表裏一体というか、パケ替え。
「光と影は表裏一体だから」
確かに、光があるから影がある。
まあ、そうだ。
「強みと弱みは、コインの裏表なんだよ」
それも、そうだな。
確かに環境が変われば、利点も変わる。
けどさ。
だけどさ。
正直、「だからどうした?」って思わないか。
「大事なの、そこじゃなくないか?」と、思ったりしないだろうか。
『影がある』ということは、『何かがそこにある』ということ。
コインの面でなく、コイン自体は見ないのか?と。
それは見方を変えると言うより、内容は同じ商品だけど、パッケージだけを替えてるかのような。
そんなしょうもなさを、少し感じてしまう。
見方を変えても、視点を変えても。
その物自体は変わらないはず。
風化や劣化はあるだろうけど、それはまた風合いでもある。これもまた、表裏。
見せ方で、変わってしまう味覚を楽しむか。
変わらない本質の味を愉しむか。
そして、これすらもまた、表裏。
それを食べているだけの話。
咀嚼しているだけの、ハナシ。
そこにあるのは、なんだ。
そこに味はあるか。
本質的理解に、「味」はあるのだろうか。
結局、あるかないかで考えると、表裏がついてくる。
そこから解放されることは、果たして、
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