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鬼滅のメンタル

今回は趣向を変えて、最近読んですごく心を揺さぶられたマンガについて、メンタルコーチの視点から書きたいと思います。

それは、『鬼滅の刃』(以下「鬼滅」)です。

もう言わずもがなの大ヒットマンガですね。2019年の販売実績(作品別)はあの「ONE PIECE」を超えたとか。

【年間本ランキング】アニメ人気で売り切れ続出『鬼滅の刃』が初の年間
1位(オリコンニュース)
https://www.oricon.co.jp/news/2149737/full/  

マンガとして面白いのはもちろん、個人的にはそれに加えて深い学びがたくさんありました。

とはいえ、タイトルは知っているけど読んだことはない方向けにどんな
ストーリーなのかを紹介します。

時は大正、日本。炭を売る心優しき少年・炭治郎(たんじろう)は、ある日鬼に家族を皆殺しにされてしまう。
さらに唯一生き残った妹の禰豆子(ねずこ)は鬼に変貌してしまった。絶望的な現実に打ちのめされる炭治郎だったが、妹を人間に戻し、家族を殺した鬼を討つため、”鬼狩り”の道を進む決意をする。人と鬼が織りなす哀しき兄妹の物語。(引用:鬼滅の刃公式ポータルサイト)

ストーリーの展開としては王道といえるパターンで、主人公がある日突然それまでの日常を奪われてしまい、それを取り戻すために旅に出て、その途中で師や仲間と出会い、ある時は彼らを助け、またある時は助けられながら降りかかってくる試練・修羅場を乗り越えていきます。

これは神話の法則(ヒーローズ・ジャーニー)という理論に基づいています。

「鬼滅」のストーリー展開も、やはりこの理論に近しい印象を受けます。ちなみに、例えば「スターウォーズ」や「千と千尋の神隠し」などもこんなストーリーだったのではないでしょうか。

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僕の場合、子達がハマって単行本やグッズ等を買い始めていたものの、「どうせ子どものマンガでしょ」と最初は距離を置いていました。

ある時、少し時間ができたので、暇つぶし程度の感覚で読み始めたらそこから泥沼に。登場するキャラクターがとても魅力的なことに加え、心理や情景の描写が細かいので、気づいたらグイグイ引き込まれていました。

現在、単行本としては19巻まで出ていますが、2週間で2周しました。そして、読む度に涙。「単なる子ども向けのマンガ」という自分の認識が大いに間違っていたことに気づかされました。以下、気づいたことのメモです(多少ネタバレあり)。

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●鬼も昔は人間だった

物語の中では、鬼は人間を襲い食べる恐ろしい敵・悪者として登場します。しかし、主人公である炭治郎は鬼殺隊(きさつたい)の一員=鬼狩りとして鬼と戦い、命を奪われそうになりながらもこう言います。

「鬼は人間だったんだから。俺と同じ人間だったんだから」
「鬼は醜い化け物なんかじゃない。鬼は虚しい生き物だ。悲しい生き物だ」
(引用:『鬼滅の刃』第5巻)

鬼と人間は一心同体、表裏の存在。鬼とは、人間の抱える闇を映し出したもの。つまり、もともと人間の中にあったもの、です。

ちなみに、物語では鬼は太陽の光を浴びると死んでしまう設定ですが、その理由は示されていません。これは個人的な解釈ですが、自分の抱えている闇が陽の光に当たることで「見たくない自分(の弱さ・ダメさ・醜さ)が露わになってしまい、それに耐えられないから」ではないかなと考えています。

●鬼と鬼狩り(人間)の共通点

鬼と人間は表裏の存在であるが故に、共通点があります。
それは、どちらもとても悲しい過去を持っているということです。

ある者は大切な人(家族・恋人・仲間など)を奪われ、ある者は自身の存在を否定されます。

そこから、自己否定(大切な人を守ってあげられなかった自分へのダメ出し)や劣等感(今の自分には価値がない、もっと頑張らないと認めてもらえない)が生まれます。

そんな時、彼ら(後に鬼となる人間、鬼狩りとなる人間の両方)は、自身を認めてくれる存在と出会います。ひとりは鬼のボスである鬼舞辻 無惨(きぶつじ むざん)であり、もうひとりは鬼狩りのボスである産屋敷 耀哉(うぶやしき かがや)です。

どちらも、絶望的な状況にいる人間にとっては救いの手を差し伸べてくれる存在だったかもしれません。しかし、どちらに出会うかでその後は全く異なる道を進むことになります。

また、どちらにしろ自らの闇は抱え続けて生きることになります。

●鬼と鬼狩り(人間)の違い

鬼も鬼狩りも、辛く悲しい原体験があり、その直後に自分を認めてくれる、または必要としてくれる存在に出会うという共通点があります。しかし、当然ながら違いもあります。

まず、原体験がどのようにもたらされたかですが、多くのパターンとしては後に鬼となる人間は人間によって、後に鬼狩りとなる人間は鬼によってもたらされています(一部例外あり)。

そうすると、前者にとっては人間が敵となり、後者にとっては鬼が敵となるわけですね。

また、鬼の特徴としては独善的で自己中心的、かつ恐怖による支配体制です。逆に鬼狩りの特徴としては個々が独立しつつも仲間意識・連帯があり、ボスである産屋敷への愛と信頼がベースにあります。

●本当の敵は誰なのか

物語の中では、鬼は人間にとっての敵・悪者として登場していますが、先にも書いた通り、鬼と人間は本来同一の存在でした。それが互いに戦っているのです。ズボンの右ポケットと左ポケットが争っていると言ったら言い過ぎでしょうか。

彼ら(鬼そして鬼狩り)は、一体誰と、何と戦っているのでしょうか。

物語の中では、登場人物(鬼も含む)が死ぬ間際に走馬灯を観るシーンがよく出てきます。そこには、自身の原体験が現れ、あの時あの場で言えなかったことを伝え、言ってほしかったことを伝えてもらい、認められ・許され・癒され、そして心安らかに消えていきます。

彼らの本当の敵は、自分自身の外側にあるものではなく、内側にある闇(自己否定、劣等感など)でした。そして、戦いを通じてそれらが実は思い込みだったことに気づき、あるいは自分自身を認めて救われていきます。

人間の敵である鬼でさえ、それまで抱え続けてきた自身の闇を最後の最後に手放して本来の自分に戻っていくのです。

●その他

鬼のボスである鬼舞辻 無惨(きぶつじ むざん)と、その無惨が作り出した鬼達は不老不死の肉体を得ているものの、唯一の弱点として陽光があります。つまり生命体として不完全な状態であり、これを克服して完全な究極の生命体となることが無惨の目的です。

これを別の見方をすると、鬼達は無いもの・欠けているものに焦点を当てていることになります。

鬼狩りの一員である煉獄 杏寿郎(れんごく きょうじゅろう)は、鬼からその強さを認められ、さらなる強さを手に入れるため不老不死である鬼になるよう誘われます。しかし、杏寿郎は

「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ」
(引用:『鬼滅の刃』第8巻)

と応じ、鬼からの誘いを一蹴します。

無いものに焦点を当てていた鬼に対して、鬼狩りの杏寿郎は自分に無いものを受け入れた上で、だからこそ見いだせる価値に焦点を当てていました。

ちなみに、僕が学んだコーチングはアドラー心理学がベースになっていますが、アドラー心理学を一躍有名にしたベストセラー『嫌われる勇気』にも次のような一節があります。

「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」(引用:『嫌われる勇気』)

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●最後に

『鬼滅の刃』を一通り読んだとき、自分の中にも鬼がいると感じました。

それは、「~するべき」「~できない自分には価値がない」「もっと~しないとダメ」といった評価・判断による自分自身へのダメ出しと他者と比べて劣ったところに焦点を当てた劣等感、またそれらを感じながらもそれらに対して何も出来ていない焦燥感や自分に対する嫌悪感など。

だからこそ、『鬼滅の刃』は僕の心を揺さぶり、こんな長文を書かせたのではないかと思います。

『鬼滅の刃』は、単なる少年マンガの枠を超えたスケールと深さを持つ物語だと思います。読むたびに発見があり、大人こそ読むべきマンガといえます。未読の方はぜひ一度、既読の方は再度手に取って読んでいただきたいです。(了)


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