さかもとたかゆき
魂の声に正直に、本来の自分を生きるためのヒントとエンパワーメント。
主に、旅、リトリートで受けとるメッセージと経験をシェアします。
ここ数日の重さ、氣の抜け具合 全体に蔓延してる倦怠感 感じた、今なお感じてる方も多いのではないでしょうか? さて、何が起きてるのか? 上昇する感覚と感じた人もいるようですが、実際には上昇ではなく、地球が自らのコアに収縮していく重力によって、時空間的な低次の意識が地球内部に集まっていく動きだったようです。 コアに集まる今この期間は、地球とそれを取り巻く時空間の次元が歪み、多次元的な変容へと体感できるほどの変容を遂げつつあると言っても過言じゃありません。 古いエネルギ
宇宙、地球の大変容のさなか、今後のことは、次元を超越している存在にしかわからないことばかり。 検証できるかどうかは二の次でも良いが、眉唾物も少なくない。歴史やスピリチュアルにはそんな物語がわんさかある。 正しいかどうかなど問題ではない、それもどちらでもいい。真実も含まれていれば、そうでない部分もある。所詮、一面でしかないから。 人は自分の都合で世界を観察する。 だから、意図的に視点を変えたり、それをせざるを得ない強烈な体験、プロセスを通じてでないと器が拡張することはな
十和田湖の翌日、恐山へ 十和田湖を前日とは逆周りで奥入瀬から北上。約3時間の道程。 奥入瀬の自然、特に豊潤な水のエネルギーがさらに浄化を促してくれる。ドライブするだけで十分に充たされ、潤いを取り戻す。チャクラがゆるみ、雑念が削ぎ落とされる空間。 そして、奥入瀬を抜けて下北半島へ。その前の関門となるのが、六ヶ所村周辺。 遠隔で感じるだけでも、磁場やら空間のエネルギーが歪んでる、すなわち不自然な地域なので、少しでもドライブ時間を短縮したい行路。とはいえ、他に経路もなく、六
7月は、痛い1ヶ月だった(⌒-⌒; ) 初旬に熊野巡りに照準を定めていたのを、出発前夜にギックリ腰。 前半は、予定をこなすのが精一杯で、後半はずっと痛かった喉のリンパが本格的に腫れてきて、エネルギーの不順が続き、低調な状態でやりくりする羽目に。 いろいろなメッセージが放り込まれてきて、エネルギーの周波数に合わせてヒト領域の変容を急かされた1ヶ月。 そういった経緯もあり、8月のアースウェビングもビビりながら計画(笑)富士山周りを優先かと思いきや、これまで何度か流れた恐山
「未来に希望を持てるだろうか?」 「いま現実世界は、希望に溢れてるだろうか?」 ①「希望しかない」 真剣に希望に生きている。または、希望に生きることで、他のすべてを排除しているのかも。ただ楽観的なだけか。 ②「希望はある」 希望は、どんなときでも必ずある。しかし、希望に溢れているとは言い難い。ある意味、現実的に物事を見ながらも、希望的観測または希望を持って生き抜こうとするか。 ③「希望とは程遠い」 希望を持ちたいが、希望を持つにはあまりにも世界の現状は厳し
あぁ〜、なんだ、俺は怒ってるんだ。。。 小さな自分の、大きな自分に対する40年近くの反抗期 に今更ながら気づいた。(笑) 同時に届いたメッセージを載せておきます。 【高次メモ】 「怒りを抑える本当の自分を解き放て。」 人生は小さなあなたの思うようになどならない。 何かが実現した、させるなどは戯言だ。 本当にあなたの中で何かが覚醒するのであれば、 想定を超えるサプライズが起こる。 大きな自己を生きるのであれば、 宇宙はあなたを自然と導くだろう。 全体とともにある
20日の新月を挟んだ約3日間は、安定期。 変容前の静けさだった。 そして、今日午後4時前後に、瞬時にして地球の集合意識がまったく新しく生まれ変わり、変容したのを感じた。 大きな部類のエネルギーの動きだ。この後、約3ヶ月間の6月にかけて、その影響が現実世界に顕れる。 そんな流れの中、私たちができるのは、 自らの内奥にある魂の声に正直になり、今を体験する。すなわち、まるごと生きることだ。 光と闇も 善と悪も 男と女も 喜怒哀楽も 二元を生きるのは、人にとって決して楽な
大神神社を通り、三輪の荒御魂を祀る狭井神社から、三輪山へ登拝は、往復2〜3時間かかります。 三輪には、封印されている叡智を含む深淵なるエネルギーを強く感じています。 毎回来るたびに何かに気づいて、変容に導かれるエネルギー場。大地の波動も強く、天地をつなげるにはもってこい。グラウンディング力を高めるにもいいでしょう。 登拝は、軽い登山なのですが、あくまでも参拝ですので、登山とは言いません。 中には、かけ離れた恰好で登拝する方もたまに見かけます。今回は、カラフルなミニ
誰もが必要な存在と出会う。 新たに出会ったとき、何かしらの関係を持つかどうか、選択を問われる。 出会いは、新たな体験の扉。。。 まずは、どんなでも開けてみるに越したことはない。 ただ、違うと思ったときに、引き下がる勇気があればいい。 ひとつの出会いが、一見残念な終わり方をしたとしても、全体で見れば、次の可能性につながっていく。扉は、また目の前に顕れるから大丈夫。 動かないと、エネルギーは止まる。 動けば、エネルギーは流れる。 新たな出会いでは、様々な感情
人生とは、物資的現実における体験の中で、思考、感情、感覚、超感覚を通して真の自分を知っていく、進化のプロセスそのもの。 自分が何者かを知りながら、この世界を体験するのであれば、それはすべて歓びに等しい。 自分を偽ることをやめて、本来の自分を表現することが最大の目的であり、歓びとも言える。 しかし、内なる声と向き合うことなく、歓びの人生を手に入れようとしても、それは無理な話だ。 なぜなら、自らの歓びを知らないのだから、体験しようにも選択することができない。 今思う
当たり前の人気ビーチではありますが、このビーチの波動は好物です♫
先日、高校時代の親友と話しているときに生まれた言葉。 私たちは、往々にして、社会、周囲の写し鏡として、 社会、周囲にとっての模範を生きるよう求められる。 ほとんどの場合、それらの期待に応えようとする。 そのため、自然と自分以外の何者かになろうとする。 葛藤する。 何者かになろうとする中で、私は何者かを問い始める。 何者かと問われれば、記憶の中から探し出す。 しかし、今のままでは不十分だと感じる。 そして、また新たな何かを付け足そうとする。 いつまでも納得の
生まれて間もなく、僕の人生は苦しみだとあきらめた。(笑) 能力、感覚の違いのせいもあったが、冷徹に世界を眺めていた。 自分と他者の関係において、孤独であったし、 自らを理解できないという意味でも孤独であった。 僕は、確かに幸せを感じていなかった。 孤独を愛し、現実的にも、精神的にも絶望のどん底を這っていた。 でも、今は歓びを生きている。 そして、今を自ら生き続けている。 それは、本質的に、外的要因に左右されるものではない。 まず気づかないといけないのが、
セドナでは、体験を通して多くの気づきを手に入れた。 気づきとは、変容のプロセスの大きな一歩だ。 気づくことで、新たな行動を選択することができる。 気づかない限り、今のままでいいという打算が生まれ、延々と過去の自分を繰りかえし、それらを正当化してしまう。 だから、スペースを常に持っていること。 当然だが、スペースがある人は、ゆとりがあり、新たな気づきを受容しやすい。 ゆとりがあるということは、冷静に、適切な対処を考え、選択する幅があるということだ。 だから、魂の成
セドナから帰ってきて、早朝から様々なメッセージが流れは消える中で、もっとも自分に響いている言葉。 直感的、感覚的、身体的、思考的、どこかに力が入っていると(意識の向ける先が偏在していることを含む)、その偏りが自らの内なる課題を浮き彫りにする。 それらがエゴシステムとして顕在化し、行動に顕れる。それをクリアするには、まずは気づいて、自らの意識と共に行動を変える内外の統合が必要。 セドナのツアー期間を含む、この10日間で僕自身はまた新たな領域にシフトしているのを実感している
セドナでのリトリートツアーの足慣らしも終わり、昨日はメンバーをお出迎えに行ってきました。今日からワクワクの6日間を過ごすことになります。 事前の足慣らしの3日間で第一に感じたのは、セドナという時空間の進化です。当たり前ですが、実感としてです。 遠隔で感じることもできますが、より身近に肉体を伴って体験するには、やはりその場に行くのが一番。超感覚のみでなく、身体感覚を伴うと、腑に落ちる度合いはより深くなります。 早速、あるスポットで、人が誰もこない中、はるさんとともに大地と