差別の抑圧は差別を生む…森喜朗爺さんのスキャンダルから学ぶ、ジェンダーイクオリティ

昨日、アニメ新編の放映が決定した国民的ヒット作、鬼滅の刃。

今作で描かれているストーリー「遊郭編」は、文字通り大正時代の遊郭街を舞台に鬼との戦いが繰り広げられるもので、最近猛烈にフィーバーしている森爺さんスキャンダルによって頭の中から喚起されたセリフがある。

「この街じゃ女は商品なのよ 物と同じ 〜」
「不細工は飯を食う資格ないわ 何もできない奴は人間扱いしない」

千と千尋を超える国民的大ヒット作、「女性は競争意識が高いので会議ガー!」が霞むレベルのどストレートな表現を使っていた🤣🤣

鬼滅が今、海外でどれだけ人気が浸透しているかは知らないが、海外では場合によってはガチで規制が入るレベルである。

因みにこのシーンは、当編で遭遇する上弦の鬼、堕姫が吐き捨てるセリフだ。

森爺事件で、「日本の恥!」「日本のジェンダーは世界から遅れている!」との一部声のデカい怪しい層からの急進的批判もある様だが、世界のジェンダーイクオリティの先鋒って、本当にこの様なフィクションの表現すら規制されるレベルで、発言も表現もタブーになりつつある。

日本で森爺炎上が起きた正に同じ時期に地球の裏側チリで、↓こんな↓事件が起きていたのをご存知だろうか。

世界中で大人気のアニメ、「キャプテン翼」が放送されていたが、アニメ序盤、三杉君がチームの女子マネ、弥生を平手打ちするシーンが「性差別的な暴力シーン」であるとして、放送したテレビ局が審査団体から罰金処分を受け、その正当性が裁判で争われたという🤣🤣🤣

笑っちゃうけど笑えない、世界のジェンダー基準というのは、本当にここまでのレベルで表現規制されうるレベルなのである。ハリウッドでも男女平等、人種平等の下でキャスト規制が入るようになり、人気俳優の降板も起きている。

この流れの中で日本は今、世界でトップクラスに表現の自由度が高いとも云われている。そしてこれはジェンダーイクオリティと表現の自由がトレードオフ、逆相関の関係と化していないか、というのがおじさんの懸念しているところ。

タブーを作り過ぎて、「♪言いたいことも言えないこんな世の中じゃー♪」になってしまっては逆に分断と差別を助長しかねないのは、今の米国が表している。

因みに鬼滅の作者、吾峠呼世晴は女性と云われている。「女は商品〜」とか、このど直球な表現と直筆文字の筆跡から、私も作者はきっと女性だと思っていたが😂、この国民的ヒット作のファンに女性も多くいる筈で、いちいち女性蔑視ダー!とか宣う人はいない。そもそも作者も女性だ。

その寛容は良い部分だと思うし、だからこそ日本のアニメや漫画は今世界中でヒットしているのではなかろうか。今Netflixで日本のアニメは海外のアニメと比してもダントツで人気が高い。

人々が求める平等とは具体的に何なのか。自分の欲望を満たすだけのものが平等だというのは、それは環境テロと変わらないのであり、EqualityなのかEquityなのか、数なのか評価基軸なのか、立体的な設計で調整しないといけない複雑な概念なのじゃな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?