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ドラマ「すいか」について。しあわせな世界を書く、ということ。

私は2003年に放映されたドラマ「すいか」を、初回の放送から最終回まで、すべて見ている。
もともと、どんなに話題になっていてもテレビドラマを毎週欠かさず見る、ということがなかった私にとって、それはめずらしいことだった。

主人公の早川基子(小林聡美)は34歳、銀行勤めをしており、母親(白石加代子)と2人暮らし。
あるとき、基子の勤める銀行で同期の馬場万里子(小泉今日子)が3億円を横領して逃走する、という事件が起こる。
動揺する基子。しかし、そのあとさらに「事件」が起こる。
基子の母親が取材に来た記者に、馬場万里子(以下、馬場ちゃん)と基子が一緒に写っている写真を勝手に渡し、お金を受け取っていたのである。
「私と馬場チャンの友情は、どーなるのよッ」と怒る基子に母親は、「あんた、いつも(馬場ちゃんの)悪口言ってたじゃない。それに、今は、言っちゃあ何だけど、犯罪者なんだし」などと答える。
馬場ちゃんと基子は同期で、いつも一緒にお弁当を食べていた。
同期であり親しい仲ではあるが、ただそれだけの理由で、惰性でずっと、一緒にお弁当を食べていた2人。ときには悪口も言いたくなるだろう。
ほかの同期は全員、結婚するか何かして辞めていったらしく、馬場ちゃんがいなくなったとき後輩たちは、「早川先輩、明日から誰とお弁当食べるんだ」と笑っていた。
そんな中、母親と依存しあいながら実家暮らしを続け、毎日同じような仕事を続けている自分。
「もう、こんな家、イヤだ」と基子が叫ぶのは、母親の身勝手な行動に対しての怒り、というだけでなく、彼女が普段から抱えているもやもやの爆発、といっていいだろう。そしてその怒りは、彼女が家を出るきっかけとなる。
偶然にも基子は、会社から帰宅途中に、賃貸物件「ハピネス三茶」のチラシを拾っていた。「ハピネス三茶」は、入居者を募集中であった。

「ハピネス三茶」は朝夕食事つきの下宿屋で、父親がスリランカへ行ってしまい、大家の仕事を押し付けられた女子大生のゆかちゃん(市川実日子)が、すべてを取り仕切っていた。
そこには、強烈な個性の大学教授の夏子(浅丘ルリ子)、エロ漫画化の絆(ともさかりえ)が住んでいた。そこへあらたに基子が加わって、彼女は、「ハピネス三茶」の住人だけでなくさまざまな人たちと関わっていくことになる。

この「すいか」というドラマでは、大きな変化がわかりやすい形で描かれているわけではない。ドラマの終盤で基子の母親は精神的に自立するが、それも、ドラマチックな展開、というより、あっけらかんと表現されている。基子自身も相変わらず銀行に勤め同じような仕事をしているし、馬場ちゃんも逮捕されることなく逃走を続けている。
しかし、ハピネス三茶での生活で、基子の中で「何か」が変化をしたことはたしかなのだ。それはたぶん、毎日普通に生きているだけで幸せである、ということの、発見である。

「すいか」には名台詞がたくさん、出てくる。たとえば、基子が絆に、「自分も馬場ちゃんの写真を渡してお金をもらうつもりだった」と告白する場面。自分は最低だ、と泣く基子に絆は、「私らは、偉いよ。自分が、最低だって、知ってるもん。これって、滅茶苦茶、ラッキーだよ」と言う。
また、絆に恋をしている青年、響一(金子貴俊)が、彼女のために68000円のブレスレットを買ったとき基子は、「みんな数字ばかり追い求めていて中身なんかどうでもいいんだ」、という意味のことを言う。

「今日は、タクシー乗らなかったから660円得したとか、エレベーター止まって5分損したとか、昔、偏差値が75だったとか。みんな、そんな事ばっかり言ってるじゃん。」
「この世の中はね、何やったって数字でしか評価してもらえないの。それなのに、何であんたまでさ、数字なんかで好意を示そうとするわけ?68000分なんてさ、中途半端な数字でさ」

しかし、こう言ったあとで基子は、自分自身こそ「数字」にとらわれていた、ということに気付いて愕然とするのだ。

また、この響一と絆とのやりとりの中で、好きな台詞がある。いなくなった絆の飼い猫をさがすため、という理由だけで響一が会社を休んだときのこと。よく休みが取れたね、と驚く絆に彼は、社長に話したら行ってやれと言われた、と答える。嘘だ、と信じようとしない絆に響一は言う。

「僕もびっくりしたんです。そういう人もいるんですよ。人間って、考えてたより柔軟って言うか、話せばわかるって言うかー一生懸命言えば伝わるって言うか」
「人間って、思ってるほど怖くないんじゃないですかね」

ひとつ屋根の下に集まるさまざまな人たちをその人間関係・・・というのは少女漫画の中で昔から何度も描かれてきたが、この設定に多くの人が惹きつけられるのには、理由がある。それぞれの人物が、「家族」というものと切り離されてある種の自由を手に入れたうえで、新しい環境で新しい世界を創造していくところに、誰しも魅力を感じるのではないか。
それは、現実逃避でもなんでもなく、自分のための天国となる居場所をつくるためだ。物理的な意味での居場所、というより、自分の、内側に。

脚本の木皿泉というペンネームは、和泉努と妻鹿年季子による夫婦脚本家としての名前である。
「お布団はタイムマシーン」(双葉社)に収録されている「しあわせを書く」という文章の中で、木皿泉は、画家のルノワールについてのエピソードを引用している。
どうしてしあわせな絵ばかり描くのか、と聞かれてルノワールは、「生きているとひどいことばかりだ、なぜ絵の中までそんなものを描かねばならないのか」と答えた、とのこと。これに続いて、木皿泉はこう記している。

「私たちがシナリオを書き始めた80年代、しあわせな話を書くと、みんなから甘いなぁとバカにされた。フィクションもノンフィクションも、苦い方が上等とされていた。」
「10年前、テレビドラマ『野ブタ。をプロデュース』の教室のシーンを書いていて、私は突然泣けてきた。この教室にいる生徒たちは、全てひとりぼっちでとても頼りなく立っているのだと思えたからだ。それは教室の話だけではなかった。この日本に生きている全ての人、年寄りも働き盛りも子供も、みんな頼りなく自分の力で立っていなければならないということである。私は、泣きながら、そうだ、これからは、その人たちのために仕事をしようと思った。
しあわせを書くということは、軟弱なことではない、と今なら胸を張って言える。」
「誰が何と言おうと、私たちは、この先もしあわせなドラマを書いてゆくつもりです。」

ドラマでは、大学教授の夏子はハピネス三茶を出てナポリに旅立つことになっているが、私の心の中のハピネス三茶では全員がそろっていて、仲良く暮らしている。ときどきちょっとした事件も起こるのだが、それもすぐに解決して、すぐに平和が戻ってくる。天気はいつも晴れで、ゆかちゃんは毎日、みんなのためにおいしい食事をつくって待っていてくれる。
あれ?なんだか、P・G・ウッドハウスの作品についてイヴリン・ウォーが書いている文章みたいになってきてしまったが・・・とにかく、こういった「しあわせな場所」が心の中にあれば、人間は、大丈夫なのだ。
「すいか」のような明るい世界を書いた作品が、もっともっと、この日本で出てくればいい、と思っている。

*台詞の引用は、「すいか」1・2巻(河出文庫)より。






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