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自分が連続性を失う事

自分自身の連続性というものを意識したことはありますか?
突然そう言われてもあまりピンとこない人が多いかもしれません。
それは例えば、自分が昨日やそのまた過去と同じー一続きの自分であるという感覚です。またあるいは、自分が過去に築き上げた何か(人との関係性でも構いません)を自分自身が生み出したものであると認識する感覚です。
私はどうにもそれが薄いようです。

あまりに古い過去の写真や記録を見てもそれが自分なのか?自分自身が作った物なのかイマイチわかりにくいですよね。それが毎日毎秒続いているような感覚です。勿論自分の名前、住所、氏名は分かりますよ笑
ただなんとなく日々が夢のようにふにゃふにゃとして非現実的で、
あれ?こんなことが自分自身を取り囲んでいるのかと新鮮で仕方がなく、
それこそが自分自身が積み上げた物であり現実なのだという意識があまりにも足りないのです。(どうして通常の感覚がわかるのか?それは私も過去にはそのような感覚を確かに持ち合わせていたという記憶がある為です。)

この文章を書いたのは、このように知覚した自分がこの瞬間にいたという事を記録として残しておきたかったからです。今こうして書いている私ですら、自分の書いたこの文章が、自分が書いたものだというのが不思議で仕方ありません。でもそれがどうしようもなく私の人生で、それは不幸でもなんでもないのだと思います。このnoteがもし今同じような感覚で悩んでいる人に届くのならば、それはとても嬉しい事だと思います。


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