見出し画像

映画「自転車泥棒」を観ようとしたら、英語版だったので、観るのをヤメた

とある映画配信サイトで、「自転車泥棒」を観ようとした。言語はItalianoなっていたが、観てみると、英語版だった。非常にガッカリした。なので、観るのをヤメた。

イタリア映画なら、イタリア語で観たい。と言うか、イタリア語で観るべきだと思っている。ボクは、イタリア語はわからないが、映画を鑑賞する上において、それは重要ではない。重要なのは、イタリア語の響きがあることなのだ。それでこそ、イタリア映画だと感じることができるからだ。

今回の「自転車泥棒」の一件は、おそらく配信サイトの問題だと思う。おおかた英語版を日本語版に使い回したのだろう。

それで思い出したが、海外の映画には、非英語圏が舞台なのに、最初からセリフが英語の作品が多い。例えば、ポーランドに暮らすポーランド人家族なのに、セリフは全部英語だったりするわけだ(店の看板や新聞などはポーランド語だったりする)。

おそらく、英語圏の人間が制作したからとか、英語の方が配給や集客などが有利だからだと思われるが、ボクは、この手の作品も好きになれない(観ないとは言ってない)。

その理由は、単純に違和感があるからだ。ポーランド人の設定なら、ポーランド語を話すべきだし、オーストリアの皇帝なら、ドイツ語を話すべきだ。さらに言えば、つくり手の傲慢さを感じてしまう、というのもある。それが良い映画だと思えば思うほど、傲慢さが鼻についてしまうのだ。

ついでに言えば、海外映画の日本語吹替え版もキライだ。以前、オリジナルと観比べたことがあるが、役者の印象が、まったく違ってくるからだ。吹替え版には吹替え版なりの楽しみ方があるのかもしれないが、それはまた別の話だと思う。