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新内眞衣の語る言葉が中村一義

先日(4/22)発売した『BLT graph.vol.66』に新内さんのグラビアが掲載されておりまして。特典ポストカード付のセブンネット版を購入・2日ほど遅れてようやく受け取って参りまして。実際に誌面を開いてみると、大人っぽいクールなカットも、ナチュラルで朗らかなカットも、どちらも綺麗で魅力的で超良かったですね。

2nd写真集を期待してしまう気持ちは別の機会に置いておくとして、個人的にはインタビューがとても良かった! 1Pのみの長くない内容ではあったものの、現在の新内さんの考え方がありありとわかる内容で。新しい情報があるというより、これまで彼女が各所で語ってきたことが凝縮されているような総括しているような、そして未来を見ている、そんなインタビューでした。

で。

そんな彼女のインタビュー、その中で語る言葉の端々から、ある存在を感じてならなかった。内容こそ今までも新内さんが語っていたことばかりではあるのだが、それが改めて端的に言語化されたことで、見えてきてしまったのだ。

そう、中村一義が。

中村一義というミュージシャンがいる。個人的には、今現在の価値観も生き方も彼の楽曲群そのもので構成されていると言って過言ではない程敬愛しているミュージシャンだ。上に貼った公式プロフィールページより、彼の紹介文を引用しよう。

1997年、シングル『犬と猫/ここにいる』でデビュー。セルフプロデュース、そしてすべての楽器をほぼ一人で録音したデビューアルバム『金字塔』は独特な日本語詞と卓越したポップセンスにより、日本のロック・シーンに多大なインパクトを与えた。そしてアルバムごとに進化を遂げる多彩な音楽性と、緻密に構築された音世界は多くのリスナーを魅了している。

中村一義は上記の通り97年デビュー。この年には、のちのシーンに多大な影響を与えた、くるり、SUPERCAR、ナンバーガールが同じくデビューしており、音楽雑誌『ROCK IN JAPAN』などでも「97年組」として象徴的に括られ取り上げられたそうだ。

中でもバンドではなくソロアーティストだった中村一義は、引用部にもある「独特な日本語詞」が何より特徴的である(超ハイトーン&外国語にも聞こえる不思議なボーカルもまた特徴だが、今回は割愛)。

例えばデビュー曲『犬と猫』の歌詞はこんな感じだ。

どう?
街を背に僕は行く。今じゃワイワイ出来ないんだ。
奴落とす。もう。さぁ行こう!探そぜ、奴等…ねえ。
もうだって、狭いもんなぁ。

『犬と猫』

句読点(、。)や「どう?」「~もんなぁ」という表現まで、もちろん原文ママである。せっかくなので同じアルバム『金字塔』に収録された楽曲『魔法を信じ続けるかい?』の歌詞も載せてみる(タイトルが既に独特である)。

みんなと見たい場所があるんだ。行こうよ。今も、そこだけ残る。
最初も最後も、なんだかこじれる。
こっから出んだっ!

『魔法を信じ続けるかい?』

「こっから出んだっ!」というフレーズは、わんぱくながらも力強さが滲んでいるが、それはさておき、やはりポップスの歌詞としては類を見ない表現であるように思う。こうした、セリフや話し言葉そのもののような歌詞が彼の作品における一つの特徴である。

が。

今回言いたいのはそこではない。確かにこうしたテイストが、デビュー当時の作品はもちろん、24年のキャリアを経てなお色褪せていないところがまた中村一義の魅力ではあるのだが、新内眞衣の言葉から感じた中村一義はそういった表現の部分の話ではない。

ここで一旦、『BLT graph.vol.66』から新内さんのインタビューを引用してみよう。彼女は誌内でこんなことを話していた。

あと、今から楽しみにしていることは、30歳になること。(中略)今、29歳ですけど、自分の20代は本当に楽しかったので、30代になったらこれ以上楽しくなるのかって思うと、もう早く30歳になりたい(笑)。

『BLT graph.vol.66』P94

人生は予想できないからおもしろいですよね。15年前のひとりぼっちだった自分に言ってあげたいです。『未来はすごく明るいから、諦めるなよ!』って。当時の自分は人生を諦めそうで、早く時間が過ぎればいい、1日なんて12時間あればいいと思っていたので。でも今は、1日が24時間じゃ足りない、もっと時間があればいいのにって思っています

『BLT graph.vol.66』P94

彼女の辛い経験があった中学生時代については、レギュラーを務めるラジオなどで語っていることなので、ある程度知られていることとして続ける。

29歳現在の新内さんは「今が楽しい」と話し、また、これからの未来を更に楽しみにしている。そんなウキウキとした語り口でインタビューは終始していた。

「当時の自分は人生を諦めそうで」との発言には思わずドキリとするが、少なくとも今現在の彼女からは、そんな様子は微塵も感じられない。それはこのインタビューに限らず、それこそラジオでの話を聞いていても思うことだ。

彼女は当時のことから目を逸らさず受け止めた上で、しかし「今が楽しいからそれでよいのだ」と考えていることが受け取れる。かつ、それは刹那的なものではなく、明日、未来を迎える事にも前向きだ。所謂「年齢イジリ」で不快な思いをしてきたことも少なくなかった彼女だが、年齢を重ねること自体は決してネガティブに捉えていない。

さて。

中村一義フリークの自分から言わせてもらいたいのは、彼女の現在の考え方は、非常に中村一義の『生きている』(98年リリース『太陽』収録)である!ということ!

そうだ、過去、未来も越えて、列車は走るよ。
身体が錆びてたって、そこで、笑って会えるようにと。

『生きている』

この歌詞ないし楽曲が実際に示すところは、むしろ年月が重なっていくことへの愁傷と、しかしそれでも……という力強い姿勢であるのだが、〈列車〉と比喩された未来へと進む前向きさは、新内さんの抱いているそれに通じているように思う。

また『生きている』には〈「完全な安定がないなら、完全な不安定だってないな」〉というフレーズがある。これもまた上で引用した新内さんの「人生は予想できないからおもしろいですよね。」という発言と近しいものだ。

そして中村一義は、考え方を同じくし、更によりポジティブかつ直球なフレーズを『スカイライン』(2016年リリース『海賊盤』収録)にも残している。

たまんねぇな!おもしれぇな!
本当に生きるってことは。

『スカイライン』

あまりに直球すぎて笑ってしまうくらいなのだが、しかしこの『スカイライン』という楽曲。中村一義が当時15年間の活動の中で、ソロでデビューし、一時メンバーを集めてバンド名義(100s※)で活動、またソロ活動に戻り……といったキャリアを経て、再び新たなバンドメンバーと出会って製作されたものである。全く別の音楽活動をしていたミュージシャン達と出会って意気投合し、一つの作品を作ることになったそうだ。

※100s:所属メンバーに、現在「レキシ」名義で活動している「池田貴史」氏、斉藤和義・いきものがかり・絢香・宮本浩次など著名なアーティストのサポートメンバーとして活躍している「玉田豊夢」氏、各種サポートの活動のほかEXILE・倖田來未・V6、さらには堀未央奈ちゃんソロ曲『冷たい水の中』の作曲も手掛ける「山口寛雄」氏らがいた、何気にモンスターバンド。

~閑話休題~

つまり上記の『スカイライン』の歌詞は、仲間と出会った奇跡、仲間がいることの喜びが、生きる喜び・生きる面白さにそのまま繋がったことを彼が実感したからこそ放たれたフレーズである。

そして新内さんも、同様の喜びをインタビュー内で語っている。

自分では乃木坂のメンバーや友人からいい影響を受けていることが大きいと思います。そこでいい影響を受けているということは、いい人間関係が築けているからだと思います。だから、今ある人間関係はこれからもずっと長く、大事に。

『BLT graph.vol.66』P94

これは、先に引用した発言に加え、新内さんが自身について「大人になった」「許容できる範囲が広がって、受け入れられることが増えた」と話したことを踏まえて投げかけられた質問に対する回答である。

自らの変化は、仲間や友人によってもたらされた部分が大きいと言う。むしろそれらが生んだ結果こそが、乃木坂メンバーとしての活動が多くを占めた20代を「本当に楽しかった」と言い切る姿であるようことだろうが、これはまさに、中村一義が『スカイライン』を生み出した一連のストーリーと重なるように思う。

加えて、『ここにいる』(97年リリース『金字塔』収録)という楽曲を挙げたい。この曲の中で、中村一義は学生時代から長く付き合いのある3人の友人のこともひっそりと歌っている。

巨大な四本の矢を背に、僕は真実を知る。

『ここにいる』

彼ら3人と自分が揃って4人でいることで「僕は"ここにいる"」、という宣言。新内さんの場合、さながら「巨大な四十六本の矢」といったところか(って、これじゃご地元のお友達が含まれなくなっちゃいますね)。

また、『生きている』や『スカイライン』が感動的なのは、単に歌詞から受け取れるメッセージだけの話ではない。中村一義がミュージシャンとしてデビューするより以前の、彼の過去の話を踏まえてみるとよりそれが鮮明に見えてくる。

中村一義は、幼少期より父母の関係が悪く、毎日のように彼の目の前で暴力を振るい合うような状態であったそうだ。小学生頃はそんな日々の中、飼っている犬の犬小屋に避難してはそこで夜を明かすこともあったと言う。母親から「産むんじゃなかった」と言われたエピソードも語っている。

最終的に父母は離縁、以降は祖父母宅に引き取られて生活をすることになる。そこでビートルズを始めとした音楽に出会い、後にミュージシャンを志すきっかけとなった。

しかし、高校卒業後、大学へ進学せずミュージシャンとしてデビューするための活動を始めた彼は、思うような結果に繋がらず追い詰められ、一度命を絶つ決意をしてしまう。ロープを垂らし、首を掛けようかというその時、点けっぱなしのテレビから流れていた『ガキの使いやあらへんで!』を見て思わず笑ってしまい、そこで「笑う人間が死んじゃいかん」と思い直したそうだ※。

※THE BLUE HEARTS、ザ・クロマニヨンズ等でおなじみ甲本ヒロト氏のエピソードとして『日曜日よりの使者』と共に語られることがあるが、実際は中村一義の体験である。

~閑話休題~

……といった風な壮絶な人生を歩んできた中村一義の叫ぶ〈たまんねぇな! おもしれぇな! 本当に生きるってことは。〉というフレーズが、いかに希望に満ちたものであるか。

これらの経験を超えてきたからこその、生の肯定である。これを書いている時点から数週間前にたまたま『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』で流された、彼の代表曲『キャノンボール』(2002年リリース『100s』収録)もまさにそれを謳っている。

僕は死ぬように生きていたくはない。
そこで愛が待つゆえに。
愛が待つゆえに。僕は行く。

『キャノンボール』

はい。

気付けば新内さんの名前が長らく出ていないところだが、ここから改めて彼女に繋がる話をしたい。それに当たって取り上げるべくは、中村一義楽曲における最重要アンセムと言える『永遠なるもの』だ。

あぁ、全てが人並みに、うまく行きますように。
暗いだなんて言うなって。全てよ、運命の想うままに。
急にね、あなたは言う…。
「やっと笑えそうだっていうときに、
判んなくなって、泣けない、笑えない…。」

『永遠なるもの』

『永遠なるもの』は、上でも取り上げた中村一義のデビューアルバム『金字塔』最後を締めくくる楽曲である。冒頭は上記のようにどこか弱々しく言葉が紡がれるが、それは次第に壮大なメッセージとなって放たれる。

愛が、全ての人達に、分けられてますように。
一回も考えなかった。「語ってるよ」とか言って茶化して。
全ては良い笑顔のために。

『永遠なるもの』

感情が、全ての人達に、降り注ぎますように。

『永遠なるもの』

〈愛が、全ての人達に、分けられてますように〉と語る。それを茶化す者へのカウンターも添えながら(そこに"かつての自分"も含めつつ)、彼が歩んできたその人生を超越して辿り着いた、全方位的な愛を謳っている。

あまりにも感動的なこのフレーズ、この楽曲が一体どう新内さんに繋がるかを紐解く上で、参考にすべき作品を挙げたい。それは『こどものおもちゃ』である。

以前『乃木坂工事中』でオススメ作品として新内さんが取り上げていたこの作品。ラジオでも機会があるたびに名前を挙げていたことから、ある程度なじみのある名前だろう。

『乃木中』での紹介に際し、別のnote↓でも取り上げた本作だが、これは間違いなく、新内眞衣という人間を形成する上での重要なルーツ。少なくとも、彼女が幼少期に出会ってから今なお語ろうとするくらいには、彼女にとって大切な作品であるはずだ。

そして、その『こどものおもちゃ』を取り上げたnoteでも引用した、本作最終話にて主人公・倉田紗南が空を見上げて呟いた台詞をここでも引用しよう。

…ああ…誰の上にもちゃんと
幸せが降ったらいいなぁ
そーだといいなぁ…

『こどものおもちゃ』12巻

紛れもなく『永遠なるもの』である。『こどものおもちゃ』は1994年~1998年連載であり、中村一義のデビュー、そして『金字塔』リリースと時期をほぼ同じくしている。同時代に放たれたこの全方位の愛が、巡り巡って新内さんの元に届いている。

倉田紗南が上記の考えに至ったのは、これまでに出会った友人・松井風香や加村直澄、そして母・倉田実紗子との対話を経たからであるが、その際に実紗子から贈られた言葉を合わせて引用したい。

それは、紗南が「私さぁ…幸せだよねぇ…」とぼんやりと確証を持てていなかったその想いを吐露したことを受けて、実紗子が告げたものだ。続く紗南の台詞と合わせて載せよう。

私も色々…悩んだけど
なんか私って甘ちゃんな気がするの
だって私…私のまわりにいる人達みーんないい人ばっかりだしさぁ…

『こどものおもちゃ』12巻

あんたの言う「いー人達」って…
まずあんたが先に心をくれたって人が多いんじゃないかしら?
(中略)
あんたは…生まれてすぐ1人になって
12年生きて
人と出会って…
まわりにいい人が集まったっていうあなた自身を…
自分をもっと信じなさい

『こどものおもちゃ』12巻

この2人の対話を鑑みると、新内さんがインタビューで語った「だから、今ある人間関係はこれからもずっと長く、大事に。」と言う言葉が、おそらく誌面から感じ取れる以上に壮大な想いに溢れた言葉であることがわかる。彼女のルーツである作品が最後に語ったメッセージに、彼女自身もまた辿り着き、胸に抱いているのだ。

新内さんがかつて人間関係の不和によって傷ついたことを踏まえると、この発言は、両親からの愛を受けられなかった中村一義が〈愛が、全ての人達に、分けられてますように。〉と叫んだこととも重なるようにも思うし、いや、それを抜きにしてもやはり壮大である。

むしろ、そうした経験を乗り越えて今に辿り着いた自負があるからこそ、現在の彼女は上記のように感じており、そしてインタビューを以下の発言で締めくくっているのだろう。

人間って、どれだけがんばっても1人では生きられないものですし!

『BLT graph.vol.66』P94

そしてこれは、そう、『Sing Out!』だ。

吹きさらしのその心
温もりが欲しくなる
孤独は辛いよ

『Sing Out!』

風に乗って飛んで行け愛の歌
一人ぼっちじゃないんだよ

『Sing Out!』

乃木坂46の達成した究極的な愛そのものである『Sing Out!』。この楽曲に込めれれた想いがまさに、新内さんの生き方・生きる上での考え方と限りなく密接であるのだ。言うなれば、彼女は『Sing Out!』の体現者、ひいては乃木坂46の体現者(の一人)と言えるのではないか。

新内さんはインタビューで以下のようにも語っている。「喜怒哀楽」をひとつの軸にインタビューは進み、そのうちの「怒」の話題になった時の発言だ。

怒るくらいだったその感情を別のエネルギーに変えて、違うことに向けたほうがいいと思うんです。

『Sing Out!』

別のエネルギーとは、つまり「喜」「楽」に繋がることを指すかと思う(さすがに「哀」ではないだろう)が、ここまでの材料を手にしてしまったら、この発言は『Sing Out!』における以下にさえ思えてきてしまう。

if you wanna bring big smiles, sing out!

『Sing Out!』

これは個人的に意訳したところ、「みんなで笑顔になるために歌おう」となる(”相手を笑顔にさせる”をお互いに実行しよう、というニュアンス)。

新内さんはよく「(自分を見て)楽しそうだと思ってもらいたい」といった発言をする。ちょうど46時間TV・乃木坂電視台時の公式Twitterにその旨が彼女直々のメッセージとして書かれているので載せよう。

「楽しんでほしい、笑ってほしい」という彼女の想いは、つまるところ紗南の言う「幸せ」であり、中村一義の言う「愛」だ。先に引用した『Sing Out!』の歌詞から抜き出すならば〈温もり〉だろうか。

幾分、話が広がりすぎているきらいがありますが、ともかく新内さんを見ていると思わず笑顔になっちゃうよね、ということで一旦締めさせていただきたい。しかしそれは、新内さん自らが強い意志をもって実践していることなのだ。

最後に、余談としてもう一つだけ中村一義の匂いがする新内さんの発言を取り上げよう。

インタビューは、実施時期が『9th YEAR BIRTHDAY LIVE~2期生ライブ~』の2日後であったことで、ライブの様子を踏まえて話が始まった。そこでは堀未央奈ちゃん卒業のセレモニーにて涙を流し、「泣き虫」と笑われていたことが取り上げられた。

私、普段は泣き虫ではないんですけど、メンバーの卒業だと泣いちゃうんですよ。それまでがんばってきた姿を見てきているから、めちゃくちゃ寂しいけど、本当におめでとう、絶対に幸せになってほしいって気持ちが溢れて泣いちゃうんです。普段、自分がつらくて泣いたことはほとんどないんですけど

『BLT graph.vol.66』P94

自分のことよりメンバーのことを想って涙する辺りに人柄が滲み出ている気もしつつ、彼女の、卒業するメンバーと過ごした日々を想い、メンバーのこれからの幸福を願う姿勢からは、中村一義の『笑顔』(98年リリース『太陽』収録)を見出してしまう。

別れ際に、ほらそこに、これからの笑顔があるんだ。
心に刻んだ場所は、もう変わらないはず。

『笑顔』

ほら、笑顔。泣き顔も笑顔。

『笑顔』

堀ちゃんの話題で現れる〈別れ際〉というフレーズが、奇しくも、と言ったところであるが、つまり、実際の表情が笑っているか涙を流しているかではなく、その胸の内で何を想って何を願っているかということだ。

堀ちゃんは2期生ライブを以てグループから旅立ってしまったが、彼女達が心に刻んだ場所は、もう変わらないはず。

以上。

どう?





明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。