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冒険は憧れから始まる: 「メイド・イン・アビス」

海外のお話。

わたしの近所の図書館には、Graphic Novels というコーナーがある。

英訳された日本の新旧の人気漫画がたくさん並べられている。相当の数のコレクションだ。写真は一部だけ。

筆者撮影

Graphic Novels(絵がついている小説) と呼ばれている日本のマンガは、英語圏のティーンには大人気。

どこの高校の図書館でも、生徒たちは気軽にグラフィックノベルを手に取ることができる。細部までよく書き込まれている日本のマンガは教育的なのだ。

英語翻訳版ばかりなのだけれども、グラフィックノベルのコーナーは日本を思い出させて、どこか自分には懐かしい。

そんな日本から輸出された大人気グラフィックノベルのひとつに

Made in Abyss
メイド・イン・アビス

という作品がある。

とても詳しい書き込みのとても美しい絵が散りばめられている原作マンガは、可愛らしいキャラクターたちの生きている世界そのままで絵本になりそうなほど。

そんな「メイドインアビス」、アニメ化、そして劇場映画化されて、自分はつい最近、全作品を夢中になって鑑賞したところだ。

「メイド・イン・アビス」とは

作品の題名を直訳すれば「大穴の中で作られたもの、アビス製品」といった意味。Made in Japan, Made in China と銘打たれた商品をすぐに思い出した。

つまり「メイド・イン・アビス」はアビスの中で作られた遺物と呼ばれるロボットやアビスの呪いで変貌した人たちを意味している。

アビスとは大穴という意味。

死者の国や地獄へと至る暗闇の洞窟を連想させる言葉なので、題名には不気味な意味が込められている。題名がそう示唆するように、きわめてかわいいキャラと美しいファンタジーな世界観とは裏腹に、物語の内容は極めてハードなものだ。

後述するコミックス第10巻第五十八話の英語版より
横文字の英語は狭いコマの中では読みにくい
Natehate (成れ果て)は
アニメ英語版ではHollow (空っぽ)と訳されていた

児童虐待に人体実験、第二次性徴を迎えたばかりの少年少女の裸体がしばしば露骨に描かれたりするために、海外では17歳以下は閲覧禁止。

人体実験はナチスの強制収容所や「死の天使」と呼ばれた医師ヨーゼフ・メンゲレを思い起こさせるかもしれない。

そういうマニアックに過ぎる、きわどい内容のためか、かつては原作マンガは打ち切りの危機にまで瀕していたのだとか。

作品を救ったのは、ナナチというウサギのような姿をしたぬいぐるみのようなキャラの存在。

可愛いを極めたようなキャラだけれども、一癖も二癖もあるキャラだ。

原作コミックス第9巻表紙より
ナナチとミーティ

ネタバレはしない程度に少しばかり説明してみる。

物語は一見、有象無象の類似作品があるダンジョンものファンタジー漫画の一つと言えるものだ。

地下の迷宮を探索するロールプレイングなゲームに、アビスでの冒険はよく似ている。

しかし作中とても大事な設定である「呪い」が本作を類似作品から大きく隔てている要素。

「呪い」は探索者たちを物理的に変貌させる。

アビスの「呪い」を負うナナチの生い立ちが一般読者たちの心を打ったらしく(またはぬいぐるみそのもののカワイイ姿がウケた!)、それ以来、物語の設定の深さゆえに、近年まれにみる名作、人気作に数えられるに至ったのだとか。

めいぐるみのように可愛らしい外見のナナチの内面には深い闇が潜んでいる。

物語世界の秀逸な設定は、ダンジョンに潜る探検家たちは深いところに行けば後遺症を負って、もはや地上へは帰ることができないというところだ。

未知の深海にダイブで挑んで、海上に急速に戻ると潜水病で後遺症を負うことにどこか似ている。

奈落の底のアビスのある深度以上に達すると、もはや人間の姿をしたまま、地上に戻ることは可能ではない。上方に向かおうとすると肉体を傷つける、上昇負荷と呼ばれる「呪い」にかかるのだ。

ナナチが変貌したのはこの「呪い」ゆえ。

わたしが心から惹かれたのは、この呪いから導かれる物語のテーマだった。

物語の中の呪いの存在に惹かれて、アニメを全て見て、原作コミックスを日本語と英語両方で全て読んだくらいに気に入った。

勇者や魔法使いたちのダンジョンではなく、この物語では絶海に浮かぶ孤島に穿たれた超巨大な大穴を探索するのは、英語で Cave Raiders と呼ばれる探窟家たち。スピルバーグの映画の題名にもなったレイダース。

探窟家たちは未知を求めて、肉体を蝕む上昇負荷の危険を顧みずに、「呪い」に支配された神秘の大穴の 「アビス」(英語でAbyss)に挑む。

それは「どうして山に登るのか?」と登山家に尋ねると

そこに山があるから

と彼らが答えるような動機からだろうか。

どうして危険極まりない大穴へと挑むのか。

そこにまだ知らぬ世界が隠されているから

困難の先に見つける達成感を
ひとは幸福と呼ぶこともしばしば
ひとは困難に打ち勝つことを快楽に感じるのだ

と彼らは答えることだろう。

まだ知らぬ世界を見てみたい知りたいという想い。

それは作中、

憧れ

という、本作の最も大事なキーワードに言い換えられる。

英語では Longing 。

この英単語の語源は、ある思いにずっと囚われていること、長く長く「ある想い」の中に留まり続けることなのだそうだ。

長く長く続く想い、long-lasting thoughts or desire それが憧れ。

探窟家たちが危険な大穴に一獲千金や伝説の黄金郷を求めて「呪い」に満ちた未知の世界へと挑むのは、憧れのため。

ここではないどこかへ行きたい。
まだ見たことのない世界を見たい。

自分のこれまで生きてきた日常世界を捨てて、二度と戻ることはできないかもしれない非日常の世界へと旅立つ。

憧れは止められない

Longing knows no bounds

これがアニメ第一シーズンのキャッチフレーズだったけれども、わたしはこの言葉に心から共感している。

今ここにいる自分がこのまま平凡な生活を繰り返していって人生を大過なく過ごしてゆくくらいならば、どんなことが待ち受けていようとも、冒険してみたい。

そんな思いを誰だって抱くはず、または抱いたはずだ。若者ならば、未知なるものを本能的に求めるものだ。

また老いた者も若かりし日に夢見た何かを、人生の夕暮れ近くになって実現してみたいと思うもの。

人生は一度だけなのだ。

人は憧れを一生涯追い求めるものだ。

「メイド・イン・アビス」の主人公である十二才の孤児の少女リコは、大穴の底からやってきたらしい、記憶喪失の少年型ロボットのレグと一緒に探索の旅に出る。

レグは何らかの使命を帯びて地上へとやってきたようだが、どうしてわざわざ地上までやってきたのか、誰にもわからない。

そんなレグはリコと共に再び深部へと向かう。

旅の途中でナナチと出会い、ナナチ同様に呪いの中で生まれた異形の姫ファプタをも仲間にして、旅の一行はアビスの「呪い」の真実へと近づいてゆく。

奈落の底は死んだ人の魂の帰るところだと、信仰の対象にさえなっているアビス。

謎は深く、物語は伏線だらけで、読みながらテレビを見ながらずっとワクワクしていた。

原作コミックス第6巻表紙より
レグと成れ果ての姫ファプタ

物語はまだ完結していない。

もしかしたら遅筆の原作者の都合次第では完結しないかもしれないけれども。

コミックス四巻分の第一シーズンが2017年にテレビで放映されて、その後、第一シーズンが前編・後編の二つの映画として生まれ変わり、続きの物語が劇場版映画として公開され、更なる続きが第二シーズンとして、2022年に制作されたのだった。

続く第三シーズン、原作の11巻以降の物語もアニメ製作されることが発表されたが、2024年中に作品が製作段階に入ることができるのかさえ、微妙なところ。

原作マンガは今年2023年8月の最新話を最後に更新はなく、本当に原作が再開されるのかも誰にもわからないからだ。

テレビアニメは最新アニメデジタル技術を駆使して作られた、限りなく美麗な映像で、眺めているだけで癒されてしまう。

あまりにも可愛らしいキャラ達なのに、彼らの立ち向かう現実はあまりに過酷で残酷。だから年齢制限が設けられている。

でもそうした文字通りの弱肉強食なグロな描写を通じてだからこそ、そういう残忍を通じてでしか伝えられるテーマがある。

大人にしかわからないかもしれない「憧れ」はこの危険さの向こうにあるのだ。

後戻りできない冒険。

まだ大人ではない子供ならば、リコやレグの前に立ちはだかる、恐るべき原生生物や冒険の精神的障害となる敵とのバトルに魅せられるのだろうが、探窟家である主人公たちを揺り動かしているのは、まだ見ぬ世界を見てみたいという想い。

その思いの深さに自分もおもわず熱くなる。

アニメ第2シーズンの重要人物、呪いから生まれた成れ果ての村の三賢の一人ワズキャンは、死に際に次のような言葉を吐く。

彼は故郷を捨てて海の向こうの探検の旅に多くの人たちを連れて行った船団のリーダーだった男だ。

預言者という未来を少し先まで見ることができるという人物。聖書では文字通り神の言葉を預かる、神のお告げを与えられる人物のことなので、この設定だけはいささか曖昧だけれども。

我々はね、ヒト以上のものになりたかったのさ

この大穴を穿うがつには
ヒトを越えなければならない

それは奈落の住人として 
成れ果てること

祝福され 
力を得ること

呪いに打ち勝つ
身体を持つこと

そのいずれでもない

積み重ねだけだ
それらの積み重ねだけが
ヒトをヒト以上
たらしめる

原作コミックス第10巻
88ページより

つまり、ファンタジーな物語には必ず出てくる、魔法のような超自然の力を手に入れることで、冒険を達成させるのではなく(人のままでは奈落の底までは行けないではなく)、探窟に倒れていった先人たちの思いを汲み取って、彼らの遺した記述を信じて、弱い肉体のヒトのままで、ヒトらしさ=他人を思うやる愛、他人と憧れに共感することを最後まで失わずにいられる探窟家だけが、黄金郷の富のような即物的な何かでもない、本当に求めて憧れぬいた何かを最後に手にすることができる。

ワズキャンの言葉、わたしはこう読み替える。

作者つくしあきひとの人間賛歌なのだなと。

憧れることは、人間のごうともいえる人間らしさそのものであり、道へと挑むことで新しい世界と文明と文化を創り出してきた人間の偉大さの源なのだともいえるのだ。

先人たちの想いの積み重ね。

とても素敵な思想だ。

憧れは向こう見ずな探窟家たちを大穴の奥へ奥へと導いてゆく。

主人公リコはだれよりも奈落の遺物に慣れ親しんで冒険に憧れている子供だった。

物語の序盤で彼女は消息を絶った母が残したメモを手にして旅を始める。

書かれた記述、言い伝えられた言葉、母が残したかもしれない言葉を信じて、深淵へと降りてゆく。

奈落の第六層の成れ果ての村が崩壊して、自分もまた消滅してゆく中で、ワズキャンはリコに問う。

リコ
聞いておきたいことがあるんだ
ここに来れてよかったかい

原作コミックス第10巻
86ページより

彼女こそが申し子なのだ。

リコは奈落の底で白笛の探窟家の母親ライザが産み落とした子供だった。

彼女もまた、奈落の底で作られた特級遺物レグや、奈落の上昇不可で祝福された成れ果てのナナチと同じくらいに「メイド・イン・アビス」なのだから。

憧れの果てには?

原作コミックス第2巻表紙より
リコとレグとアビスの小動物

ここにはない、まだ見ぬものに憧れて、冒険の旅に出る。

こんな想い、いつまでも忘れないている自分でいたいと思ってる。

誰でも、憧れて、夢に見て、その実現のために頑張ると、人生は変わるものだ。

自分の人生もそうであって欲しいと今も果てぬ夢を忘れずに頑張っている、と言いたいところだが、最近疲れていて、この作品から自分は勇気と元気をもらったなと感謝している。

いつまでも憧れを忘れてはいけない。

満足して立ち止まると冒険=人生は終わってしまう。人生も一方通行の冒険だ。

まだこのアニメ、見ていないヒト、普段はアニメなんて見ないっていう人にほど、この「メイドインアビス」見てほしいと思わずにはいられない。

あなたが憧れることをずっと前に忘れてしまったと言われるならば、なおさらに。


参考文献:

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