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#15 甲子園と球数制限を考える

だいぶご無沙汰してしまいました。
スポーツについてあらゆる角度から個人的に考えるシリーズ、今回で15回です。
今回は、たまにはタイムリーなテーマ、甲子園について。甲子園、盛り上がりましたね。100回記念大会とあって、レジェンド始球式などもあり、観客動員もかなりな数だったようです。
そしてなんといっても金足農業。優勝した大阪桐蔭はもちろん素晴らしい。それでもやはり公立高の星の快進撃、とりわけ金足農業ナインのハツラツとしたプレーに胸をうたれ、ついつい金足農業を応援してしまった人は私だけではないはずです。
しかし改めて大阪桐蔭、優勝おめでとうと言いたい。春夏連覇を二度達成は偉業中の偉業です。

そんな中で気になったのは金足農業のエース、吉田投手の連投っぷりです。決勝はハッキリいってヘロヘロだったんではないでしょうか。
という事で、今回は甲子園での投手の連投や球数制限について考えてみたいと思います。


連投・球数のリスク

この話は色々なところで既に議論されています。
連投によるリスクは、例えばその投手の選手生命を縮めることになるかもしれない、ということ。
または、トーナメントを勝ち抜く毎にベストコンディションで挑めない可能性が出てくること。
そして、一人の投手に頼る事で、彼がダメならチームもダメ、という戦術面。他にもあるかもしれませんが、とにかくリスクのオンパレードです。
だからこそ、球数制限という話が出たり、甲子園のスケジュールを再考したらどうか、という意見が出るわけです。今年も決勝がもう少しあとに開催されていたら、、と思ってしまいます。これには阪神の協力が必要ですが。
アメリカでは連投自体が悪とみなされていて、そんな事をさせたコーチは著しく評価が落ちるそうです。

こうして見てみると、投手の連投はダメ、球数制限はあるべきという風潮になって当たり前といえば当たり前です。しかし高野連はすぐには変更できないようです。理由としては、沢山の部員や、エース級の投手をかかえる私立はそれでもいいかもしれないけど、部員や才能が潤沢ではない公立高はそれだと困る、という事です。確かにそうですよね。今回の金足農業もそうだったんでしょう。こういうことを書くと吉田投手以外の選手にとても失礼になってしまうかもしれませんが、あえて言うなれば、もし球数制限があったら、金足農業は決勝まで来れたのか。もっといえば、甲子園に出れたのか。それだけ吉田投手は素晴らしい投手という事です。


球数制限には反対

ここで私の意見を先に書いておきます。
私は球数制限には反対です。逆に甲子園全体のスケジュールは見直す余地ありだと思います。今年も延長に入ってからのタイブレーク制度が導入されました。来年はそれにプラスして、スケジュールの見直しを是非お願いしたい。
さて、球数制限の話に戻りますが、これは高校年代、とりわけ甲子園と、大会予選に限り必要ない、という意見です。その他の大会や、他の年代の球数制限はあってもいいのかな、と思ったりします。大学なんかは既にあるようですし。ただ甲子園に限っては無しでいいと思っています。

ちょっと時代に逆行するような意見なんですが、理由は高野連が言っている私立と公立に不平等な状況が生まれてしまうのではないか、という点が大きいです。球数制限を設けると今回の金足農業のような高校が現れる可能性がなくなるような気がするからです。
では、そうは言っても「肩は消耗品」と呼ばれる投手の選手生命を脅かす点や、大会中のコンディションの面はどうなのか。
まず、大会中のコンディションに関しては、先にも書いたスケジュール面の改善でなんとかカバーしてあげたい。
そして一番気になる選手生命の件。ここが世間が球数制限ありきにしている大きな要因な気がしますが、私はこれを気にし始めたら甲子園ではない、と思っているのです。

もちろん、甲子園での連投のせいで、プロで活躍出来なかったら、非常に可愛そうなんですが、まず前提として甲子園出場校の投手全員がプロになるわけではないですよね。いやいやプロではなく大学進学だったとして、そこでも肩を壊したり、なんてリスクももちろん考えられるんですが、そもそもそんなリスクを考えながら彼らは甲子園を目指し、大会中、優勝を目指しているのか。
「あ、俺、この先もあるんで、次の回で変えてください」なんて選手はいない。
だから投手起用に関しては監督が責任を持って判断を、という話になるんですが、監督からしたら、その投手だけの問題ではないわけですよね。いうなればチームの事を考えるわけですよね。要は勝たせてあげたい、と。その投手を、ではなく、このチームを勝たせてあげたい、と。今まで汗水流した仲間。こいつらを勝たせるには、、という中で、最適なチョイスがエースの連投になるのならば、それも仕方のないことだと思うんです。

球数制限を儲けるにはコミュニケーションが大事だと思います。チーム内でのコミュニケーションです。大差のついてしまった試合だったり、それこそ、怪我だったり、監督・チーム・そして投手が納得の上での制限であれば理解できるかなと。ただし、それが公式のルールになってしまうのは、どうなんでしょうか。


今を闘う彼らのために

選手たちはそれこそ、死にものぐるいで甲子園を目指し、甲子園での勝利のため完全燃焼したいと願っているはずなんです。ちょっと話が変わりますが「スラムダンク」という漫画の中で、主人公・桜木が試合中に怪我をしてしまいます。監督が交代させようとした時に、桜木が言った台詞が以下です。

オヤジの栄光時代はいつだよ・・・ 全日本のときか? オレは・・・オレは今なんだよ!!!

これは漫画の中での台詞・シーンですが、実際、スポーツに真剣に取り組んでいる人は多かれ少なかれ桜木と同じ気持ちで試合に挑んでいるんではないでしょうか。

ましてや、甲子園という舞台は、いつも以上に選手たちを燃えさせるのでしょう。そして選手も完全燃焼したいと願っている。

先にも書きましたが、それでも彼らの将来を守る義務が大人たちにはあります。だからこそ、スケジュールを見直したりしてなんとか疲弊を軽減させてあげる策は必要だと思います。でもそれが球数制限なのかというとちょっと疑問です。これまた先にも書きましたが、チームとして勝ちたいわけで、それを邪魔するような制度の気がしてならないのです。金足農・吉田投手にもやはり限界がきてしまい、決勝で途中降板しました。でも、彼は出し切ったんではないでしょうか。そしてそんな彼を信じ、ともに闘った仲間たちも納得だったんではないでしょうか。もし、球数制限があったら、もっと早くに降板していたかもしれない。それで彼もチームも完全燃焼できたかは疑問です。


プレイヤーズファーストの変革

これは決して根性論などではないんです。甲子園という「今」にかける彼らの想い。その想いがかなわないような制度ならばたとえリスクがあっても導入すべきではないと思います。甲子園は高校球児のものです。彼らが納得するような制度改正が理想です。プロや大学で今よりも伸びるかもしれない。その可能性をつむような連投は悪。そんな一辺倒な考え方ではなく、「今、完全燃焼したい」と思う球児もいるはずで、そこをうまくコントロールしてあげる事が必要だと思います。

と、ここまで書きましたが、私は高校球児だった経験がないので、彼らの本当の想いはわかりません。もし、彼らに聞いた時、大多数が球数制限に賛成なのであれば、ぜひ導入すべきです。一番大事なのは、選手である彼らが納得できる状況になることです。現在スポーツ界はさまざまな制度が見直されています。部活動も時間が短くなったりしています。そういった変革の際はぜひプレイヤーズファーストで決定してもらいたい。

最後に高校球児たちに、お疲れ様でした、そして感動をありがとう、と伝えたいです。彼らのあの熱気はどこから生まれるのか。彼らの将来、そして今。時代の流れや諸外国の流れに乗るのではなく、まず、彼らを第一に考え、愛のある変革がなされる事を願っています。

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