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「木箱の中のひつじ」が欲しかった。

本質的な所でつまづくのは、本質的なことがわからないから。

解る、ということを3ステップにしたとして。
1.問題だろうというのはわかる。
2.どこが/どういう(5w1h)問題なのかもわかった。
3.どうすれば問題解決出来るのかがわかる。

多分、1を見つけるのは出来るんだと思う。
でも、その先が分からない。

私は分からない人なんだ!
(から、答えに辿りつけない)
ならば、人に頼ろう。聞いてみよう!自分じゃどうにもならないなら、他力本願になってもいいと思ってる。
(だいぶ初手から自分の頭で考えることを投げ出している)


ただ私のヤバい所は、分からせろ!という態度で。
理解をさせろ。理解できる様に説明しろ。分からん、なにが分からんのかも分からん。くらいで相手に丸投げしてる。
その上、他人は分かってると思い込んでる。
分からないって言われたらそっかー残念!で終わるけど、相手が考えてみたことに対して「それだとこうじゃない?」って純粋に思ったことを言ってしまう。
こっちが考えてることに対してギャーギャーいうなら、オメーで考えてみろや(怒)を何度も経験してる。
(のに、繰り返す。)
出されてからそれじゃない〜をしまくって、具体的な要望は言わない。具体的な要望が自分でわかってない。”それじゃない”がわかることで、自分が求めているものがわかる。私の場合。


他力本願でもいいけど、満足のいく答えが得られないからと、満足いくまで羊の絵を描かせる訳にもいかないのだ。

自分でどうにか出来なくて、
他力を頼る選択肢を選んでいるのだから、
せめて謙虚でいような。


追記.
「救いようない馬鹿ならせめて謙虚に。」ってタイトルからスタートしていたんだけど、自罰的だってまた怒られちゃいそうだったから他の案浮かんでよかった。

無邪気になぜなぜ期しすぎると人はマジでキレる。

小学生の時算数でつまづいたけど、
誰に聞いても「取り敢えずやりな!」とか「数式に当てはまればいいだけだよ!」とか言われ、いやそもそもの理解が出来なくて数式まで進めないんだが…と思った記憶。
大人は数学の問題が解けるのに教えてくれない(=分かってるのに意地悪される!)っ思ってたし、”取り敢えずやってみる”が出来なかったので、算数〜数学は捨てた。


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