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『乃木坂46シングル曲が物語る"今"』その2(ガルル~何空まで)

前回は、『君の名は希望』までのシングル曲について書いてきた。

ご存知の通り6th~10thは毎回と言っていいほどセンターが変わっている。その分、1st~5thまでのような連続性はなく、より曲ごとに個々の(センターの)メンバーにフォーカスを当てた形で、楽曲にグループの現状が反映されている。

『君の名は希望』まで「乃木坂46の顔」として長らくセンターを務めてきた生駒里奈がその任を解かれ、6thシングルにおいて新たなセンターを迎えたことがその大きなきっかけである。

ガールズルール

6thシングル『ガールズルール』は、デビューから『君の名は希望』までを経て一つの完成を見た乃木坂46の、新たな姿を象徴する楽曲だ。

まずその曲調ひとつ取っても、これまでの乃木坂楽曲とは大きく異なる。軽快なシンセによるイントロから始まり、「ザ・アイドルソング」な歌メロ、緩急がありつつ常にふつふつとした盛り上がる構成、随所に差し込まれる掛け声も特徴的である。

これはちゃんとした目的があってそのように作られている。その目的は、この曲が現在まで続いている「夏曲」の最初の一曲であることから見えてくる。

『乃木坂46の真夏の全国ツアー』は2013年から始まった。そしてそのツアーに先駆けてリリースする形で、『ガールズルール』を引っさげて乃木坂46はツアーに臨んだ。つまりこの曲はライブに向けて制作されたもの、明確に「ライブで盛り上がる曲」になるように作られている曲だ。

特にそれは、先述した「随所に差し込まれる掛け声」や、Aメロに置かれている〈海岸線を〉の後にある2拍分の空白から感じられる。これらは聴き手に向けた「コールをしてね」というガイドのようなもの。作曲家・音楽プロデューサー ヒャダインこと前山田健一氏も「アイドル楽曲はコールが入って完成するもの」「(自分が作る際)コールが入れられる空白を意図的に設けている」という旨の発言を過去にしているが、『ガールズルール』のつくりもまさしくこれを踏襲した形になっている。

このような、ライブアイドルの文脈を取り入れた曲を乃木坂46が発表すること自体が、「これからライブをやっていくぞ」という宣言のようなものなのだ。

さて、ここからセンターについて触れていきたい。上述した通り、今までには無かった突き抜けるように明るい『ガールズルール』。そんなこの曲を、まいやんこと白石麻衣が表に立って歌い踊ることに意味があり、またこの曲の意味自体にもリンクする。

1st~5thまで、生駒里奈その人の成長や変化を乃木坂46というグループ自体のそれと重ねる形で提示してきた。

その時期を超えて、”先”にある乃木坂46の新たな姿を見せることを求めた。これまで積み上げたイメージの更新、それが『ガールズルール』の役割である。そしてそれを担う存在として白石が選ばれた。

「イメージの更新」というキーワードは、彼女自身に求められていたものにも重なるように思う。雑誌の専属モデルとしても一人活動しており、既に各方面で”アイドルとして”以外の活躍をしていた。また大人びたクールな外見からは、「冷たそう」というイメージを持たれることも少なくなかったという。

そこに、この「笑顔ではじけるセンター・まいやん」という姿をバシーンと打ち出したわけである。『ガールズルール』によって、彼女が「アイドル」としてもとてつもない力を持っている、ということを示した。

乃木坂46の「イメージの更新」と白石麻衣の「イメージの更新」を重ね合わせることで実現したパワー、『ガールズルール』はそんな楽曲である。

(2023年6月追記)

前noteでも書いたように、『ぐるぐるカーテン』~『君の名は希望』までの楽曲では、〈君〉と〈僕〉の距離感の変化していく様が5曲に渡って描かれていた。遠巻きに眺めて女子たちの世界を妄想する『ぐるぐる~』から、距離が縮まり、思いが募るあまり性急な様子まで見せながらも、その「出会い」や「想い」そのものの尊さを実感するに至った『君の名は~』。

「イメージの更新」が一つのキーワードである『ガールズルール』は、白石をセンターに配した「New1stシングル」的な立ち位置の楽曲である。上記のような1st~5thの流れから一新して〈女の子たち〉の世界を描いており、それは〈彼女と私〉の世界が閉じ込められた『ぐるぐるカーテン』と重なる。

5thまでセンターを務めた生駒とバトンタッチして白石を新たに迎えた新生・乃木坂46として、まさに5thまででそのストーリーが一度大団円を迎え、6thから新たな章が始まったことを物語っているように思う。

バレッタ

前作からセンターを務めるメンバーの変動が始まり、この曲もまた例外ではない。『バレッタ』のセンターには、2期生(当時、加入して半年ほど)の堀未央奈が抜擢された。

新メンバー加入・センター抜擢ということで、普通に考えると「メンバーが増えました!」「新しいスタートです!」という雰囲気の曲になってもおかしくない。しかし実際に出来上がった曲『バレッタ』は、マイナー調の何とも怪しげなものになっている。

その理由は、この『バレッタ』が「新メンバーが入ったことに対する不安感」「新メンバーに対する懐疑的な視線」そのものを曲(のテーマ)にしているからだ。つまり、『月の大きさ』で言うところの〈謎の美少女・堀未央奈〉を迎え入れたこちら側(グループも、ファンも)からの視点の歌だ。

これは、センターである新メンバー・堀自身ではなく、「グループ(の現状)」に焦点を置いた結果である。

だから歌詞においても、〈君〉と〈僕〉が登場しておきながら、描かれているのは〈君〉を遠目から盗み見ている〈僕〉の様子だけである。

図書室の窓際で女子達が声潜め会議中
ヘミングウェイを読みながら僕はチラ見した

さらに、行動だけでなく〈僕〉の言い分すらも、〈君〉に対して勝手なイメージで物を言っているものだ。

君たちのその企み
状況証拠並べて さあ推理してみようか?

おそらくだが、これは、加入直後でパーソナリティがまだあまりわかっていない堀(をはじめとした2期生)に対して想像で好き勝手言う者達への、揶揄や皮肉ですらあるだろう。

雰囲気を盛り立てるのが、やはりその曲調。全体に渡って、歌詞の世界観の劇伴のように完成している。怪しげな笛の音からはじまり、駆け上がるドラムと多用されるシンコペーション※は焦燥感をあおり、ざわざわした感覚を駆り立てる。そして歌謡曲ライクなマイナー調のメロディもどこか不穏なムードを演出するのに一役買っている。

※シンコペーション=アクセントを小節の頭ではなく前の小節に食い込むように置くパターンのこと。『バレッタ~♪(ツツタ「ターン」!)』の「ターン」辺り。

また、『バレッタ』が上記のように作られていつつ、2期生の加入や堀がセンターを務めることが「本当に不穏なことではない」「マイナスな出来事なわけではない」とフォローするように、乃木坂のレパートリーの中でも特にあっ軽い曲の『そんなバカな…』が用意されている。

それも実に周到と言うか、しっかり演出した分、それに対するケアがちゃんとなされている。(歌詞も「自覚があるかないかのうちに、いつの間にか好きになってしまった!」という内容だ)

気づいたら片想い

この曲は、まさに「西野がエースとして君臨したこと」を示す楽曲。だからこそ、「グループの○○」という状況を切り取るではなく、「センターのメンバーに対する当て書き」の傾向が強く出ている。

歌詞の世界観自体は男性の「あなた」と女性目線の私(歌詞中には出てこない)が描かれているが、実際に「気づいたら片想い」するのはこちら側だし、されるのは西野だ。

その世界観の主人公も、西野ではなく彼女を想う側。こちらから見た西野(の魅力)、西野に惹かれていく様を描いている。つまりこれは「西野をヒロインとした恋愛モノの漫画・アニメ」の主題歌のようになっている。

しかもそれは確実に少年漫画(男性向け)。少年漫画の恋愛モノは、えてして主人公は没個性、ヒロインは非常にキャラクターが立っているものだ。

そんなつくりになっているからこそ、西野の存在が引き立つ。そうすることによって、「気づいたら片想い」する感覚を肌で理解できる。こうした形で、曲を通して「西野七瀬」の魅力に引き込まれていく彼女の主題歌のように作られているのだ。

曲調にも簡単に注目したい。『気づいたら片想い』はマイナー調の歌謡曲風。先の『バレッタ』でも同様の路線だったが、あちらは不穏な緊張感が漂っているのに対し、こちらはじわじわと高まっていき、切なさ・儚さを増長する。近い路線でありながら、似て非なるものとして、明確に違うアプローチに仕上げているのはすごい。音楽ってすごい。

余談だが、この曲の唯一にして最大の問題点は、タイトルが「気付いたら」なのか「気づいたら」なのか、「片想い」なのか「片思い」なのか、いつまでたっても覚えられないところである。

夏のFree&Easy

この曲も『気づいたら片想い』に引き続き西野七瀬がセンターを務める。あちらとは対照的な明るい夏曲だが、これは単に『真夏の全国ツアー』用の曲というわけではなく、こちらも西野の存在を踏まえて用意された楽曲であることは間違いない。

その上で、この曲における重要なポイントは〈夏だからやっちゃおう〉、この一点に集約される。

この曲の役割は、端的に言うと『ガールズルール』における「イメージの更新」に近い。しかし決定的に違う部分がある。あちらは乃木坂46グループそのものを白石に投影する形で重ね合わせることで、それぞれに対して同時に「イメージの更新」を掛けてきた。

対して『夏のFree~』は、センター・西野にのみ焦点が合っている。西野に対して〈夏だからやっちゃおう〉という言葉を掛けているのだ。

先述した通り、『気づいたら~』では西野の纏う”儚さ”という雰囲気の部分にフォーカスを当て、曲に落とし込まれていた。そもそも、その理由は「西野七瀬そのものをプレゼンすること」だ。

「顔」であった生駒、個人としての活動も多い白石と比べ、当時の西野は個人としての認知度は高くなかった。故に、それこそ新たな「顔」としての活躍を期待されたからこそ、センターというポジションと併せ、彼女のパーソナリティを落とし込んだ楽曲が用意されたわけである。

そうして『気づいたら~』で西野の主なパーソナリティ(≒傍から見てわかりやすい一面)を打ち出したからこそ、続いて求められたのは「意外な一面」だ。

普段は騒いだりはしゃいだりという行動が少ない彼女、でも〈夏だからやっちゃおう〉と、難しいことは考えずに、明るく、大声を出す、という面を見せるステージとして『夏の~』が用意されたのだ。

もちろんそれは、『真夏の全国ツアー』(のちに定番となる、明治神宮野球場でのライブはこの年が初)において座長を任せられることともリンクしている。曲×ライブという二要素を同時に設けることで、「西野が殻を破る姿」をスピーディに演出したのだ。

また、西野自身がそうした姿を観客に見せることで、〈夏だからやっちゃおう〉という歌詞が聴き手向けのメッセージとしてより強い説得力を持つようになる。「ライブの間くらい、解放的になろう」という意味合いが生まれる。

『夏のFree&Easy』によって演出された西野の新しい姿が、『夏のFree&Easy』を(初の神宮球場での)ライブを彩る曲としてより際立てる、というサイクルが完成していたのだ。

何度目の青空か?

この曲でセンターを務めたのは生田絵梨花。しかし、出来事として語る場合、おそらく「生田が遂にセンターに選ばれました!」というニュアンスは少々違う。

というのも、この『何度目の~』は、シングル曲でありつつ、乃木坂のストーリーにおいては正史でありながら”外伝”のような立ち位置だ。個人的には「劇場版」という例えを推していきたいが、ともかく、主軸として流れているストーリーからは独立した「現状」を切り取っている。

この時期、「グループの顔」として立てられていたのは西野。1st~5th期の生駒のような役割を、彼女は担っていた。そんな中、このタイミングで(あえて乱暴な表現をすると)”ねじ込まれた”ものと言える。

それほどのことをしなければいけなかった理由、切り取られた「現状」の正体は明白だ。「生田の活動休止、そして復帰」である。

グループでも中心人物、かつそのイメージの象徴のような存在でもあった彼女が、一時的にでもグループを抜けるという事実は、まさしく暗雲が立ち込めるような不安を抱く出来事だったのではないかと思う。そして同時に、無事活動に復帰したことによる安堵感は、募る不安を打ち払い、晴れやかな想いを呼んだことだろう。

「たかが、受験のための一時休業」と言ってしまえばそれまでだが、それには収められないほど、生田の存在はグループにとって大きいものなはずだ。まして、当時はまだ1期生が活動の中心であり、2期生もまだ研究生のメンバーが多かった。そんな状況において、彼女が担っていた比重はもはや計るまでもない。

だからこそ、生田の休業と復帰は、「乃木坂46のストーリーをなぞる」「グループの現状を投影する」という役割を果たす意味で、シングル曲において描く必然性があった。そうした形で記録すべき”事件”であったのだ。

そんな意味を持つシングルならば、彼女がセンターに立つこともまた必然だ。「顔」「先頭」というよりは、「核」という表現が近いだろう。つまりは、投影された出来事の最も渦中にいる人物。『カリオストロの城』におけるクラリス、『のび太の恐竜』におけるピー助だ。

このようにして「グループにとっての、生田の離脱と帰還」をドラマチックに描いたのが、この『何度目の青空か?』という楽曲である。しかし最初に「生田おかえり!」と声を掛けた『乃木坂ってどこ?』の場では、激すっぱ冷やし中華で迎え入れているんだから最高。

この10枚目までで、乃木坂46は活動に一つの区切りを付け、総括の年に入る。それは、目指していたゴールに辿り着くための大事なプロセスであり、その先に待ち受ける別れと出会いの予兆でもあった……と思う。

その3につづく。


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