北出栞 siori kitade

編集・執筆 / 作った本: http://fernebooks.booth.pm / …

北出栞 siori kitade

編集・執筆 / 作った本: http://fernebooks.booth.pm / 活動歴: http://profile.hatena.ne.jp/sr_ktd/ / ご依頼は[siori.kitade@gmail.com]まで

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初単著『「世界の終わり」を紡ぐあなたへ』が刊行されます

〈セカイ系〉をキーワードにアニメ・音楽・アート・哲学などを横断的に扱う評論アンソロジー『ferne』を主宰する、北出栞と申します。 2021年より始めたこの活動の集大成ともいえる単著『「世界の終わり」を紡ぐあなたへ――デジタルテクノロジーと「切なさ」の編集術』が、このたび出版されることになりました! 装画はミュージシャンとのコラボも多数のアーティスト/アニメーター・米澤柊さん、装丁・本文の文字組は『いなくなれ、群青』など文芸・漫画を中心に多数の本を手がける川谷康久さんがご

    • フェティッシュについて

      ここでいうフェティッシュというのは、略して「フェチ」と呼ばれるいわゆる性癖のことではなくて(いや語源的には同じなのかもしれないが……)漢字で「物神崇拝」と書かれる、モノに特別な信仰心を見出してしまうような心性のことだ。 フェティシズム | 現代美術用語辞典ver.2.0 https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0

      • 「セカイの狭間」を超える声

        2024年1月13日、代々木第一体育館で行われたKAMITSUBAKI STUDIO所属のバーチャルシンガーグループ・V.W.Pのライブ『現象II』を現地で観覧する機会を得た。そこで筆者は下記のような〈セカイ系〉的とも言えるような歌詞が、切実さを伴って大勢の観客に届いている光景を目の当たりにしたのだ。 こうしたリリックが歌い手の実存を伴ったものとして響くのは、私たち(バーチャルシンガー)とあなたたち(オーディエンス)の存在している空間は異なるという前提があるからである。配信

        • ポスト・ヒューマン/ディストピアの時代に〈セカイ系〉を読むということ(試論)

          2020年代に入って、にわかに「世界の終わり」という言葉が身近なものとなったような気がする。疫病、戦争、気候変動。しかしそんな中でも日常生活は続いていき、だからこそ思いやりとか、人間性をいかに保つかということが、これまで以上に問われている。 テクノロジー領域に目を向ければ、より以前から事態は進行している。GAFAと呼ばれる巨大なプラットフォーム企業によって、収奪される個人情報。広告主にそれを売りつけられる私たちは、無意識のうちに情報商材……つまりモノ化されている。生成AIの

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        初単著『「世界の終わり」を紡ぐあなたへ』が刊行されます

          「セイレーン」とは何だったのか――『ちいかわ』島編の終了に寄せて

          2023年11月26日、ウェブ漫画『ちいかわ』のエピソード「島編」が完結した(まとめは以下のページから読める)。 同年3月から、作者・ナガノ氏の体調不良による休載を挟んでの約8ヶ月間という、同作品でも異例の長期連載となった今シリーズ。 謎が謎を呼び、新たな登場人物・視点の追加により真相が多段階的に明らかとなっていく展開は極上の閉鎖空間ミステリをも思わせ、かねてより評価が高まっていたナガノ氏のストーリー漫画家としての手腕がいかんなく発揮されたシリーズとなった。 「島編」と

          「セイレーン」とは何だったのか――『ちいかわ』島編の終了に寄せて

          音楽評論アンソロジー『ferne ZWEI』刊行のお知らせ

          2023年11月11日(土)、音楽評論アンソロジー『ferne ZWEI』(読み:フェルネ ツヴァイ)を刊行します。 本書籍は、音楽・アニメ領域をメインに編集者・ライターとして活動する北出栞(筆者)による個人出版プロジェクト『ferne』の第2号(前号の内容は以下のリンクより)。 〈セカイ系〉という言葉を「大切な誰かとの関係」と「世界の終わり」を等価に扱う概念として再解釈し、疫病と戦争の時代となった2020年代の文化を考えるキーワードとして位置づけた『ferne』。2年ぶ

          音楽評論アンソロジー『ferne ZWEI』刊行のお知らせ

          コロナの時代は楽しかった

          正直に言おう、コロナの時代は楽しかったと。 外に出られないからこそ、個人が「声」をメディアにできるClubhouseやTwitterスペースが盛り上がって、ポッドキャストなんかも面白かった。VTuberの長時間配信を観るようになったのもこの頃だ。 直接のコミュニケーションには積極的でない人間でも、趣味を同じくする人と交流するのが簡単になった。全員が同じ土俵の上に立つようになったからだ。また、そこでできたつながりが、半年に一度の文学フリマという場で本という形をとって一気に爆

          コロナの時代は楽しかった

          「ぽんぽこ24」と分散型SNS、あるいは月ノ美兎という特異点について

          最近は「Twitter」の終末に接して御多分に漏れず「分散型SNS」のことを調べていて、なかなか難しい概念だなと頭を悩ませていたのだが、ふと、これは「ぽんぽこ24」に近いのではないか? と思ったのだった。 8月20日夜に本年度版が無事終幕した「ぽんぽこ24」は、個人勢VTuberの「甲賀流忍者ぽんぽこ」と「オシャレになりたい!ピーナッツくん」のコンビ「ぽこピー」による2018年から開催されている名物企画で、今回でVol.7を数える。黎明期からのコネクションを活かして個人勢か

          「ぽんぽこ24」と分散型SNS、あるいは月ノ美兎という特異点について

          プラットフォームの「外部」はあるのか

          思えば改名騒ぎのずっと前から「Twitter」の外側で見聞きしたコンテンツに関する言及をしても思ったような反応が得られない感覚はあって、具体的には聴いた音楽や見た展覧会の感想なのだが、「Twitter」というプラットフォームの求める共時性とはまったく離れた基準で触れるコンテンツを選んでいるがゆえに、そこで息をしている人々には引っかかりがない。有害というわけではないが、純然たる背景として、他の人のタイムラインには溶けているのかもしれないなと思っていた。 だったら確かに「いま、

          プラットフォームの「外部」はあるのか

          VTuber配信の面白さは「OBS芸」に宿る―― #にじさんじラジオ体操部 に見るバーチャルライバーのクリエイティビティ

          にじさんじ所属バーチャルライバー・不破湊さんによる「にじさんじラジオ体操部」企画が今年も始まりましたね。自分は昨年のこの企画を機に「にじさんじ」というグループ全体に興味を持つようになって、今では毎日誰かしらの配信を観ることが完全に習慣となっているので感慨深いです。 今年のゲストは1組目に月ノ美兎さん、2組目に加賀美ハヤトさんと続いていますが、お二方とも非常にトリッキーな形での出演の仕方をしていました。「実写の公園の写真を素材として活用したバーチャルな3次元空間(「不破湊公園

          VTuber配信の面白さは「OBS芸」に宿る―― #にじさんじラジオ体操部 に見るバーチャルライバーのクリエイティビティ

          布施琳太郎「絶縁のステートメント」 at SNOW Contemporary(六本木)

          上記のようなコンセプトで企画されたこの展覧会は、入場してすぐの部屋中央に配置された「立体折り紙」のような作品の制作プロセスを、別の形式で展開したらどうなるか? という思考過程を経ることで、他の映像作品や詩+生成AIを用いたコンピュータグラフィックスの作品といった多彩なバリエーションの作品群が生まれた、というプロセスを経ているという。 作家には展覧会というものに対して「すべてが現在のなかで操作可能な変数になってしまった時代において、異なる時間感覚を再起動する装置であってほしい

          布施琳太郎「絶縁のステートメント」 at SNOW Contemporary(六本木)

          一週間経った。

          「かつてTwitterと呼ばれたSNS」(面倒なので以下旧Twitterと呼びます)の改名騒ぎから一週間経って、だいぶそれぞれの身の振り方が固まってきたような印象が観測範囲ではある。 結果からいうと、Mastodonに行きそうだなと思っていた人はMastodonに行ったし、旧Twitterに相変わらずいそうだなと思っていた人は旧Twitterにいるし、という感じだ。 個人的にはMastodonやDiscordは「承認」と「親密さ」の原理からなる小規模なコミュニティという感

          一週間経った。

          息がしづらい。

          「かつてTwitterと呼ばれたSNS」が、現在の名前になったのをきっかけに「つぶやき」をポストするのをやめて数日が経つが、明らかに体調が悪くなっている。 「疲れたー」とか「暑すぎる…」とか、そういったことをポストできる場というのがいかに貴重だったか、というのを思い知っている。 買収話が持ち上がるよりずっと前から、「かつてTwitterと呼ばれたSNS」は随分と息苦しい場所になっていたのだと思うが、かねてより公言しているように自分はフォローをしているアカウントもすべてミュ

          息がしづらい。

          「かつてTwitterと呼ばれたSNS」で日常のつぶやきを止めたわけだけど、どうにも体調がすぐれない……何か澱のように溜まっていくものがある。慣れる日は来るのだろうか。

          「かつてTwitterと呼ばれたSNS」で日常のつぶやきを止めたわけだけど、どうにも体調がすぐれない……何か澱のように溜まっていくものがある。慣れる日は来るのだろうか。

          Fediverseについて勉強。単にサーバーと説明されているものは「仮想」サーバーで、インスタンス(実体)という語が当てられることもあるのはそれが理由、ということなど理解。アカウントを取得したBlueskyは、Fediverseの宇宙外にいるということも…

          Fediverseについて勉強。単にサーバーと説明されているものは「仮想」サーバーで、インスタンス(実体)という語が当てられることもあるのはそれが理由、ということなど理解。アカウントを取得したBlueskyは、Fediverseの宇宙外にいるということも…

          「Twitter」が「X」になったことで、文字通り(シンボルマーク通り?)「Twitter的なるウェブサービス」が名前の重力から解き放たれて概念として確立されたのかもしれない、とも思う。「140字」「フォロー機能」「RT機能」「タイムライン」などからなる総体としての。

          「Twitter」が「X」になったことで、文字通り(シンボルマーク通り?)「Twitter的なるウェブサービス」が名前の重力から解き放たれて概念として確立されたのかもしれない、とも思う。「140字」「フォロー機能」「RT機能」「タイムライン」などからなる総体としての。