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小公女セーラの言葉、「あなたもお話、わたしもお話」の意味とは?

前回、バーネットの「小公女」について書いた。

その際に、児童向けポプラ社文庫の「小公女」を読み返していて、妙に気になるセリフがあった。
その言葉を、セーラがベッキーに向かって言う場面で私は、「こんなセリフ、あったっけ?」と驚いてしまった。

そのセリフとは、どういったものか?

あるとき、アーメンガードが、セーラが住んでいる屋根裏部屋にやってくる。そのときセーラは彼女に、隣に住むベッキーとのあいだで、「お元気ですか」「おやすみなさい」の挨拶代わりに壁をノックしている、ということを話す。
アーメンガードは、この2人のやりとりを、まるでお話のようだ、とおもしろがる。
それを聞いて、セーラはこのように言うのだ。

「おもしろいでしょう。でもね、世のなかのことって、考えようではお話でないものはないのよ。あなたもお話、わたしもお話よ。」

これは、ポプラ社文庫からの引用だが、では、光文社古典新訳文庫ではどのように訳されているのか、というと、以下の通り。
(これお以下の引用はすべて、光文社古典新訳文庫)

「そうよ、これはお話なの」セーラが言った。「何もかも、みんなお話なの。あなたもお話だし、わたしもお話。ミンチン先生も、お話よ」

ポプラ社文庫のほうでは、セーラのこの謎めいたセリフを、子供向けになんとかわかりやすく表現しているのがわかる。
セーラは、この言葉の意味について、説明はしない。
わかる人にだけはわかる、わからない人にはわからない、という姿勢で(たとえばミンチン先生や、いじめっ子の上級生など)、彼女はこのセリフのあとも、アーメンガードに「お話」の続きを聞かせるのだ・・・。

セーラの空想好き、お話好きは学校に入学する前の幼い頃からのものであり、父親からも、変わった子、と言われ、おもしろがられている。
そういったセーラの性質は、現実の生活にもさまざまな形で影響を及ぼす。
たとえば、ダンスのレッスンからセーラが帰ってくると、椅子の上で、小間使いのベッキーが眠りこけているのを見たときのこと。
セーラは、腹を立てるどころか、うれしくなってしまうのだ。
それはなぜかというと、「自分が考えた物語の主人公である薄幸のヒロインが目をさましたら、実際に言葉をかわすことができる、と思った」からである!
くわしくは書かれていないが、ちょうどこのとき、セーラは「薄幸の少女」をヒロインとして物語をつくっていたのであろう。そのため、現実に目の前に現れた「薄幸のヒロイン」に、セーラは、私のつくったお話が現実になった!と、喜んでしまう、というわけだ。

また、父親が死に、学校の小間使いとして働かされるようになってからも、セーラは自分自身を囚われの身となったマリー・アントワネットや、「身分を隠した古代の王」になぞらえて気持ちを強く持とうと試みる。
彼女はあるとき、身分を隠して民家にやってきたアルフレッド大王が、その家のおかみさんに平手打ちをされたというエピソードについて考えているときに、ミンチン先生に平手打ちをされてしまう。
驚いたセーラは「白日夢」からさめて現実に帰ってくるのだが、しかし、次の瞬間、彼女は、「自分が考えていたこと」と「現実」が思わぬ一致を見せたことで、小さく笑ってしまうのである。
周囲の人間からすれば、この子はいったいどうなっているのだろう?というところだろう。

また、別の日、セーラは買い物の途中、空腹に耐えながら、力をふりしぼって空想ごっこをする。
自分はあたたかい服を着ていて、そして、パン屋の近くで6ペンス銀貨を見つけ、それで熱々のパンを買って食べるのだ、と・・・思いえがいていたそのとき、「この世では、不思議なことがときどき起こるものである。」なんとセーラは、6ペンスではないが、4ペンス銀貨を拾うのである。

そして、このあとさらに大きな魔法が起こる。
向いの屋敷に住むインドの紳士、そして、彼の召使いラム・ダスの計画によって、セーラの住むみすぼらしい屋根裏部屋が素晴らしく美しい部屋に変身させられるのだ。
しかし、その魔法が起こる前、セーラが何をやっていたかというと、アーメンガードやベッキーとともに、パーティーの空想ごっこをしていたのである。そしてそれは、ミンチン先生によって中止させられるのだが、結局、セーラが思い描いたものは、このあと、見事、実現したのだ。

バーネットは、人間の想像力が神秘的な出来事を引き起こす、ということを、強く信じていたのではないか。
さまざまな魔法が起きるこの物語を読み通したあとで、「何もかも、みんなお話なの。あなたもお話だし、わたしもお話。ミンチン先生も、お話よ」というセーラのセリフについて考えてみると、彼女は、「結局、この世界の出来事はすべて、自分が思い描いている物語、ただのお話、幻に過ぎないのよ」、と言っているように聞こえる。
その物語の中には素晴らしい人だけでなく、意地悪なミンチン先生のような人も登場してくることもある。
けれども、それさえも自分で書き換えることができるのだ、と。

タイトル画像は、昔、雑誌から切りぬいたものの中にあった、映画「リトル・プリンセス」の一場面。
映画のほうを見ていないのでわからないが、たぶん、セーラが父の友人にひきとられることになり、学校のお友達と別れているシーンではないか?
「プリンセス・セーラ」として復活し、学校を去ってゆくセーラに、女の子たちが手を振っているように見える。
この中にセーラはいないのだけど、緑色の制服を着た女の子たちがかわいくて、使ってみた。






















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