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選手たちの将来を守るために現場に関わる人間が安全に対する学びを深める事が肝要

福嶋 洋
独立行政法人国立高等専門学校機構 久留米工業高等専門学校 教員

スポーツにおける頭部外傷・脳振盪の研究は進み、今ではトップクラスの選手やクラブチームであれば、その対応策や対処法、復帰プログラムもきちんと組まれています。
ですが、ジュニアや高校生、大学生といった次世代を担う選手たちが活躍する現場への普及にはまだまだ時間がかかると予想されています。その問題点と解決策について、選手、指導者、教育者、そして研究者と多くの顔を持ち、まさに現場で活躍する福嶋 洋先生にお話を伺いました。

――選手として、指導者として、教育者として、そして研究者としてなど、さまざまな顔を持たれている福嶋 洋先生にお聞きしたいことはたくさんあるのですが、まずは福嶋先生とスポーツとの出会いを教えていただけますか?

福嶋 洋(以下、福嶋):私には兄がいるのですが、その兄がサッカーをやっていた影響もあって遊びから入りました。ただただ好きでやっていただけなのですが、小学6年生のときに福岡に引っ越してきたのをきっかけに、今のアビスパ福岡の前身である福岡ブルックスの中学生チームの入団テストを友人と受けました。そこで3年間プレーをして、また東京に引っ越してプレーを続けました。

アビスパ福岡の現役時代はFWで活躍

18歳のとき、そのまま大学にでも進むのかなと考えていたのですが、たまたまスカウトの方が目に留めてくれていたのです。当時は東京都の選抜にも選ばれていませんでしたし、全国大会などにも無縁でしたから自信はなかったのですが、人生一度きりだからチャレンジしてみよう!ということで、プロの世界に飛び込みました。

――プロになられてからの活躍は多くの方が知っているとおりだと思います。その後、どういった経緯でスポーツ医学を志されたのですか?

福嶋:少し長くなりますが、そんな立派な理由とかではないんですよ。選手を辞めたのが29歳のときでしたけど、高校の教員になるための免許を取りたいと思ったので30歳で福岡大学に入り直しました。進路を決める段階で高校と大学で教員になったときの内容を比較すると、研究も含めて自分のやってみたいことに取り組めそうなのが大学でした。そこで大学院に進んで、スポーツバイオメカニクスを学びました。ずっと現場の人間でしたし理系でもなかったので大変だったのを覚えています。

その後は福岡大学で助教として仕事をしていました。そのとき、福岡大学に脳外科医の先生が新しく来られたのです。その先生が、重森 裕先生でした。重森先生の助教がいない、ということでお声がけいただきました。でも私が学んでいたのはスポーツバイオメカニクスで、スポーツ医学ではありませんから、実は最初はお断りをするつもりだったのです。ですが、重森先生が研究されていたのが、スポーツにおける頭部外傷や脳振盪でした。今もまだ道半ばですが、当時も日本では全然進んでいない研究分野だったので、こんなことができるんだ、ということで興味持ったのが、私とスポーツ医学との出会いでした。だから、私自身が志したというよりは、人との出会いによってスポーツ医学を志したという感じですね。

当時は私もサッカー選手をやって、コーチをやって、研究をやって……と、自分は何者なのかと悩むこともありましたが、人との出会いに導かれてスポーツ医学に辿り着きました。すべてを学ぶことで何かつながってくるものもありますから、そういった意味で、とにかくやってみる、ということはすごく大事な姿勢だな、と今振り返ると思います。

――実際にスポーツ医学の世界に飛び込んでみていかがでしたか?

福嶋:そうですね、重森先生と出会ったのはもう8年前くらいになるのですが、脳振盪はスポーツにおける頭部外傷の中で最も多く発生しているのですが、トピックとして世間的に大きく扱われていないものでした。実際に日本でのデータも非常に少なかったので、まずはデータ収集から始めました。
全日本大学サッカー連盟さんの協力を得て、全国の大学生の調査をしてみたら、思った以上に脳振盪、というものが多く発生していたことがわかったのです。そういう経緯からも研究して啓発をしていかないといけないと感じていたのですが、その矢先に頭部外傷で選手が亡くなる、という事例が起こりました。それを知ったときに、これは本格的にやらなければいけないと決意しました。

私が当時勤務していた大学のサッカー部は、サッカーでプロになりたいという学生が多く入学してくる部活でしたから、その学生たちの夢や目標を実現させるサポートをすることが自分の仕事だと思っていました。しかし頭部外傷や脳振盪を知り、それらの症状によって苦しむ選手たちがいることを知り、競技力向上だけでなく安全面もサポートできる人間になりたいと強く思うようになりました。

――先生が研究を進められてから、日本でのスポーツにおける脳振盪の研究はどのくらい進んだのでしょうか。

福嶋:海外と比較すると、まだまだ研究の数は足りないと思います。ただ、研究を進めることはもちろん大切なのですが、それだけではなく、研究したことをいかに現場に落とし込むかも同時に進めていかないとなかなか予防効果は生まれないのではないか、ということを強く感じています。

学会での発表も精力的に行っている

たとえばですが、日本ではプロやセミプロのレベルにならないと、チームドクターやトレーナーがつくことはほとんどありません。今、私は高等専門学校にいるのですが、このチームにもトレーナーはいません。でもきっと、この状態が日本にあるサッカーチームの8、9割を占めているのではないかと思います。そうなると、頭部外傷や脳振盪に対する考え方や対処の仕方などの知識を強豪校など一部の研究者やトレーナーなどが持っているだけでは、本当の意味で予防効果は生まれないのではないかと感じていて、それがこれからの課題なのではないかと思っています。

――そのために取り組まなければならないことは、どういう取り組みなのでしょうか。

福嶋:まずは「現場の指導者が頭部外傷の本当の危険性を理解する」ということだと思います。それには本当に時間がかかることです。でも、やはり指導者が頭部外傷や脳振盪というものの本質を理解して、選手たちを守る、安全性、将来性を守るためにも、学びが必要なのではないかな、とは思います。

子どもたちを指導する指導者にこそスポーツ医学の知識が必要

たとえばですが、脳振盪の症状をしっかりと判断できる知識を持つ、脳振盪と疑わしい症状も知っておく。そのうえで、どう対処していくことが良いのか。もし脳振盪だった場合は、どのようなプロセスを経てプレーに復帰させれば良いのか。指導者がそういった知識を持つことが当たり前になり、またそういう知識を持った指導者に教えてもらった選手たちが成長して次世代の指導者になったときに、脳振盪に対して当たり前のように対応できるという良い循環ができたらいいですよね。そういう環境を作れるかどうか。それが大事なのではないかと思っています。

たとえ指導力を伸ばしてチームや個人を育てて名声を手にすることができたとしても、万が一自身の安全配慮が欠けたことによって不幸な事故を招いてしまっては一生消えることのない後悔しか残らないと思います。安全に対する学びは、選手の将来性を守るという意味でも指導者にとっては極めて重要なことだと思うのです。

――なるほど、指導者への啓蒙ですね。ちなみに、選手たちに対して脳振盪の知識はどのくらい広まっているのでしょうか。

福嶋:まだまだ情報を持っていない選手のほうが多いですし、脳振盪というものがどういう危険性を持ったものなのかを理解している選手は少ないですね。そうなると、強く頭を打ってフラフラするから、少し休んで、大丈夫そうならプレーに戻る、という感じになってしまう。だからこそ、情報や知識をもっと現場に落とし込むことが、今後の脳振盪の予防ということにつながっていくのではないでしょうか。

――ハードをいくら整備しても、ソフトの部分やソフトを扱う人の部分がもっと成長しないといけませんよね。

福嶋:実は“AEDがある”という施設を使っている選手たちのなかにも、AEDが施設内のどこにあるのか、どう使えば良いのかを知らない選手もいます。現場の人たちへの情報伝達や知識の伝達ができていないと、せっかく良い環境設備の意味がなくなってしまうわけです。

命を救える機器も知らなければ必要なときに使えない

――先生は現場の指導者や選手たちに講習会や授業をする際、何か伝えるための工夫などは行っていますか?

福嶋:そうですね、冒頭にインパクトの強い画像や映像を見せて、頭部外傷や脳振盪を始めとするスポーツに潜むリスクを最初に理解してもらうようにしています。
頭部外傷を一例に取ると、先にも説明しましたが、まだまだ現場では頭部外傷というものの危険性を理解できているかというと、そうではない気がしています。それであれば、まずは頭部外傷によって本当に重大な事故が起きてしまっているということを“知る”ことは大事だと思うのです。こんなに危ないのだから、基礎としての頭部外傷に対する知識を持ちましょうね、と。そうしたほうが、興味を持って話を聞いてもらえるようになると感じています。ですので、こうして文字にして発信してもらう、ということもとても大事だと思っています。

※参考:FIFPro(国際プロサッカー選手会)からの脳振盪に対する注意喚起動画

――ありがとうございます。予防や対応策、ということに加えて、脳振盪は復帰プログラムも大事だと思います。

福嶋:そうですね。少し話が逸れるかも知れませんが、復帰プログラムも含めて、脳振盪を起こしたらこうするというルールを決めてしまうというのも良いのかなと思うこともあります。

結局、ルールとして入ってしまえば、脳振盪を起こすとある一定期間は試合に出場できないということをみんなが理解しますよね。すると、脳振盪というものを自分ごととして受け止めてくれるようになりますし、復帰するためにはどうしたら良いかについても、自分から興味を持って学ぼうとしてくれます。そうすれば、子どもたちを指導する大人も学ばなければなりませんから、良い循環が生まれるのではないかと思います。現在、プロなど環境が整っている中では脳振盪ルールが適用されていますが、医療従事者が従事していないアマチュアの大会ではそのルールが適用されていないので、脳振盪が起きたとしても、選手が元気に動けそうだと勝手に判断して、試合に出してしまう。

それが本当の意味で、いろいろな世代、レベルに浸透するにはまだまだ時間はかかるでしょうが、日本のサッカー界でも脳振盪についてしっかり考えていきましょう、取り組んで行きましょう、という流れは確実に来ているので、これから安全な競技環境を整える一助になりたいと思います。

――福嶋先生はスポーツ医学検定の2級をお持ちだと伺いました。スポーツ医学検定も、現場における脳振盪の対応の一助になるのではないかと思うのですが、先生はどうお考えですか。

福嶋:脳振盪についてももちろんですが、日本のスポーツの安全について、スポーツ医学検定は大きく貢献できるのではないかと思っています。2級の知識をおさえておけば、ある程度のケガや事故に対する対応ができる知識は入っていると感じています。私もさらに学びを深めて1級を受験し取得しようと考えています。例えば、保健体育の教員免許やサッカー指導者資格の更新に、このスポーツ医学検定を盛り込むなどができると、もっと指導者の安全に関する意識レベルを上げることができると思うので、これからも広く知ってもらいたいもののひとつですね。

――最後になりますが、先生から最後にこれを読んでいる方々に対してメッセージをいただけますか。

福嶋:そうですね、特に現場に関わる方に向けてということになりますが、ぜひ安全に関する多くの知識を持ってスポーツに関わってほしいなと思っています。サッカーであればサッカーの技術や戦術を学ぶことに日頃から多くの時間を注いでいると思いますが、万が一の事故にあって選手も指導者も将来を棒に振ってほしくありません。頭部外傷を始めとするケガや故障に対する対処の方法などの知識をぜひ身につけてほしいと思います。

それは選手たちを守ることにもつながりますし、指導者自身を守ることにもつながると思うのです。たとえば練習中に選手がケガをして後遺症が残ってしまった、となったとき、本当に適切な対処ができたかどうかについて必ず問われます。そういったときに、きちんとした知識を持っていれば、適切な対処ができるし、それを証明できる。そうすれば、結果として後遺症を残すようなケガの発生を予防することにもつながるのですから。

スポーツに関わる誰もが、もっと脳振盪をはじめとする、ケガや故障に対する予防策や対応策、それに加えてどうやれば安全に復帰できるのか、というところまでの知識をたくさん身につけて、大好きなスポーツを安心して存分に楽しんでほしいと思っています。

スポーツに関わる誰もが、ケガや故障に対する予防や対策、復帰までの知識を身につけてほしい

――とても勉強になりました。今日はありがとうございました。

<編集後記>
記事の中に盛り込めなかったのですが、脳振盪の学会等に参加しているのは医師ばかりで、現場の指導者やトレーナーさんの参加はほとんどないそうです。参加できない講習会も多いのでしょうが、ぜひ現場の人たちにも最先端の情報を取りにいってほしい、と福嶋先生がお話されていたのが印象的でした。昨今、情報は自ら取りに行かないと入ってこなくなりました。最近はwebも進化し、知らない間に読む記事の傾向を読み解かれ、自分がよく読んでいる記事に関連するものが上位に表示されるようになってきています。つまり、自分では広く情報を収集しているつもりでも、気づけば狭い世界の情報しか収集できていない、ということが往々にして起こっています。自戒の念も込め、もっといろいろな情報を自ら取りに行くことを意識してやっていきたいと思います。

取材・文:田坂友暁、構成:田口久美子

◇プロフィール◇

福嶋 洋(ふくしま・ひろし)
都立駒場高校卒業後にアビスパ福岡に加入し、2003年にはU-22日本代表に選出。その後3チームへの移籍を経験した後に引退。教員免許取得を目指して福岡大学に入学。大学院博士課程前期を修了したのち、大学教員としてスポーツ教育に携わる。その最中、スポーツ脳振盪の研究をされている重森 裕先生との出会いによって、脳振盪の研究を本格的に始める。指導者としての活動も続け、2022年には久留米工業高等専門学校に着任。選手たちの指導を行いながら、現在も脳振盪をはじめとするスポーツ医学の研究に携わっている。


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