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密教の真言は一般人が唱えてはいけないの!? その答えは様々な証拠からわかる

真言を一般人が唱えてはいけないとする説が、ネット界隈の一部で多くの人の関心を惹いているようです。しかし、果たしてそれは正しいのでしょうか? これについて、神道、仏教、キリスト教を信じる筆者が、個人的な意見を交えて書かせていただきます。

なお、私はプロの仏教解説者やお坊さんではありません。そのため、真言や密教について100%正しい解説ができることまでは保証できませんが、様々なお寺の姿勢など、その根拠を提示しますので、おそらくこれで正しいだろうと思えるような形で解説させていただきます。

個人的には、人生で真言に何度救われたかわかりません。数えればまるで星の数ほどありそうです。

具合がよくないときに、真言を唱えることで体調がよくなったり、困ったときは真言のYoutubeを視聴することで、解決策を見出したりなど、これほどありがたい真言を、唱えていけないとするのは、いったい何か目的でもあるのでは? と思いたくなるほどです。

一般人が真言を唱えてはいけないとする説は、説の出どころや根拠が明確でない

真言を唱えてはいけない、とする説はいったいどこから来ているのでしょうか? まず、私は真言宗、密教関係の僧侶の方が、そのような主張を解説する場面に出会ったことがありません。

真言宗、密教関係の僧侶の方が、「真言は、住職が特別に赦されているのです。一般人は真言を唱えてはいけません」と言っているなら、まだ理解できるのですが、私はネット上でそういう解説に出会ったことがまるでないのです。

いっぽうで、阿部ちゃんねるというYoutuberさんの例をここに出してみましょう。阿部ちゃんねるの動画は、私も時折ありがたく拝聴させていただいています。

阿部ちゃんねるでは、主さんが様々な動画を作成され、そこで「お経や真言、祝詞」を唱えています。その動画のコメント欄は感謝の声でいっぱいなのですが・・・

動画のコメント欄で、なんと一定数のユーザーが「お経や真言を一般人が唱えてはいけない。一般人は唱えないほうがいい」というコメントを残しているようなのです。

そこで、このYoutuberさんが反論しました。要約すると・・・

祝詞や真言を一般人がみだりに唱えてはいけない、と言ってくる人が非常に多いです。しかし、それは明らかな間違い。

間違っていることを正しいと信じている人が非常に多い

日月神示にも書いてあるからわかるけど、祝詞や真言は唱える人の御霊次第で良くも悪くもなる

要は、神様をしっかり信じて御霊が高く、利他心がある人であれば、真言は良い結果をもたらすけど、神様を信じなかったり、御霊が低くて自分の利益しか頭にない人、他人の幸福を望まないような霊的に低いような人は、よくない結果をもたらす可能性がある、ということです。

その反論は私の思っている意見に非常に近いものを感じました。

個人的な意見としては、御霊が高い人はもちろん、普通の人でも、真言や祝詞は十分良い結果をもたらすと思っています。いっぽうで、神様を信じなかったり、御霊が低くて自分の利益しか頭にないようなごく一部の人たちは、たしかに真言は不用意に唱えないほうがいいでしょう。

これは、真言、祝詞に限った話ではなく、お経や様々な神仏への祈り・マントラにしてもそうです。


■ 真言を唱えないほうがいい人の例
「神仏?いるわけねーだろ。真言で俺1人だけいい思いすればいい」
「どこの馬の骨とも知らないやつの幸せなんて、どうでもいい」
「利他的はムリ。自分の利益だけで十分。俺に騙されるほうがいけない」

真言は、人々の幸せを願う仏と霊的につながるためのツールです。おまじないではありません。そのため、神仏が嫌がる姿勢の人は真言を唱えないほうがいいです。


真言は、好転反応で一時的に悪化することがある。しかし、それは吉兆への過程の場合があり、唱えていけない意味ではない。

上に書いた通り、御霊の高い人や普通の人であれば、真言は結果的に良い効果をもたらします。たとえば、漢方薬にしてもそうですが、症状が改善するために、一時的に症状が悪化することがあります。これを好転反応といいます。

真言を唱えて、良くないことが起きたら、それは何かのメッセージであることがあります。

たとえば、真言を唱えてそれまでやっていた仕事がうまくゆかなくなったとします。しかし、しばらく経ってから、実はそれがきっかけで、さらに良い仕事に出会えるという場合、これを好転反応といいます。

何かを好転させるためには、一時的に破壊が必要な場合もあります。そのときは、天が正しい道へと軌道修正してくれる場合があるわけです。

また、本来はもっとひどいことになるところを、その程度で済んだ、と大難を小難に変えてくださる場合があります。

果たして一般人が真言を唱えてはいけないのか? お寺の姿勢を見れば、明確な答えがわかる

一般人が真言を唱えてはいけないのか?それについてお寺の姿勢を見る・・・これほどわかりやすいことはありません。

そこで、ここから真言にたいするお寺の姿勢を紹介したいと思います。

🔵 浅草寺

浅草寺は、真言宗の密教ではありません、聖観音宗ですね。しかし、私が浅草寺の本堂の境内に入ったとき、そこに真言の張り紙が書いてありました。

「観音様のご真言:オン・アロリキャ・ソワカ」

そして、うろ覚えですが、いくつかの仏像のそばには、その仏の真言の張り紙がありました。

これは浅草寺の住職さんが「みなさん、観音様や仏様の真言を唱えてください」と勧めているようなものです。

もし、住職の人以外が真言を唱えてはいけないのであれば、このような真言の張り紙はないはずですし、「一般人の方は唱えないでください」と注意書きがあるはずです。しかし、そういう注意書きは一切ありません。

こういうことから、観音様のご真言は一般人が唱えて良い、ということを、あの浅草寺さんが認めている、といえるのです。

🔵 真言宗豊山派 金剛院

上記のリンク先は、東京の池袋にある真言宗のお寺のHPです。

このHPでは、タイトルに大きく「光明真言、般若心経を唱えてみよう」と書いてあります。そしてコンテンツ本文内に、一般人の方は真言を唱えるのを控えてくださいとか、みだりに唱えないでください、とか、そういう注意は一切ないですね。

そこに光明真言が書かれていますので、ぜひ真言を唱えましょう、とお寺が勧めているわけです。

🔵 高野山真言宗 総本山金剛峯寺

これは、真言宗の総本山、高野山の金剛峯寺です。あの空海さんが開かれたお寺です。

🔴 檀信徒のお勤めと作法

このHPのなかに、「檀信徒のお勤めと作法」と書かれている場所があり、そのなかに「仏前勤行次第を読経」と書かれています。

この「仏前勤行次第」は結構長いのですが、お経やら仏さまへの心得やら、様々な文章を読経するわけです。

さて、これを唱える「檀信徒」とは、檀徒(檀家・檀中)と信徒(信者)のことなので、密教を信じている一般人ということです。広義でいえばその宗派(寺院)を信仰していれば、寺院と直接的なかかわりがなくとも信徒といえます。

そして、仏前勤行次第は結構長く、そのなかに「光明真言」や「13仏真言」が収められているのです。

ということは、住職でない一般人が光明真言や13仏真言を唱えることは、ほぼほぼ問題ないことがわかります。むしろ、毎日唱えることが推奨されていることがわかります。

仏前勤行次第 光明真言序文

真言宗(密教)の仏前勤行次第のなかに収められている光明真言には、次の序文があります。ぜひ唱えてみましょう。


となえたてまつる光明真言は 
大日普門(だいにちふもん)の萬徳(ばんとく)を23字に攝(あつ)めたり
おのれを空しゅうして
一心にとなえてまつれば みほとけの光明に照らされて
三妄(まよい)の霧(きり)おのづから霽(は)れ
浄心の玉明らかにして
真如(しんにょ)の月まどかならん


たしかに、ここに書いてあるとおり、光明真言には、迷いの霧が晴れる力があると思います。

光明真言を唱えてみよう

序文の後の光明真言は次のとおりです。仏前勤行次第では、序文の後にこれを3回となえます。

こまったときは、数多く繰り返しとなえてみてください。


🔵 光明真言:大日如来の真言

おん あぼきゃ べいろしゃのう
まかぼだら まにはんどま
じんばら はらばりたや うん


唱え方は、Youtubeをご参考に。たくさん動画がUPされています。

ベストな唱え方なのはサンスクリット語ですが、上記の日本語版でも効果がないわけではなく、ある程度しっかりと効力があります。

光明真言は、何かあったときに本当に助けられます。

ぜひ、この記事をご覧のみなさまが、何かで迷われているときは光明真言を唱えてみることをおすすめします。

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