見出し画像

【開運酒場】地元の信者が足繁く通う小さなお稲荷さんのような酒場〜千川・洒落亭〜

良い酒場は神社仏閣と同じ──これはかねてからの自説である。

かつて神社仏閣は地域住民の交流の場であり、俗世を忘れて束の間息抜きができる場所であったと思う。落語の世界では、吉原に遊びに行くことを「ちょっと浅草寺へお参りに……」と言ったりするが、それは単に浅草寺の裏に吉原があったからではなく、”お参りに行く”という聖なる行為と、”女を買う”という不純なる行為は表裏一体で、そうした清濁を併せ呑むのが人間だということを表現しているのだと思う。実際、江戸の有名な神社仏閣のそばには女遊びができる遊郭や岡場所があった(上野近くの根津権現、品川神社近くの品川遊郭などなど)。

というわけで、良い居酒屋は神社仏閣のように、思わず居住まいを正したくなる厳粛な雰囲気がある一方で、どこかに後ろめたくなるような背徳感も漂う。人は祈るように酒を飲み、酔って神と交信していい気分になり、”おあいそ”と勘定して店を出るころには、すっかり憑き物が落ちているという算段だ。そうやって人々は日々、気持ちをリセットして生きてきた。

小さな生と死の繰り返しとイニシエーション。

それを行う場所が、昼は神社仏閣であり、夜は酒場なのである。

そんな神社仏閣のような酒場がある一方で、店主が神仏のような酒場もある。

今回見つけた、ちょっと風変わりな酒場の主が、まさにそうであった。

場所は東京メトロ有楽町線・副都心線の千川駅。池袋から2駅、何の変哲もない住宅街だ。駅を出て千川通りを小竹向原方面に少し歩き、要町三丁目の交差点を左に曲がると飲み屋が点々。中でも異彩を放つのがこの「酒落(しゃらく)亭」だった。

ボロい木造の二軒長屋で、片割れはとっくに店仕舞いした様子。洒落亭も灯りは点いているが、少し開いた扉から見える店内は、酒瓶や雑誌、ビデオテープなどの小物類で散らかり放題、とても商売中とは思えない。

もしかしてこちらも店仕舞いして自宅として使っているとか?(そういうパターンは結構ある) 。だったら「スミマセ~ン、やってると思ったんでえ」ととぼけて出てくればいい。意を決して中に入った。

果たして営業中であった。先客も1人いた。カウンター席もあるが、荷物で塞がれているので必然的に中央の大きなテーブル席に一緒に座ることになる。

マスターの説明によると、客は皆このテーブルを囲み、マスター手造りのツマミを出されたまた食べ、酒はビールか泡盛のみ。で、お会計は「だいたい3000円くらい」と丼勘定宣告。ラーメン屋だってネギ一つからトッピングを選べる時代に、この店はほぼ選択の自由が無いのだ。

この時点で踵を返しても良かった。だが考えてみればスナックと同じじゃないか。気に入らなければ2度と来なければいいだけの話。

結論。

相当気に入ってしまった。

50がらみのマスターはかなりおしゃべりで、一晩で一生分の個人情報を聞かされたんじゃないかと思ったほどだが、話自体面白いし、変に気を使ってアレコレ訊ねられるよりラクだ。

とにかくここは店主の人柄が全ての店だ(ツマミは意外とウマいがマスターいわくイチ押しは常連客が買ってきた煎餅)。

ダメな人はダメ、それでいい。だけどハマれば、何度も通いたくなる。まるでそう、教祖様の元に足繁く通う信者だ。お勘定はもちろんお布施。

騙されていると言うなかれ。それで信者は精神のバランスを保っているのだ。何より同じような嗜好の客が集まるから会話も弾む。だからガラクタだらけでも客は来る。入りづらさは客を選別するフィルターでもあるのだ。

よくよく聞いたら、両親は某有名宗教の熱心な信者。マスター自身はとっくに足を洗ったと言っているが、小さい頃から叩き込まれた信心はそう簡単には抜けないのだろう。本人は自覚していないが、言葉に、どこか聞く者の心を打つ力がある。オーラとも言える。

やっぱり酒場は神社仏閣に似ている。

誰もが知る有名な神社仏閣のような酒場もあれば、人知れず、しかし熱心な地元の信者が足繁く通う小さなお稲荷さんのような、こんな酒場もあるのだから。

■「洒落亭」 東京都豊島区要町3丁目25−1 TEL03-3958-6503

※日刊ゲンダイで連載中の「東京ディープ酒場」で掲載した記事を著者自らが大幅に加筆修正しました。

★ぜひ「スキ」または「サポート」お願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?