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「やっといたよー」「ありがとう」

家事は生きていく上に必要不可欠です。その家事、昭和時代は専業主婦の役割として、毎日掃除、洗濯、炊事がされていました。

時代は平成を経て令和。今は男女とも家事ができた方が望ましいとされています。

生涯未婚率の増加、単身世帯の増加。少子高齢化。今同居している家族がいても、いつか必ず別離の日がきます。そして若年の世代であれば就労、高齢者になれば筋力低下で、若い女性が専業で担っていた昭和の頃ほど家事を男女問わずひとりでは完璧にやれるはずなどありません。

そんな発想の転換が大事だと考えています。

逆算してみましょう。

家事は分担するものではなくて、いずれひとりになる可能性を誰でもはらんでいるこの時代、「自分の家事は自分で担う」が正解なのです。ということは、

・自分の家事は自分でやる。あるいは、
・お金を出して家事サービスに依頼する。

上記のどちらか。ちなみに私の場合は前者です。となると、自分で担う家事を、なるべく効率化、シンプル化して仕事と両立することになります。

効率化としては、
・広すぎる家に住まない(掃除が楽)。
・汚れたら掃除(毎日しなくてよい)。
・干した洗濯物はしまわない(2日分の服を洗い回して使う)。
・人を家に呼ばない(完璧な居室内でなくてよい)。

外注化を一部取り入れるとすれば、
・どうしても掃除できれいにならなければハウスクリーニング依頼。
・宅配、ネットスーパーを使う。
・料理もたまには外食、中食をうまく取り合わせる。
・旅行や日帰り温泉で、家事をやらない日もつくる。

等です。そのうえで同居家族がいれば、効率化、シンプル化した家事を分担。そう、最初に「必要最低限の家事」を決めておくのです。

私は息子と一緒に住んでいますが、力仕事と高いところでの作業は息子、情報を調べたり細かい手間のかかる仕事は私。という分担をしています。

提案や、大事なことは決める前には必ず話し合い。後でトラブルにならないように、意思決定は事前に、平等に分担します。

恐ろしいのはゴミ屋敷化とセルフネグレクトです。家族全員働いていれば、家事がおそろかになるのは当然。しかも歳を取ってくると資力も落ちてきて、お金で解決できる外注化も困難になってきます。

家事をする物理的な時間がない × 家事は完璧であるべき。

そんな現実と理想の解離矛盾した方程式はとっくに捨てています。

そのうえで、日常の些細な家事は
・そのときに出来る範囲で。
・気づいた方が率先してやる。
・必ず御礼と労いの言葉をかける。
・ミスをしたらフォローする。

そんな日々を送っています。

時代はサスティナブル。人に迷惑かけず衛生的で安全な住まいで健康な生活を送れるのであれば、「我が家の在り方」は何通りもあってよいのです。

「やっといたよー」「ありがとう」

そんなやりとりが1日何回もある我が家です。

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