大園桃子の歌声は唯一無二
先日(8/18)の『乃木坂46のオールナイトニッポン』にグループからの卒業を予定している大園桃子ちゃんが出演した。
その際、パーソナリティの新内眞衣さんが「桃子が参加してる中で私が一番好きな曲」としてチョイスした、『平行線』がオンエアされた。
この『平行線』、大園・与田・久保・岩本・阪口のユニットメンバーのうち歌い出しを彼女が担当しているわけだけども、彼女の歌声は何回聴いてもとにかく良い! 唯一無二!
乃木坂46内ではもちろん、国内のシンガーを集めても中々あの声はいないんじゃないだろうか。ANNを聴きながらそんなことをひしひしと思った。
(以下、大園桃子=桃子と記す。愛を以てこう呼びたい。)
※桃子パートから始まるので、どうぞ一度再生ボタンを押してください。
彼女の普段の話す声は、比較的ハスキー、高めでやや硬質、おそらく腹式呼吸を得意としていないのだろう、少し力むとすぐ裏返ることもあり(ライブでの煽りなんかは顕著である)、ハスキーさもそこら辺に起因していると思われる。そして訛りがほんのり残っており、また発語はどこか幼さを感じる。
加入当時からその様子を見ていると、やはり鹿児島訛りが印象深いが、実はその声質そのものがかなり特徴的に思う。モノマネされるにしても訛っている部分ばかりがフィーチャーされがち、というか声質がそもそもそう簡単には真似し難いものなんだろう(松尾美佑ちゃんが北川悠理ちゃんの真似をするようなケースは、そもそも声質が似ているからこそに思う)。
一方で歌う際の声を聴いてみると、また違った聴き心地である。
どこか弱々しい雰囲気は同じながら、吐息が多く鼻に抜ける声は、ハスキーというより囁くような話すようなニュアンス。声の出方の影響か、時おり「な」行の響きが含まれているように聴こえる(気がする)。その事も含めつつ、全体的に柔らかさ、甘み、可愛らしさが一層強まっている印象である。
いずれにしても"腹から出た強い声"ではないところから感じた印象であるが、なんと言うか、そよそよとしていて絶妙に手応えのない、柳とかカーテンとかそんな感触を想起させられる。
田舎育ちの純朴な人物像(のイメージ)も影響してしまっているかもしれないが、ともあれ「拙さ」ともまた少し違った、独特の「軟さ」がある声と言っていいように思う。
そして、そんな歌声がどうにも良い。
その歌声は他に代えがたく、乃木坂46内に関わらず、その希少価値は稀に見るものだ。いや希少かどうかをさて置いても、桃子の歌声はあまりにも良い。
とにかく良いのよね、という話でしかないっちゃないのだが、いやしかし彼女の歌声はもっと語られるべきだ。ねえ?
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乃木坂46の"歌"メンバーと言えば、例えば1期生・生ちゃんや、同期の久保ちゃんが思い浮かぶ。単純に巧拙で考えれば、桃子と比べてこの2人が明らかに秀でているのは事実だが、だがしかし、それは決して価値のあるなしでは全くない。
そもそも、3人は歌声も歌い方もはっきりと違う。ひいてはそれは、それぞれの目指すところや、結果的に産む印象もまるで異なる。
生ちゃんの歌声は、幼少期からミュージカル女優を志していたことからもわかるように、高らかに歌い上げる様がまさしく"声楽"のそれである。現在の経歴がまさにだが、広いホールで1人で歌っても全域に行き渡らせるためのオペラの歌唱法が根底にあるであろう、クラシックな発声を下地にしている(後天的により強まっている印象である)。
久保ちゃんは出演した舞台で歌うことも多いが、幼い頃から歌うことが好きでとよく語っていたことを鑑みても、元々持ち合わせていた才能はもとより自然体の経験値によって培われたものと想像できる。全体的には話し声と地続きのチェストボイスを武器としながら、ミックスボイスもおそらく使いこなしている(そもそも広い音域を兼ね備えていることも寄与している)。
で。極端な歌おばけであるこの2人と並べてみても、単なる巧拙を超えた価値を桃子の歌声は持っているだろう。
技術面で長けている方が偉くてそうでない方は……ということでないことは、〈不安定だって言われる歌声/それも味!〉という、かつてのリリックが証明している。少なくとも、桃子のような歌を生ちゃんや久保ちゃんが歌うことは叶わないはずだ。
独特な弛さを持ち、キュートにも危ういようも感じられる、それでいて耳触りがやけに良い、こちらの聴覚にそっと触れてくるあの歌声。
ともかく桃子の歌声は限りなく良い。「可愛い」とか「癒される」とか「好き」とか、むしろそう抽象的に表現せざるを得ないくらいに、言語化できる領域を超えたところに彼女の歌声の良さがある。
歌声自体が似ているわけではないが、後味として近い印象を覚えるのは、西野七瀬ちゃんのものであるように思う。バラードを歌うために創られたような、思わず注目してしまう繊細で誠意のある彼女の声はまた、唯一無二であった。
桃子の歌声、いや歌声そのものと言うより、上に書いたように「価値」の在り方が、なぁちゃんのそれに近いのではないかと言いたい。彼女が歌ってこそ、ということだ。
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桃子の歌の扱いにおいて、まずもって膝を打ったのは『友情ピアス』である。相方に、各曲で既に多くセンターを務めており、4期生&これからの乃木坂46の中心人物にして天使・遠藤さくらちゃんを迎えたユニット曲だが、ここで注目したいのは歌割り、特にサビの部分だ。
冒頭からはパートを分けることなくユニゾンで歌っているが、サビにおいて極上のハモリを見せるのがこの曲の特徴である。
その際、主メロディを桃子、下ハモをさくらちゃんが担当している。さくらちゃんの控えめで落ち着いた歌声で綴られる、低めで心地良い音程はまた語りがいがあるが、ここで取り上げるは桃子の声だ。
楽曲の中心と言える主メロディを彼女が担った、ということがまずもって大きい。歌声そのものの聞こえについては先述の通りだが、そんな桃子の歌声は特にこの曲によくマッチしているように思う。例えば歌詞から受ける印象とかだ。
ネオアコな曲調にも現れているが、壮大な世界とか深く突き詰めた内面とかそういったものではない、爽やかかつ濃密な"わたしたち"を描いた歌詞である。
ともすればディープなそれに受け止めてしまいかねない世界観だが、いざ楽曲を聴いてみるとそのような印象は薄いのではないだろうか。それこそ上に書いたように、残る聴後感は非常に「爽やか」であるように思う。
もちろんそれには様々な要因があるが、その一つに桃子の歌声があるのではないか、と言ってしまいたい。
決して力強くはなく自信に満ちているとは言い難い、しかし切実で、ありのままの歌声。むしろ、か細さを理解しているからこその意気とでも言おうか、技術による演出がかなわないならばと、ただひたむきに歌っているように思えるその歌唱が、あまりにも『友情ピアス』の〈私たち〉を表現している。
一人でいることの自信のなさ、不安。自分という個人を確立するアイデンティティの中に〈あなた〉の存在があるという、ある種の確信。それが所謂「闇」や「病み」ではない、宝箱のような美しさと無敵感、刹那性。
ひいてはそれは『ぐるぐるカーテン』の世界に通ずるようにも思うが、ともかくそんな〈私たち〉の煌めきを閉じ込めた楽曲である『友情ピアス』。まさしく大園桃子という人が歌ってこそ価値が一層高まっていると言えるのではないだろうか。
また、歌声のことをさて置いても、彼女の人物像がまた『友情ピアス』の本質と重なる。
加入当初から不安の言葉や涙を見せることが多く、先輩である白石や飛鳥、同期の梅澤や岩本、阪口に支えられながらも、多くの経験を積んだり、認識の幅を広げたりしたあかつきに、「乃木坂も悪くないなって思った」との言葉を残した彼女。
4期生が加入して以降は、それこそさくらちゃんをはじめとした後輩を愛でる様子も多く見られ、自身の経験を踏まえてこその「支える側」としての意識が強まっていることを語る場面も度々あった。
こうして整理すると、桃子は『友情ピアス』における〈私〉の視点も〈あなた〉の視点も持っている、と言える気がする。
多人数グループであることとか、全国オーディションによっていきなりアイドルになってしまう性質とかも含め、どうにも乃木坂46はメンバー同士で精神的に支え合って活動を進めていかざるを得ない。
だからこそ発生するグループ内の〈私〉と〈あなた〉が『友情ピアス』に閉じ込められているし、殆どのメンバーがそれぞれの気持ちを理解していることだろうが、特に桃子の背景が、彼女自身が歌うこの楽曲をいっそう補強してはいないか。
その要となるのが歌声である。そう、随分逸れてしまったが、取り上げるべくは桃子の歌声だ。
優しくも真摯で、キリキリとしていない、純粋な印象のその声は『友情ピアス』という楽曲そのものの印象と同じくしている。いや、あくまで個人の感覚でしかないけども。
ともかく、背景も含めつつ桃子の歌声の印象が『友情ピアス』のそれと同一であり、ハモリを振り分けるでもなく一貫して主メロディを担当したことがまた、その事実を後押ししているようにしか思えなかった、という話でございました。
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そして彼女の歌声を取り上げるにあたって、絶対に外してはいけない、いやむしろこれこそメインであるというものが、2020年に実施された『乃木坂46時間TV』内の企画「乃木坂電視台」にて披露された、奥華子氏の楽曲『変わらないもの』である。
これに関しては、もう何を細かく紐解きようもないのではないかと思う。
その歌詞・曲調とあまりにもリンクした、「はなれてたって、ぼくらはいっしょ」という今回の46時間TVのテーマとか、桃子が(放送時点で)3年強ほど乃木坂46として過ごした日々とか、ヘッドホンに手を当てて一生懸命歌う姿とか、そういったものまで含めて、余りにも"すべて"であった。
あれこそは、彼女の一つの集大成であったのではないか。それが此度のグループ卒業と繋がっていると主張する気はさらさらないが、しかしあれは、単に番組の企画として歌に挑戦してみた、という範囲を明らかに超越した表現であった。
歌というのは、上手くなればなるほど画一的になってしまいがちだ。それは「正解」の方向へテクニックを研ぎ澄ませる故のある種の必然でもある。
もしも、企画を同じくする電視台で、桃子よりもそれなりに歌唱力があり、そこそこ自信があるメンバーによって、「俺の歌を聴けェ!」的な感じでそれなりに上手い歌を披露されてしまっては、あれほどの感動を覚えなかったかもしれない。
いや、誰と誰を比べようということではないんだけども。
それでも彼女の、歌唱力が抜きん出ているとは言えない、本人も決して自信がある訳ではない、それでも自ら意味を見出して挑戦した、ありのままに披露された澄み切った歌声がこそ、2020年6月という時期に実施された46時間TVの最後を締めくくるには、あまりにもふさわしかったのではないだろうか。
あれは、身体的に着目した限りの歌声だけでなく、明らかに、彼女の内面や背景までもが現れた歌声であった。少なくとも俺はそう感じたんだ。
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とにかく、大園桃子の歌声は唯一無二、ということが最初から最後まで言いたかったことです。
進むにつれブレましたが、「声質だけを取り上げても他の誰も代えとして効かない唯一無二のものであり、そこに加えて彼女の内面や背景が歌に乗ると一層エモい」という結論です。
9月4日をもってグループ卒業と同時に芸能界引退ということで、それ以降、彼女の歌声を新たに聴く機会は失くなってしまう模様。
えぇ、マジか……つら…………
以上。
明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。