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適当さが好きになれない

会いたいかと問われれば別にどっちでもいいけど気乗りしないしなんなら一緒にいてムカつくこと多いし疲れるしどちらかと言えば会いたくないんだと思う。

先に"どっちでもいい"が出てくるのは私が人を無くすのを恐れているから、そして私は貴方を適当に扱っていませんよ。という自分を良く見せるための最低限の最悪な意思表示なんだと思った。

知人の適当さが嫌いだ。
適当だなぁ、大雑把だなぁ、というところを目にする度苛立って仕方がない。

鉛筆・本棚は背の順、調味料のラベルは全て揃えるタイプの人間。
そんななので表には出さなくても許せないことが沢山ある。

「きっちりしててえらいねー」と褒められる度嬉しかった。

けれど小さい頃図書室で大きい絵本を横倒しにしないと本棚に入らないとわかった時は気持ちが悪くて泣いたし、ピアノの音を1つ間違えると「続けて」と言われても最初から通してできるまでやる。

自分が好きでやってるのに苦しかった。

そういうことが増えていくとそのうち人からも「もういいじゃん、仕方ないよ、諦めなよ」「諦めが悪いよ」と言われるようになり、苦しさに拍車がかかる。

私に必要なのは「適当さ,諦め」大きくこの2つで、昔からずっと変わっていない。

私は私の適当さを好きになれない。
他者を投影してそれを見た時どうしようもないむず痒さに襲われる。
きっと私はこれを認めないといけない。
それは私の中にある私の嫌いな部分で認められない部分だから目につく。

他者を通して何度もそれを見せられているのに受け止められない。
適当な他者のことも無駄にこだわりの強くて適当さを受け止められない自分のことも許せない。

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い、と思いながらも「お前のそういういい加減さが嫌いなんだよ!」と叫べるほど強くはないし軋轢も作りたくないし喧嘩する気力は湧かない。そうしたいわけではない。

以下過去余談反省。
私は順番抜かしが嫌いだ。
わからない問題があったから先生に聞いた。
「順番にみんな教えるから次あなたの所に行くわねー」と言われていたけど抜かされてるのは知ってた。

けど先生も完璧に順番を覚えるなんて不可能で悪意を持ってそうしたわけじゃない。
解説を黒板の前でし始めて私は癇癪?を起こしてしまった。

先生が他の生徒を優先しまくった上に私を無視して解説に入ったことが許せなかった。
先生はその後ゆっくりと教えてくれるつもりだったらしい。

でも順番は順番だし解説に入る前に一言言ってくれれば納得しただろうし私だけ残されたのは悲しかった。

2時間くらい机に突っ伏して号泣した。
先生は理解できないようで呆れていた。

そのまま教室へ帰れずにいたらクラスメイトの給食をいち早く食べたい男子が献立を暖房も入っていない寒い教室まで伝えに来てくれたのは覚えています。ありがとう。

その後教室には戻れなくて生活準備室って伝わるのかな。
学校で使う道具が押し込まれた埃っぽい部屋まで運んできてくれた給食を1人で食べた。
カーテンで仕切られ電気もつけていない準備室とは対象に明るい廊下の小窓から覗く先生の視線が心地悪かった。



英会話、私の方が先に質問をしようとしていた。
順番めっちゃ抜かされてる。

自己主張が強い子優先される。これが国民性の違いか?(先生は外国の人だった)(差別の意図はありませんが気分を害したらすみません)
結局私に順番は回ってこず「あとはホームワークで」

「早く片付けて帰りなさい。次のクラスが来てるから。」

もう嫌だ嫌だ嫌だで大爆発して筆箱を床に叩きつけた。
プリントもぐしゃぐしゃにして破いた。

パカパカタイプの筆箱だったので散乱した文具を他の生徒に拾わせてしまったのは申し訳なく思ってる、けどありがとう。

その後なんか先生にめっちゃ怒られたのは覚えてる。
でもそれで怒られるのは納得できなかった。

ボロカスに侮辱してんだろなって感じの物言いをされた。(相手は英語なので何を言っているかは不明)

理解し合えないことに大泣きしながら帰路に着いた私の隣で自転車を押す"面倒くさい"が口癖の知人に「諦めも肝心だよ」と言われ「諦めないことも大事だけどね」とイライラしながら返したことを覚えてる。

無頓着なその子が私の変なこだわりを思い出して筆箱の鉛筆をあとから背の順に揃えてくれていたことが本当に嬉しかった。
ありがとうと伝えたかった。

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