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チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 作品36

Peter Tschaikowsky - Sinfonie Nr. 4 f-Moll op. 36
P. チャイコフスキー作曲:交響曲第四番 ヘ短調 作品36
指揮:セミヨン・ビシュコフ
演奏:ケルンWDR交響楽団
収録:2008年9月19日  at ケルナー・フィルハーモニー


私スピンは妙にロシアの音楽が好きです。

小さい頃愛唱していた「トロイカの唄」。小学生のころ、愛読していた
「森は生きている」という物語。学生時代に口ずさんでいた「郵便馬車の
御者だった頃」。

厳しい自然の中、寄り添いながら逞しく生きる民衆の姿が、好きだった
のかもしれません。

しばらく、ロシアの音楽をご紹介してみたいと思います。で、まずは、
チャイコフスキーから。


最初にご紹介するのは、1878年に完成し、「啓示」と「焦燥」に満ち
みちた、チャイコフスキーの第四交響曲です。

ドストエフスキー「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフの思考遍歴を妙に思い起こさせてくれます。然しながら、誠に叙情的でメランコリック。
数々の印象的なメロディがぎっしりと詰まった、世界の交響楽団の重要な
レパートリーの一つです。


チャイコフスキーは1840年にロシア・ウラル地方で鉱山技師の次男として
生まれ、10歳にしてペテルブルグの法律学校へ入学。19歳にして法務省に勤務をはじめました。

音楽の道を歩もうとする考えは全くなかったようですが、天賦の才を、
モスクワ音楽院の教授であったアントン・ルービンシュタインによって
見出され、音楽学校に通い始め、21歳にして法務省を辞し音楽に専念し、
ようやく26歳にして最初の交響曲を完成します。 遅咲きです。

1870年代といえば、帝政ロシアが崩壊へ突き進んでいる時代。
世界は、きな臭く、不穏な空気に包まれていました。

この時代、音楽を志すことは大いなる勇気と、高くしぶとい「理想」を必要としたでしょう。なによりも「極貧」に耐える覚悟がなければできることでは
ありません。
そして「ロシアの冬」。ロシアの冬は極め付きに寒い!
端正にフロックコートを着てたたずむと、たちまち凍りついてしまいます。
食料を買い込み、燃料を貯えて冬を乗り切るより、むしろヨーロッパ南岸に旅行するほうが安くつきます。

この時代、少なくともある程度の教育を受けた若き知識人たちは、二つの思想のどちらかに組していました。

一方は「時代は変革を必要としている」「人民は疲弊し、その悲惨さは耐え切れないところに来ている」「私は何かを成し遂げねばならない」という
必死の、前衛的な思想を持ち、それはボルシェビキたちにより、ロシア革命へつながりました。

他方「人ができることはきわめて小さすぎる」「果たしてこの世で生き続けることの意味があるのか?」「なすべき正義とは何ぞや」という、厭世的、デカダン的、哲学的色彩の濃い思想です。
多くの作家、ドストエフスキー、ツルゲーネフ達はこの只中に居ました。

チャイコフスキーは、革命派ではないところからすると第2番目の思想グループに居たのでしょう。
一方は、しばらく後に出現するフランスに於けるジャン・ポール・サルトルの思想に近く、他方はアルベール・カミユの思考に近いといえましょう。


そのチャイコフスキー38歳の大作、「交響曲第4番」の冒頭は、天を突く、狂おしいばかりの管楽器の炸裂に始まります。
まさにチャイコフスキーが、音楽という芸術へ踏み出す「天啓」を楽譜に書き落としたものでありましょう。

さて、この「啓示」を導いたものは一体何なのでしょう?

「白鳥の湖」を世に出し、ようやく作曲家としてやっていける自信がつき、
さらにその頃に提供された「フォン・メック」という裕福な未亡人からの
賛助の申し出が大きく影響したと謂われているようですが、ハテ?。

ともかくも、「啓示」は「躍動」を生みます。。高らかな理想を抱き、実現の
暁きに得るであろう栄光を思い浮かべ、心は高揚します。
同時に、「啓示」は「焦燥」を生み、描き夢見る理想と、現実のあまりにも
大きなギャップに直面し、否が応でも、苛立ちを導きます。
この時代の知識人たちが共通して持っていた2面性であり、現代人に通じる大きなトラウマです。

「罪と罰」のラスコーリニコフは、「神の不在」という現実感と報われぬ予感に苛まれますが、幸いにも、無垢の心を持つソーニャという女性の「無償の愛」により救われ、生きる道を見出します。

残念ながら、チャイコフスキーを襲った現実は、もっと皮肉で、過酷なものであったようです。

狂おしい高揚感に溢れる第1楽章に続く、
第2楽章の、民と祈りの中に居る安息感、
第3楽章のピチカートで綴られる「くるみ割り人形」に似た夢幻の世界・・・

などとは、程遠い、過酷な精神生活を余儀なくされ、ついには自殺未遂にまで追い込まれてしまうのです・・・

以降、第5交響曲が書かれるまで10年もの時間が、彼には必要でした。


⇒ 1869年、書かれたチャイコフスキー最初の傑作。
  チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」作品 20a  へ
  まいります。



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