内なる歓びの種を蒔く
人生とは、物資的現実における体験の中で、思考、感情、感覚、超感覚を通して真の自分を知っていく、進化のプロセスそのもの。
自分が何者かを知りながら、この世界を体験するのであれば、それはすべて歓びに等しい。
自分を偽ることをやめて、本来の自分を表現することが最大の目的であり、歓びとも言える。
しかし、内なる声と向き合うことなく、歓びの人生を手に入れようとしても、それは無理な話だ。
なぜなら、自らの歓びを知らないのだから、体験しようにも選択することができない。
今思うと、もっとも本来の私を生きていたのは、6、7歳の頃、小学1年生から小学2年生の前半まで。
その期間は、現実と見えない世界の狭間でその奇妙さを体験しながらも、少なくとも自ら歓びを選択しようとしていたし、楽しんでいた。
しかし、私の場合、生まれついての超感覚の才能を生かす道筋を提示されることなく、それらに対して理解を示す大人も身近にはおらず、普通に学校生活に適応することを強いられた。
そういうと被害妄想的だが(笑)、結局は自らその体験を選んだのも今だからわかる。
そうやって社会という矛盾の塊の現実世界に降伏し、同化することで、本来の自分を見失い、バランスを崩し、精神的にも、肉体的にも蝕まれていった。
今でこそ、本来の自分を思い出しているが、20歳前半までの自らのテーマは、いかに自分を偽って生きるかであり、私にとって死を意味するプロセスだった。
意識のシフトが、宇宙レベルで起きる中、小さな殻(今見ている過去の延長線上の世界)に閉じこもっていては取り残されてしまう。
内なる声を聞いて、表現し、発信し、種を蒔いていこう。
そして、魂の仲間たちと共にこの人生を体験しよう。
そうすれば、必ず必要な体験を経験することができる。
感謝を愛をこめて
さかもとたかゆき
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