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「自分のこと絶対可愛いと思ってるでしょ」について

「自分のこと絶対可愛いと思ってるでしょ」という言葉を、4期生メンバー・林瑠奈ちゃんが自身の連載『ニッカンスポーツ・コム「乃木坂46林瑠奈 負けるな!しょげるな!乗り遅れるな!」』の中で取り上げたことがあった。

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そこには、「嫌味」なニュアンスで放たれたその言葉へのアンサーが綴られていた。

彼女の考えは冷静でかつ慎ましく、毅然としており、非の打ちどころのない回答と言えるものだ。全面的に支持していきたい。

しかしながら、自分自身、そう思うことはある。

彼女たちアイドルの子に対して、「自分のこと可愛いと思ってるな」って。

様々な場面を見ると、ふと思うのだ。それこそ自撮り、自撮りをSNSやブログ等に上げている行為そのもの、その撮り方。表情、ポーズ、角度、身に着けた服装、メイク、アイテム。使う言葉や話し方、ファッション、テンション、リアクション。その他もろもろ。

だが断言しよう。

ここで言う「自分のこと可愛いと思ってるな」は、上記の連載で瑠奈ちゃんが挙げた(おそらく実際に浴びせられたのであろう)「嫌味」なニュアンスを含むものではない。

俺が「可愛い」と思っていて、見ていて楽しくて、「好き」で、「生まれてきてくれてありがとう」な彼女たちが、どうやら「自分のこと可愛いと思ってる」。

そのことを鼻高々にしているにしても、ただただ客観的事実として受け止めているにしても、ひっそりと胸にしまっているにしても、ともかくそんな風に見受けられる。彼女たちは少なからず「自分のこと可愛いと思ってる」ようだ。

いや、嬉しいんだけど!

彼女達が「自分のこと可愛いと思ってる」こと、その事実をこちらも(客観的に見て)感知できること、「思ってるという事実」が事実としてあるということ、

それがめっちゃ嬉しいのだ。だから噛み締める。微笑みながら。彼女たちを見ながら、「自分のこと可愛いと思ってるな」って。「嬉しい」って。

彼女たちが「自分のことを可愛い」と力強く受け止めている姿を目の当たりにしたとき、「そうだ! それでいいんだ!」と、諸手を挙げたくなるのだ。

特に感じる対象、このnoteを書くきっかけの一つとなったのが例えば5期生メンバー・池田瑛紗ちゃんである。

あくまで個人的な主観で見た、いち感想である。本人に直接問うて回答を受けたものでは全くない。個人的主観である、とあくまで念押ししておきたい。

念押しした上で、きっと彼女は「自分のこと可愛いと思ってる」。彼女はおそらく、こちらの感じ取っているその「事実」を、手心を加えず「事実」として真っ向から受け止めている(受け止めて"くれて"いる)。そして自ら発している。あまりにもナチュラルな自撮りや振る舞いから、そう思えてならない。

その行為は我々ファンに喜びを与えるものだ。こちらの感じ取った「事実」を、(当人である)アイドルと、ファンの間で遜色なく共有できているのだから。

ウゥ可愛い。

イチゴタルト越しの写真にしても、ぶかぶかベレー帽ななめがけにしても、お口をムッと閉じてる感じも、個性的なブログタイトルも、あまりにも完成度が高い。お人形さん。可愛い。可愛くなきゃできない。

ここでもう一つ念押ししておこう。これは明らかなルッキズムに当てはまる。褒めであろうがなんだろうが、人の外見を取り沙汰してとやかく言う、品の良くない行為であることに間違いはない。

でも今だけは許してくれないか。

可愛いんだから可愛いって言っちゃうじゃないか。

そして、こちらが一方的に可愛いと思っていたら(言っていたら)、いやでもコレ、本人もちゃんと自分のことをちゃんと可愛いと思っているんじゃないか? それって、最高じゃないか?

それは、紛れもなくアイドルとファンの間で交わされている「共有」である。そういう気分を与えてくれること、「共有」が実現しているということそのもの、それらがともかく、嬉しいじゃないか。

だって可愛いんだもの。

印象的なエピソードを最近耳にした。

先日放送された東京03・飯塚さんがMCを務める特番『超個人的フルコース』に、乃木坂46元メンバー・松村沙友理ちゃんが出演した時のこと。彼女がアイドルを目指すようになるきっかけを話していた。

昔からアニメや漫画は好きでいたが、アイドルはテレビで見る程度にしか触れていなかったとこれまでも度々語っていた彼女。憧れや「なりたい」という気持ちも元々は持っていなかったらしい。

そんな中で転機になったのは、文化祭での出来事。

その日、当時の先生曰く「急にツインテールにしてきた」そうだ。そんな松村の姿を見たクラスメイトが「きゃー!ワー!可愛い!」「アイドルやればいいじゃん」と声が上がったという。

その頃ちょうどNMB48が発足する時期だったらしく、オーディションへの応募を勧められることもあり、松村の中で「アイドル、可能性あるのかな?」という想いが芽生えたそうだ。

紛れもなく、それまで自覚のなかった、自分自身へ向いた「可愛い」の芽生えの瞬間であろう。

番組内で使われていた当時の写真を見る限り既に可愛いが、それまでは松村自身、その事を大々的には認識していなかった。根は控えめなところがある彼女の事だから、尚更自分自身を自ら良く思うことにも積極的じゃなかったのかもしれない。

しかしある時、周りが気づいた。そして本人にもそれが伝わったのだ。それこそ直接的に言われる形で。

内向的な少女・松村沙友理が「自分のこと可愛いと思う」ようになった最初の一歩と言うべきエピソードである。

その後アイドルになった彼女の活躍は語るまでもない。

こういうことである。

彼女たちが「自分のこと可愛いと思う」その奇跡。こういうことではないかと思う。

いや、もし松村がアイドルにならなかったらその未来は暗かったと言いたいわけではない(人一倍聡明な彼女のことなので、それはそれで活躍していたことだろう)。

だが少なくとも、それまで本人の中に無かった選択肢が芽生え、開いていなかった方向に未来が開いた。選択肢が増えるという奇跡。もっと言えば「そっちに進んでもいいんだ」という気付きを得た、ということ。

少なくとも彼女のエピソードは、なにも他人の力で突如与えられたものではない。そもそもの素質を引き出しから出して本人の目の前に置いただけだ。

わかっていなかった自分のことを「わかる」という出来事が、彼女の元に巻き起こったのだ。

アイドルが「自分のこと可愛いと思ってる」ことが「嬉しい」という感覚。

これは、上で書いたアイドルとファンの間で交わされている「共有」であること(それが実現していること)への喜びに加えて、「自分の夢を叶えてくれている」ことでもあるのかなと思う。

これを書いている2023年8月現在、間もなく(久保史緒里ちゃんも大変楽しみにしている)高校野球選手権大会が始まる。

高校野球を楽しんでいる人たちの中には、かつて自分は叶わなかったが、時を経て母校が活躍している、息子が野球に打ち込んでいる、という目線で見守っている人もいることだろう。

自分の姿を重ねているのだ。叶わなかった自分の夢を「託している」

アイドルが「自分のこと可愛いと思ってる」ことが「嬉しい」という感覚もまた、いや、申し訳ない、まあまあ遠いが、遠いにしても、「託している」感は少なからずあるのではないか。少なくとも、自分はそれに似た感覚がある。

詳しい自分語りは割愛するが、一定以上のコンプレックスは自覚の内外含め、抱えてしまっている認識がある。漠然とした"オシャレ"への抵抗感、「いやあ、自分みたいなもんが……」というふわっとした卑下と拒否、それが幼馴染のように昔から胸の中で蠢いている。

こんなファッション、あんな振る舞い、そんな心持ち、出来たら楽しいだろうな、でもなんか無理という蟲が、うぞうぞと"居る"。

この蟲は、なんだかんだ付き合いも長く、お互い色々わかってるし一緒にいて気を遣わないし会話がなくても全然平気でいられる関係なので、もはやネガティブなものでも何でもないが、しかし、ふと目に映る、それをスパッと晴らしてくれる存在はやはり眩しいのだ。

「自分のこと可愛いと思ってる」人、それが振る舞いに現れ、そのことに対しての自信、あるいは覚悟がにじむ人。

自分では持てていない感覚、持つことのできなかった感覚、それを持っている。彼女たちはこちらの挫折した夢を叶えている(「アイドルという職業」をもってして、信念を持って実施している)。

それはもはや、例えば「自分の身を賭して誰かを助けられる」ような、ひいては「正義」「ヒーロー」のように映ってしまう。

カッコ良くて、憧れで、眩しいのだ。

そう、眩しい

可愛い子って、なんかもう顔が光って輝いているように思うことがあるが(※主観)、その由縁はこういうことなのかもしれない。

アイドルの、今回取り上げているところでいう乃木坂46の面々は、本当に皆可愛いと思う。

外見もさることながら、最も新しいメンバー・5期生にしても、間もなく加入から1年経過し、各番組等での活躍も多く観てきて、1人1人の内面・人となりもわかってきて、尚のこと可愛らしく愛おしい人たちだなと心から思える。

しかしあえて外見の話に戻るが、可愛いし、そして皆顔が違うなと思う。人となりを知るほど解像度も上がり、ひいてはパッと外見を見ても知覚できる度合いも上がってきているが、そうなればなるほどやっぱり皆顔が違うなと思う。

(顔がいっぱいある写真)

皆可愛くて、皆違う。可愛いってひとつじゃない。

そうなってくると、可愛いってなんだと思えてくる。結局何が可愛くて何が可愛くないの? 可愛いの定義は何? 可愛いの定義って、そもそもあるの?

個人的に特に可愛いと思う人、名前を挙げようとするとまず思い浮かぶ人の一人に、アイドルではない存在としてバカリズムさんがいる。お笑いの能力や脚本家としての活躍も目覚ましく、スキルにおける憧れももちろん多大に抱いているが、まずもって彼は非常に可愛いと思う。

身も蓋もなく言えば、彼はもうアラフィフの既婚のおじさんだ。しかしながら可愛い。外見もさることながら、物事に対していちいちせせこましいところも、それを隠す気もない感じが、なんとも言えない可愛さがある。

一個人の感覚だが、つまるところ「若い女性だから、」とかそういう部分に可愛いがあるわけではないという証左であろう。

外見に限っても、それこそおじさん芸人に対しても可愛いと思うことは多くある(バナナマン日村さんも、すっかりたっぷりしていて可愛い)。

乃木坂46の皆がそれぞれ顔が違うのに皆可愛く、そしておじさん芸人であるバカリズムさんや他の方々もまた可愛い。

この、大なり小なりある広がり、「可愛い」そのものの広さ、それによって「もしかしたら俺も可愛いんじゃないか?」とさえ思わせてくれる。

本当にそうなのかの確認は置いておくとして、ともかく、そうした「広がり」がもたらすささやかな「希望」や「期待」がある。

それに伴うのは、「自分のこと可愛いって、思ってしまおうかしら」というほんのわずかな大胆な一歩。「なんか無理」というブレーキから足を離す勇気。

とは言いつつ、それだけですぐに大きな行動に移ることは、そうできやしない。

が、ささやかに、買おうと思っていたTシャツのロゴ2色のうちピンクを選んでみることくらいはしてみようじゃないか。

つーことで、書いているうちに想定とかなり違う方向へと進んだが、ともかく、アイドルの子たちが確かに「自分のこと可愛いと思ってる」という風が、ピンクにチャレンジする一人の桶屋を生んだ。

こんなにも当初の想定と逸れた結論でいいのか? と思いつつ、書くことはもう特にないのでここまでとします。

以上。

明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。