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「セカイの狭間」を超える声

2024年1月13日、代々木第一体育館で行われたKAMITSUBAKI STUDIO所属のバーチャルシンガーグループ・V.W.Pのライブ『現象II』を現地で観覧する機会を得た。そこで筆者は下記のような〈セカイ系〉的とも言えるような歌詞が、切実さを伴って大勢の観客に届いている光景を目の当たりにしたのだ。

<1番サビ>
あたらしい世界のチャイムがきこえた!
(おかしいね)
きみのせいかも 生きてみたいだなんて
思ってしまった胸が吠えてる

<2番サビ>
目を開けて? 二人きりの地獄へいこう
快速で!
朝になったら 燃やしちゃえばいい
ぜんぶぜんぶ好きなようにしていいよ

V.W.P「飛翔」(作詞・作曲:笹川真生)

こうしたリリックが歌い手の実存を伴ったものとして響くのは、私たち(バーチャルシンガー)とあなたたち(オーディエンス)の存在している空間は異なるという前提があるからである。配信画面上では仮想の3D空間上で、奥行きがあるパフォーマンスをしているように見えるだろう。しかし実空間上では結局のところ、ステージ上に設置された平面的なモニタの上に姿が映し出されているだけなのだ。横の席から観ると、横長の板が置かれているのが否応にも目に入る。

(前半パートでは上の動画では演出に使われている、演奏陣と同じステージに置かれた横に細長いモニタに5人の姿が投影されていた)

しかも物理的に、歌い手たちはステージ上に立っていない。メタな話になるが、別室で行っている彼女たちのパフォーマンスをモーションキャプチャで取り込み、3Dモデルに流し込んだものをステージ上のモニタに投影しているはずなのである。「みんなの声、聴こえてるよ!」のようなMCも、会場の熱気を肌で直接感じ取れてはいないんだろうな、と思うと、どこか切なさを伴って感じられる。そんな「次元の壁を突破したい(でも、できない)」という気持ちが「世界の終わり」を歌う歌詞とシンクロし、実存的な色彩を帯びるのである。

これと同じ構図はcosmo@暴走P「初音ミクの消失」のような「ボーカロイドの実存を歌った」楽曲にも見出せることに気づくだろう。ちなみに当日は花譜らの声をもとにしたCeVIO AIソフト「音楽的同位体」との共演で、同系統の楽曲「機械の声」(こういうタイトルなのである!)が初披露されてもいた。こうして見ると、「中の人」がいるかどうかとか、ボカロかCeVIO AIかといった問いは本質的ではないと改めて思わされる。

『プロジェクトセカイ』由来の「セカイ」という概念を援用するのなら、以下のように言える。同ゲームにおいてプレーンな状態の――すなわちイデアとしての――〈初音ミク〉は、「セカイの狭間」と呼ばれる場所(システム上は初めてゲームを起動したときにプレイヤーに語りかけてくる、チュートリアル空間)にのみ存在する。彼女たちは作中に登場する、すでにユニットごとのカラーに染められた他の「セカイ」や私たちのいる現実世界に自ら赴くことはできず、誰かに見つけてもらうのをただ祈りながら待っている。彼女たちを見つける私たちはPlayerだが、見つけられるのを待つ彼女たちはPrayerなのだ。〈初音ミク〉は『プロセカ』において「バーチャル・シンガー」と呼ばれる。それは花譜のような存在も同じである。彼女たちの、壁を超えたくても超えられないもどかしさが遂に激情となって「セカイ」の壁を超えようとするとき、そのエネルギーの放出としての歌は「世界の終わり」の情景をリテラルに描く、〈セカイ系〉的な表現になるのである。

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