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"私"のスペシャリストになる


先日、高校時代の親友と話しているときに生まれた言葉。


私たちは、往々にして、社会、周囲の写し鏡として、

社会、周囲にとっての模範を生きるよう求められる。


ほとんどの場合、それらの期待に応えようとする。


そのため、自然と自分以外の何者かになろうとする。


葛藤する。


何者かになろうとする中で、私は何者かを問い始める。


何者かと問われれば、記憶の中から探し出す。


しかし、今のままでは不十分だと感じる。


そして、また新たな何かを付け足そうとする。


いつまでも納得のいく何者かになれないでいる。


そもそもどこへ向かっているのだろうかと疑いを持つ。


とうとう、私は何者かであるかを問うのをやめる。


感情を抑え、周囲と合わせるようになる。


無理がたたり、感情を吐き出す。


身体に異変が生じる。


”私”は、さまざまな形で叫び続ける。


私とは違う者を指差して、私を正当化する。


それでも、満たされない思いは続く。


対立して、私を証明しようとする。



見ての通り、すべて、私たちがしたいようにしているだけ。


今を変えたければ、今日から”私”のスペシャリストになろう。


”私”は、本当は何を望んでいるのか?

何がしたいのか?何が欲しいのか?


感覚が教えてくれる。

直感が示唆してくれる。


それらを経験し、糧にして新たな自分になっていく。

変わっていく、そして魂の”私”を思い出す。


そのためには、

理由や条件を除いて、「本当に、本当にそれでいいのか?」

自らに問い続けること。


そして、自分にとっての、本当の歓びを知り、選択し続けること。


<大事な問い>

「”私”は、⚪️⚪️に自らのエネルギーを注ぐことに、本当に同意しているだろうか?」



感謝と愛をこめて

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