見出し画像

今週のリフレクション【メタ思考(澤円氏)】

今週は澤円さん著「メタ思考」を振り返ります。ざっくり3点で要約すると・・

1.競技人口は常にひとりの、自分が勝てるルールを自分でつくる。得意なことを組み合わせて個性をつくる。他者からありがとうと言われることが得意なこと。好きなことを、好きなときに、好きなようにやる。自分で自分を理解して、自分で自分の仕事を定義し、自分で自分のモチベーションを上げる。自分が全てを定義して生きることが、幸せに満足して生きていくために欠かせない。これさえ守ればOKのシンプルなルールが自分を自由にする。自分が決めさえすれば、他人と比べなくなる。自分の価値と世間の評判に相関関係はない。面白いかどうかで判断する。自分の長所も自分で勝手に決めていい。

2.仕事の自分を自分の人生とイコールにしなくていい。複数の自分を使い分ける、エイリアスという考え方。複数のコミュニティを往復しながら新しい人間関係をつくり、自分の視野を広げることが、メタ思考につながる。自分をメタ思考できるとストレスは軽減される。メンタルが弱っている時は自分に甘くする。自分どんな状態だと機嫌がいいか、自己分析しておく。外へ出て、自分の人生で起こることは自分で選択する自由を取り戻す。コミュニティでは、1人1人がギバーの精神を発揮。誰かを助けたり、手伝ったりすることに時間を使う。

3.人が重要な判断を間違えるのは余裕を失ったとき。仕事に快感が見つけられないなら、あなたがいてはいけない場所。労働市場での人材の魅力は年齢とともに目減りするので、自己研鑽しないと生き残れない。余人をもって代えがたい存在を目指す。具体的なものを抽象化すれば、汎用性が生まれ、選択肢に広がりを持たせることができる。自分が特別なことをやらない理由にしても、前には進めない。成功体験を手放すほど、気持ちはラクになる。法律に則った上で社会に貢献する。その際、社内の事情や業界の慣習は一切関係ない。文句を言うくらいなら、その仕事をやってはいけない。変えられないのは、変えない意思が強いだけ。思い込みをはずすために外に踏み出す。

私は運動会が嫌いでした。子供の頃は太っていたこともあり、走るのが遅かったので、運動会の徒競走はビリになるのがリハーサルでわかっているのに、みんなの前で走るのがとてもイヤでした。登り棒が登れず、逆上がりができず、体育の時間は劣等感を感じることが多かった記憶があります。だから、当然、運動が嫌いでした。

しかし、今はフルマラソンを走り、トライアスロンをしています。フルマラソンでは昨年のタイムを更新すべくトレーニングを重ね、トライアスロンは完走を目標に試行錯誤しています。そもそも、内省するためにのんびり走ることが好きです。そう、運動が好きになってしまいました。

この違いは何なのでしょうか?

子供の頃は周りが決めた(決めてくれていた)基準の中で運動をしていました。目標(目当て)があり、みんなで教わり、みんなでやる。結果、すぐにうまくできる子もいれば、飲み込みが悪い子もいます。でも、集団ですから、いつまでもできない子を待つわけにいかず、時間になったらできなくても先に進むことになります。そして、できない子は劣等感を感じる。そんな構造が運動を嫌いにさせたのだと思います。

大人になってからは、自分が決めた基準で運動をしています。今日は考えながら走りたいから5キロをジョギングしよう、今日はしっかりトレーニングしたいから10キロをレースペースで走ろう、ちょっと二日酔いだから今日は3キロでいいや。自分で、その日によって、勝手にルールを決めているので、できないことはほとんどありません。そうすると自己肯定感が上がり、少しずつ、いつの間にか、走ることが好きになりました。

書籍にある通り、自分で勝てるルールを決めることは本当に大切だと思います。自分の行動のオーナーシップを自分に取り戻す。考えてみたら当たり前のことですが、できていないこともたくさんあると改めて感じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?