性善説と性悪説
仏教的観点から見ると
悪=欲
そう思うと性悪説を信じるかな
生まれながらにして
食欲と睡眠欲は確実にある訳だし
そう思って生きていた方が自分を戒めることができるし、人を許すこともできる
性善説を基に考えると、悪人に同情という意味で許しは与えられるけれど、本当の意味での理解にはならない気がするから
来世は性善説を信じることができる人間になりたいとは思ったりするけどね
欲望のままに生きることができればいいのかもしれない
でもそれによって傷つける人がいることを想像できない人間にはなりたくない
それをも許す心の豊かさ深さを持つことはとても難しい
性善説を信じることができる人はそれができると思っている人だ
わたしには多分できない
許すよりも諦めた方が楽だからかもしれないな
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