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酒飲みは歩けば棒に当たる?

「お酒で失敗したことはありますか。」
選考も終盤に差し掛かったとある会社の面接で急にそんなことを聞かれた。まあ趣味の欄に"飲酒"と書いているので、当然といえば当然かもしれない。企業としても、目の前の学生が“コンプライアンス”上問題のあるような人物でないかを確かめたかったのだろう。

なぜ酒はこんなにも警戒されるのだろうか―
帰りの電車で、面接を振り返りながら考える。
例えば、趣味の欄に“サッカー”と書いても「サッカーで失敗したことはありますか?」とはなかなか聞かれないだろう。少しおふざけが過ぎたかと反省しつつ、アルコールとの触れ合いの記憶をたどっていく。

前の投稿でも少し触れたように、「飲む」ことは自分の知らない新しい世界へと誘ってくれた。酒がなければ自衛隊のヘリに乗ることも、インド人とクラブに行くこともなかっただろう。
一方で、イキがって一気飲みしたり、酔った勢いで告白して振られたという苦い思い出もよみがえる。
酒というものは、人の可能性を良い方向にも悪い方向にも拡大させる。記憶をたどりながらつくづくそう思わされる。

初めて酒で失敗したと感じたときはいつだろうか―
脳裏に霞んだネオンサインが浮かぶ。舞台は11月下旬のすすきの。知り合いにとある店に連れて行ってもらった時のことだ。
店内は少し薄暗い。丁寧に磨かれた栗色の机には電灯の光が反射する。カウンター席の前には様々な種類のボトル。周りではジャケットを着こなした銀髪の男性たちがグラス片手に談笑している。これが大人の世界か。初めて見る世界だった。
「何になさいますか?」
そう問われ、咄嗟に「○○(知り合い)と同じもので」と答える。

しばらくして、ウイスキーの氷割りが運ばれてくる。手になじむ大きさのグラスに琥珀色の液体。少し口に含んでみる。まるで朝霧の中の森のような香り。学生の飲み会で飲んだ煙臭い味とは全く違う。一杯また一杯とグラスを重ねる。飲むほどに現実が遠ざかっていくのがわかる。

1時間くらいは飲んだろうか。いや実際はもっと短かったかもしれない。とにかくこれでお開きとのことでその前にトイレへ席を立つ。
が、椅子から立ち上がったその瞬間、何かがおかしいことに気付く。自分だけが固定されていて、自分を中心に世界が回転しているような。初めての感覚だった。そんな初“回転世界”の中、平静を装ってトイレまで歩いていく。と、扉を開けた瞬間、強い“思い”が込み上げてくる。突然のことに半ば本能的に洗面台へ。“思い”が強すぎるために全てを一息に口にすることができない。状況が呑み込めないことへの焦りも加わり余計に息苦しい。

そこへ後から知り合いが入ってきたのに気付く。何か呼び掛けくれているようだが聞こえない。「すいません、すいません」と繰り返しているつもりだが、しゃべるごとに文字が“形”となって口から発せられるような気分だ。
とりあえず背を叩いてもらったことで少し楽になる。

何とかして帰らなければ―
トイレを出て、地上への階段を両手で手すりにつかまりながら上る。地上には赤色や黄色に輝くネオン、派手な色の服を着た客引きの男女。その全てがまるで万華鏡のように自分を中心に回転する。一歩一歩が前に進まない。目の前の道路に止まっているタクシーへたどり着くこともできず、近くの花壇に座り込む。
再び意識が遠のいていった―

と、まあなんとも情けない経験を思い出したのだが、ここで一つ重要なことがある。それは決して酒そのものが悪いわけではないということだ冒頭の質問のように世間の酒そのものに対する印象は“極めて”悪い。しかし、全て飲む方の責任である。酒それ自体が悪いのではなく、飲む人間の飲み方が悪いのだ。飲み手自身が評判の良し悪しを決める。
呑兵衛の一人として“酒”を貶めるようなことはしない―
そう決意を新たに、今日の一杯を求めてネオン街へと向かった。

今回も拙文にお付き合いいただきありがとうございました。

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