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自己紹介(私が社労士になるまで)


 はじめてnoteに記事を記載します。
 北九州在住の仲村龍治です。元医療従事者が人事コンサルへと転換しました。振り返ると約15年前になるのかもしれません。自分の人生がこれでいいのかなと考えました。
 2001年に総合病院へ診療放射線技師として就職し、仕事もそれなりにこなしていき、勉強会などにも参加して学術発表もそこそこにする。不満があるわけではないのですが、何か心が満たされない感じでいました。このままでいいのかな~と思っているときに、他部署と集まっての研修会がありました。それまで部署間の垣根があるなと感じていましたが、1つのことに集中していくとチームになっていける。そんな実感がありました。
 それから組織やコーチング、経営分野に興味が出てきまして、自分の教養のために勉強しようと軽い気持ちで思います。そうこうしているとFP2級、簿記2級、衛生管理者1級と資格取得し、なんだか分野の違う勉強が楽しくなってきます。そんな中で本屋さんで社会保険労務士という名前に目が留まります。それまでは簿記2級まで独学で取得したので、1級取得して税理士の資格目指してみるかなと思ってました。参考書を探していた時に、人と組織の専門家と書かれている社労士に目が留まります。そこから社労士の資格取得を目指しました。
 勉強を始めてすぐに試験申し込みをしました。その年は合格というよりも試験がどのように行われているかを体感するためです。当日を迎え、想像以上に受験する皆さんの熱気があり、こんな気持ちで受験するのは自分くらいかなと思ったくらいです。結果は当たり前ですが不合格。そこから長い3年間が待っていました。
 当時は朝4時30分に起床して勉強、通勤のバスで勉強、昼休憩中も勉強という感じでした。帰宅してからは子供たちの時間と割れ切っていたので、勉強は一切せず夕食、お風呂、就寝からの朝勉強という流れです。土日祝にも日勤や夜勤もあったので、妻と交代で勤務を合わせていたな~と振り返ります。
 そのような生活を3年間して、ついに社労士試験合格を得ることができました。正直、今年もダメか~と思い、合格発表の日に落ち込んだままにならないように家族旅行を入れてました。場所は東京ディズニーランドです。実は自己採点すると選択式の社一が1点。。。これは絶望的でしたが、救済情報なんかでひょっとしたらという情報もありました。忘れもしないのですが、北九州空港から羽田空港に到着して、リムジンバスへ乗っての移動中でした。結果をネットで確認すると、なんと自分の受験番号を発見!ビックリしたのと、ほっとした感覚でした。
 その後は翌年の事務指定講習を受けて社労士登録。開業へ向けて準備しながら、2015年8月末で退職をして社労士事務所を開業しました。そこから現在までの経緯については今後どこかでお話ししたいと思います。
 ここまで読んでいただきありがとうございます。

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