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あの日あの時あの列車で

「鉄道の何が好き?」

“鉄”であることがバレた時、必ずと言っていいほど聞かれる。
が、自分でもそれはよくわからない。
たしかに車両それ自体は好きだ。乗り倒したいし、かっこいい写真を撮りたい。
しかし、それだけではないような気がする。

なぜだろうか。
そう考えた時、ふとこの歌詞が浮かんだ。

盗んだバイクで走り出す
行く先も解らぬまま

作詞・作曲:尾崎豊『15の夜』(1991年)

一人、あてもなくどこか遠くへ行くことができる―
住み慣れた街が離れて行く。初めて聞く駅名が増えてくる。いつの間にか地図帳の中でしか知らない土地に着く。

中学3年の春に初めて「青春18きっぷ」を手にして以来、列車で各地を巡った。
高校1年の夏には、憧れの北の大地へ。
あの時、北海道に惹かれ、北海道を好きになったからこそ、現在札幌でこの文章を書いている。

また鉄道は遠くへ連れて行ってくれるだけではなかった。
多くの“人”との出会いの機会にも恵まれた。
ミュージシャンを志す若者、東京から故郷の神社へ戻った神主、80になってから大学へ通い始めた老婦人・・・

もちろん、言葉を交わした人ばかりではない。見知らぬ街の見知らぬ駅で、見知らぬ人が乗り、そして降りて行く。人生でもう二度と会わないかもしれない人々と、同じ列車に揺られながら同じ時を過ごす。
もちろん、相手は自分のことなど気にも留めていないだろうし、自分もどこでどんな人と会ったのかを全ては覚えていない。
ただ、駅に着き、ドアが開くと人が降り、別の人が乗って来る。

なんと多くの人がいて、なんと様々な生き方をしているのだろうか―
列車に揺られながら、いつも思う。
自分のことを知る人はもう誰もいない。

良い学校に行き、良い会社に就職する、そしてそのための勉強を続ける。
中学・高校と、そんな退屈な日々に嫌気がさしていた。どこか知らない世界へ逃げたかった。
が、車では運転してくれる家族が必要。路線バスではあまり遠くに行けない。
思春期真っただ中のささやかな反抗には、鉄道が一番合っていた。

自分の経験が全ての人に共感してもらえるかはわからない。
しかし、列車に乗りながら、自分の知らない町で、ただ人が乗り、降りて行くのを眺める。
そんな経験が人生に一度くらいあってみてもいいと思う。


周辺自治体が鉄路の維持を断念―

ここ数年、そんなニュースを聞くことが増えた。
たしかに、地域住民の足を支えるのに最適な交通機関こそが望ましい。
鉄道の便が悪い地域では自由に動ける自の方が便利なことも確かだ。
鉄道はその役割を終えかけているのかもしれない。

けれども、まだ知らない土地へ知らない人に会いに行く、その選択肢が減っていくのは少し寂しい。
何をするでもなく、ただ列車に揺られながら時を過ごす。
そんな贅沢な時間も鉄路が無くなれば、失われてしまう。

百聞は一見にしかず。
文章では伝えられることも限りがあろう。
もし、今回お読みいただいた方の中で少しでも興味を持った方がいれば、是非このGWにでも乗り鉄になってみて欲しい。

少しでも趣味を同じくする人が増えることを祈って。
最後までお読みいただきありがとうございました。





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